2017年12月19日火曜日

マンチェスター・シティの世界支配計画


フットボールは巨額の投資によって既に変貌している、しかしマンチェスター・シティの背後にいるビジネスマンたちは根本的に業界を変化させるべく世界組織を築き上げようとしている ー ギレス・トレムレット


Giles Tremlett
15 December 2017

2009年12月19日、ペップ・グアルディオラはドバイのザイード・スタジアムの真ん中に立って涙を流していた。当時38歳のバルセロナの監督は顔を手で覆い、大きく肩を震わせて泣いていた。当時バルセロナにいたスウェーデンの長身ストライカー、ズラタン・イブラヒモビッチはタトゥー入りの腕をグアルディオラの首に回して激しく揺さぶったが、グアルディオラは涙を止められなかった。そこは世界で最も賞賛されている監督が泣き崩れる場所としてはとても奇妙な場所だった。バルセロナは単に試合に勝って、誰も見てないし知られてもいないFIFAクラブワールドカップのタイトルを獲得しただけのことだった。しかしこの勝利は誰も破ることのできない記録を打ち立てたもので、バルセロナがその1年にとれる可能性のある6個のタイトル全てを勝ち取った瞬間だったのだ。それでペップは泣いていたのだった。

その時バルセロナにいたフェラン・ソリアーノにとっては甘美だがほろ苦い瞬間だった。この街の労働者が多く住むポブラノウの床屋の息子であるソリアーノはFCバルセロナの重役になり、世界の歴史上最も偉大なチームを作り上げたうちの1人だった。「嬉しかったですが、それと同時にチームが頂点を極めた場所にいることができなかったのが残念でした」と彼は私に話してくれた。その時はグアルディオラに電話をかけたという。

ソリアーノはバルセロナで2008年まで5年間財政部門を担当していた。2003年の会長選挙でアメリカ型の政治運動を展開し気鋭の若者たちが取締役会で権力を握って以降、クラブの記録には彼が開発したアイデアが大きく貢献していた。彼はそのことを著書「La Pelota no entra por azar(ボールは偶然では入らない)」にも書いている。この本はバルセロナでの成功(と、おそらく経済的な記録)は良質で創造的な運営手腕の結果であるということを綴ったものだ。ソリアーノは2008年にクラブ内の揉め事で辞任することになったのだが、彼がクラブを去る前に彼の更に野心的なアイディアが停止に追い込まれていた。それは他の国に系列のクラブを持つことだった。このアイディアは地元の都市バルセロナとカタルーニャに強く根付いている143,000の選挙権を持つファンに支えられるクラブからはあまりにもかけ離れたものだった。

しかしこのソリアーノの野望はドバイでグアルディオラが涙する姿を近くで見ていた2人の人物によって生かされることになる。その1人はアラブ首長国連邦の王族であるシェイク・マンスール・ビン・サイード・アル=ナヒヤーンであり、もう1人は若き経営者で王族の指南役であるカルドゥーン・アル・ムバラクであった。この2人の後押しを受けてソリアーノは今、初めてとなる真の多国籍企業組織、言わばサッカー界のコカ・コーラをを作り上げ、フットボール界の既存の秩序を揺るがしている。

その組織とはシティ・フットボール・グループ(CFG)である。既に4つの大陸に6つのクラブを所有するか共同所有する形で保持しており、240人の男子プロフットボール選手と24人の女子選手と契約し、未来を夢見る数百人の10代の選手や子どもたちがCFGの下部組織でプレーしている。この組織の長期的な展望は巨大である。世界中から選手を探し出し、大陸を跨いだ最先端のアカデミーとトレーニング施設で鍛えて磨き上げ、他のクラブに売り込む、またはその中で最も良い選手は自身が所有する10以上の国のクラブに送り込む、というものだ。周囲の護衛艦に供給を受けて守られる、この艦隊の頂点に君臨するのが – マンチェスター・シティFC – であり、世界で最も偉大なクラブになるべく既に動き始めている。

これはソリアーノのアイディアそのものか、少なくとも彼の複雑だった計画を単純化したものだ。この組織はまだ創立されて4年であるが、世界で最も人気のあるスポーツの世界であっという間に最も力をを持つ存在の1つになっていて、フットボール界の Google か Facebook になるのではないかと考えている人たちからは畏敬と羨望と恐怖をもって見守られている。




ッププレーヤーのコストが2億ポンド(約300億円)にもなるこの世界ではテレビで放送される試合は数億の視聴者を魅了し、クラブのオーナーは地球上で最も裕福な人たちであり、戦力強化のためには金に糸目をつけない。かつては資金だけで(それが適切に使われたなら)十分な違いを作り出すことができたが現在はもはやそうではない、この世界には既に金が溢れているからだ。

マンチェスター・シティが2012年にプレミアリーグを制覇した時、シェイク・マンスールは「タイトルを10億ポンドで買った」と非難された、この金額はその数年前に彼がオーナーになって以来シティにつぎ込んできた額だ。このタイトルはシティにとって36年ぶりの主要タイトルで、シーズン最後、残り2分のセルヒオ・アグエロのゴールがタイトルを決定させた時、良い大人たちが泣き叫んだのだった。マンスールはこの試合をテレビで見ていた。彼はシティのエティハド・スタジアムで試合を見たのは1回しかなく、彼が訪れた時の騒ぎをよく思っていないようだ。優勝を決めたときにはマンスールの電話は2500ものメッセージで溢れたという。

この瞬間は1つの時代の終わりでもあった。欧州フットボールを統率するUEFAは各クラブが稼ぎ出している額よりも多くの資金を使ってはいけないという新しいルールを制定したのだった。マンスールは横暴な趣味人だと批判され、今日でも彼の「個人的な」所有がアブダビの懐柔政策の道具になっていることを疑問視する人がいる。しかし彼の公での発言は明確だ、シティを買収したこと、そしてそこに資金を注ぎ込んでいることは本当の意味で長期計画の投資であるいう。「冷静にビジネスとして、プレミアシップ・フットボールは世界で最高のエンターテイメント」だからだ。

そしてこの野望は今や倍になっている、彼はフットボールでもビジネスでも勝利を得たいと考えているのだ。しかしUEFAが散財にブレーキをかけたことで、より難しいことになった。彼には新しい何かが必要だ。シティはお金をお使わずに勝利を得ることができるのだろうか?

実際、ソリアーノと彼の若き優秀なビジネスマンたちが2003年にバルセロナの経営に関わった時、バルセロナは赤字を出し続けているクラブだった。ソリアーノは財政担当社として、大きな投資と獲得タイトルと更に大きな利益の「好循環」のスパイラルを作り出すことに貢献した。強引かつ緻密な彼は33歳までに世界規模のコンサルタントビジネスを立ち上げて売却している。バルセロナで「パンサー」と「コンピューター」という2つのあだ名が付けられていた彼は強い意志を持ち、それでいて思慮深く、気の変わりやすい当時のジョアン・ラポルタ会長とうまく調和したのだった。しかしソリアーノはFCバルセロナを単なる都市のクラブチームよりもずっと大きなものとして見ていた、それと同時に、世界規模のフットボールビジネスが新時代を迎える過渡期であることも認識していたのだった。2006年にロンドンのバークベック・カレッジで講演したソリアーノは、28枚のスライドを使って彼の基本ビジョンを説明した。世界的なファン層の劇的な拡大によって、ビッグクラブは「サーカスのような地元のイベント」を開催する団体から「ウォルト・ディズニーのような世界規模のエンターテイメント組織」に変貌することになる、と彼は記している。もしビッグクラブが「ファンの増加を捉え、世界規模の運営組織」になる機会を掴めば、彼らはライバルチームを置き去りにして新しく世界を支配するエリートを生み出すことになるというのだ。

「彼はフットボール界の他の殆どの人とは違う方法で考えていました、今もそうでしょう」と現在サルフォード大学で教授になっているサイモン・チャドウィックは語っている、彼はソリアーノをバークベックに呼んで講演を依頼した人物だ。当時ソリアーノ自身はアーセン・ベンゲルやアレックス・ファーガソンのような監督が自分のクラブを動かすという形態に束縛されていた英国のフットボールに落胆し、「ビジネスモデルの概念化のレベルがゼロ」だとしていた。言葉遣いにすら言及し「彼らはコーチのことを『マネージャー』と呼んでいました、まるでクラブの全てをマネジメントしているかのように」とソリアーノは振り返る。

2008年に思いがけずバルセロナを離れることになり、アメリカに作った最初のサテライトチームと共にクラブを世界規模の運営組織にするというソリアーノの夢は破れることになった。そしてスパンエアーという航空会社の経営に乗り出したのだった。ソリアーノのロンドンでの講演から5年後、マンスールはピッチの中のと外の両方で競争力のある新しい鋭さを求めていた。2011年10月、ソリアーノはニューヨークのメイフェアーホテルでの朝7時からのミーティングで世界を飛び回るニューヨークの弁護士マーティ・エデルマンと同席していた、彼がソリアーノをフットボールの世界に戻るように誘ったのだった。

エデルマンはマンスールによってシティの取締役に起用され、チェアマンに指名されたアル・ムバラクとごく初期から共に働いていた。アル・ムバラクはアメリカで教育を受けている。不動産の専門家であるエデルマンは既にアブダビの信頼を受けていた。そして、アメリカ人が取締役に選ばれたことはクラブが世界主義を目指す最初の兆候であった。ソリアーノは当初シティからの接近を受け流していた。彼はそれ以前にマンチェスターのきらびやかなライバル、ユナイテッドの方につながりがあったことと、彼自身が「金満オーナーに対する偏見」と呼ぶ不信感を持っていた(彼の著書ではシティについても「異常な投資」で「野蛮なインフレ」を引き起こしたクラブと表現されている)。しかし両者は徐々に価値観を共有していくことになる。シティを動かしているのは野心であり、現状に挑戦する意欲であった。

それは非公式で公式な出来事だった。次いで開かれるパリとアブダビでのミーティングの前に、2012年4月、ソリアーノはマンチェスター空港に静かに降り立ち(この空港をクラブは「到着したことを誰にも知られずに人と会うことができる」としている)、ローリーホテルに誰かの名前で取ってあった部屋に入る。元ラグビーのFWでセカンドローの選手だったソリアーノの身長は6フィート3インチ(約190cm)で隠れるのは難しかっただろう。その時には既にシティとソリアーノはお互いに誘惑を感じていた。シティはマンスールの長期的な取り組みにより、バルセロナと同じくらい偉大なクラブになれることを彼に説こうとしていた。一方でソリアーノは莫大な資金と想像力と忍耐を要する型破りな計画を提示したのだった。両者はシティがレアル・マドリード、バルセロナ、マンチェスター・ユナイテッドのいずれかが長く占めている世界のトップクラブのポジションに就くべきであることで同意を得た。「世界ナンバーワンの意味で言いました、2番目とか3番目ではなくてね」とソリアーノは振り返って言う。



界最大のクラブになるというアイディアは単なる慢心やビジネス上の虚勢ではなかった。ソリアーノはずっと前から少数のエリートクラブが世界市場を支配することになることに気づいていたが、彼はそれより「ずっと膨大」な何かをも作り上げたいと考えていた。ソリアーノの指摘では、フットボールクラブは巨大なブランドであるにも関わらず、ビジネスは驚くほど小規模であるという。世界に5億人のファンを抱えているクラブの収入が5億ユーロしかないのだ。「1人のファンにつき1ユーロ」彼は言う「こんなのは全くバカげています」。ビジネス的に言えば、これは「文字通りの愛と愛のなさの複合体」で、なぜなら例えばインドネシアのファンは全くお金を使っていなかったからだ。「これについて何ができるのか?ということの答えは極めて単純でした、おそらく単純すぎたのでしょう、しかしとても大胆なものです。地元ではなく世界に立たなければならないということです。インドネシアに行き、ショップを開店しなければならないのです」。ソリアーノは、シティのために選手を供給する複数のクラブのネットワークを通じてタレントの育成を行うことで、マンチェスター・シティを世界的なブランドと地元でのブランド、両方を備えた組織にするためのアイディアの沿革を描き出した。彼はこのアイディアが実現からは程遠く聞こえることもよくわかっていた。「このアイディアをレアル・マドリードに投げてみても『お前はクレイジーだ』という返答だったでしょう。実際バルセロナでそういうことが起こっています」と彼は話した。

しかしシティは既に変革の途中で、更に進める準備もできていた。エデルマンにとってこの計画はマンスールの資金で作られた骨格に肉を付け足すようなものだった。「あらゆる偉大なアイディアもそれを受け入れる側があってこそです。私たちにはその体制ができていました」エデルマンはパーク・アベニューのオフィスで私に語った。「普通だったらフェランのアイディアを採用して任せるようなことはできないでしょう」。ソリアーノのアイディア(現在では「アーティスティック・チャレンジ」と呼ばれている)はマンスールのもともとの構想に沿ったものだった。「単なるオールスターチームを作るだけではなく、将来にむけての仕組み」を(エデルマンの言葉によれば「ステロイドを投入して」)構築することは初期の計画から纏められていたことだった。

ソリアーノはマンチェスター・シティのCEOとして2012年9月1日土曜日から働き始めた。その2日後、彼は新しいフットボールクラブを設立するためにニューヨークを訪れている。1億ドル(7千4万ポンド)を投じて何もないところに一からチームを作り、アメリカとカナダのプロリーグであるメジャーリーグサッカー(MLS)に参加するのだ。地元の協力者を探し続ける中で、エデルマンは最終的にソリアーノをニューヨーク・ヤンキースのオーナーであるハンクとハルのスタインブレナー兄弟に引き合わせた。この兄弟はベースボールチームを相続して経営しているが、ハンクは大学でサッカーをプレーし、地元の高校でコーチも務めるサッカーファンであった。エデルマンにとっては今まで見てきた中で最も迅速な取引の1つだったという、「15秒」で合意に達した。「とにかく上手くいった」と彼は話した。ヤンキース側は新チームの20%を所有し、ヤンキースタジアムを一時的なホームとして利用するという条件だった(ベースボールフィールドをサッカー用のピッチにするには72時間を要するのだが)。ニューヨーク・シティFCと名付けられたこのチームは2015年から活動を開始している。フォーブス誌はこのチームの価値を2億7500万ドル(2億050万ポンド)と評価している。ファンからは「NYCFC」もしくは単に「ニューヨーク・シティ」と呼ばれるこのチームこそが、このマーケティング担当者の夢だったものだ。「私たちのブランドは完璧です。なぜなら我々は『シティ』です、どこの街でもこの言葉を地名の後につけることができます」洗剤の販売から始まったソリアーノの仕事人生はついにここに至ったのだった。

私が3月に初めてエティハドのキャンパスを訪れた時、受付のデスクの後ろの壁にはシティとニューヨーク・シティの他に後2つのクラブの盾が飾ってあった、メルボルン・シティと横浜Fマリノスである。マリノスは日本のクラブで、CFGが権利の一部を保有している。メルボルン・シティはもともとはオーストラリアのメルボルン・ハートとして知られていたクラブで2009年に設立されたばかりだった。このチームは昨シーズン、シティが買収して名前が変わり、チームカラーがスカイブルーに変わって2年で初めてのメジャートロフィーを獲得した。「テクノロジー業界の新興ベンチャー企業が Apple に買収されたようなものです」とクラブの創立者でCEOのスコット・マンは語っている。言われてみれば、マンチェスター東部はサッカー界のシリコンバレーになろうとしているのかもしれない。小規模なフットボールビジネスの一群がこの地に形成されつつあることも考えれば、このカリフォルニアの例はより適切な印象になる。

その2ヶ月後シティは更にクラブを買収していた。ウルグアイの2部リーグに所属しているアトレチコ・トルケは2007年に設立され、2012年にプロチームになったばかりだ。5月に行われた同社の年次総会で新拠点の代表者が南アメリカの地図を広げ、ウルグアイに大きな矢印を付けてプレゼンを行った。「誰もトルケが何なのか知りませんでした。誰も矢印がウルグアイのどこを指しているのかわかっていませんでした」とソリアーノは冗談交じりに認めている(このチームはウルグアイの首都モンテビデオにある)。「トルケの試合を見に行く人はこの部屋にいる人数くらいの人です」。それでもこのクラブの野心は1部リーグに昇格し、4位以内に入って大陸全土の大会に参加することだ。そしてこのチームはバルセロナのルイス・スアレスやパリ・サンジェルマンのエジソン・カバーニのようなワールドクラスのタレントを排出する国にあるのだ。更に不思議なことにこのクラブは「南米全土から選手を獲得する」ことも目標にしている。この買収の判断は冷静な分析の結果である、ウルグアイは南米最大のプロフットボール選手の輸出国であり、驚くべきことに1年間に2500万ポンドもの取引を行っている。多くの小さなクラブが10代の選手を安価に放出してしまう事実があるにも関わらずである。「これは驚くべきことです」とソリアーノは言う。「私たちは大きな組織です、このチームを長期的に保持していくつもりです」そして彼らをより価値のあるものにするのである。

その次に私がソリアーノに会ったのは、カタルーニャの小さなビーチリゾート、タマリウの休暇用のアパートメントであった。それは7月で彼は1日前にまた新たな取引を完了させていた。350万ユーロ(310万ポンド)でスペインのトップリーグのクラブ、ジローナの44%を買収したのだった。これはとても大きな獲物だった。彼は海に向いたバルコニーに座ってTシャツに短パン姿で座って、古いノートパソコンでファンの数とテレビ放映権のデータを引き出してみせた。ソリアーノは幸せそうに見えた(それは、単にタマリウにいて、バルコニーから仕事の電話ができて、「マンチェスター人」である2人の小さな娘と遊ぶためにビーチに降りていくことができるから、だけのことではないだろう)。

「昨年私たちが金額で合意した時、彼らは2部リーグに所属していました。今は1部リーグにいるのです」と彼は言った。今年の10月29日、マンチェスター・シティから貸し出されている選手たちの助けも借りて、この昇格したてのチームは見事に初対戦でレアル・マドリードを破ったのだった。CFGの資金注入はトルケでは更に劇的な効果を生んでいる。先月トルケはウルグアイの2部リーグを1位で終えたのだ、それはつまり買収からちょうど半年で1部リーグに昇格することになったということだ。




ットボールはこの世界のほぼすべての国で最大のスポーツになることをソリアーノは確信している、「アメリカやインドも含めて」と彼は言う。そしてCFGは次はどこへ向かうのか?「制限はありません。アフリカではガーナのアカデミーと関係を持っています。そして南アフリカで機会を伺っているところです」と彼は述べた。CFGは既にカラカスのアトレチコ・ベネズエラと近い関係を持っている。ソリアーノはマレーシアやベトナムについても言及する。1つの大陸に2か3のクラブが限界だと彼は言う。しかし次の主要な買収はおそらく中国だ、グループは中国で買収するクラブを「積極的に探し求めている」。

2015年10月、フットボール好きの国家主席、習近平がシティのエティハド・スタジアムを訪れている、その2ヶ月後中国の投資家がCFGの13%を4億ドル(2億6500万ポンド)で買収している、全体の価値は30億ドルと計算されている。この価値はおそらくマンスールが投じた額よりも30%は上回っている(正確な数字は不明である)。ソリアーノはマンチェスターに到着して以来、習近平のためのプロジェクトである中国サッカーの劇的で混沌とした進化に注目してきた。当初ソリアーノは混乱と腐敗の噂と価格がバブルで高騰したため手を引いていた。「今は中国市場はより理に適ったものになっている、リーグも整備されてきている」と彼は言う。

習近平は中国に50,000の特別な「サッカースクール」を10年以内に作り、子どもの数に合うように140,000のピッチを用意したいのだという。ソリアーノは数百万人の子どもたちにサッカーを教える機会を伺っている、これは「マンチェスター・シティのビジネスよりも大きなものになるかもしれない」。CFGは最近アメリカの都市部でフットサル用のピッチを所有し運営するための合弁会社に1600万ドルを拠出していて、CFGがクラブフットボールだけではなく、すべての分野に興味を持っていることが窺い知れる。

CFGは唯一の複数クラブのオーナーなわけではない、いくつかのチームは控えめな形態での統合を試みているが、他の組織は主に単なる投資対象としているだけである。世界中で1つの企業文化を意識して確立しているのはCFGだけで、このことはいくつかチームで同じスカイブルーのシャツを着用していることにも現れている。スペインのデロイト社のスポーツ・ビジネス・パートナー、フェルナンド・ポンスは、これはコンサル業界が「グローカル化」と名付けるものの重要な実例であると見ている。これは世界規模の製品をその地域の市場に適合させて扱う概念を表すものである。「ジローナやニューヨーク・シティのファンは殆どが確実にシティのファンになるでしょう」と彼は言う。それはマンチェスターのエティハド・スタジアムで見られる日産、SAP、WIxの広告がメルボルンやニューヨークで再現されることも意味するし、アメリカやオーストラリアの選手たちがシーズンオフには世界で最も進んだトレーニングセンターを訪れることができることも意味する。このトレーニングセンターはエティハドスタジアムに隣接した34ヘクタールの広さに建設され、高地をシミュレートしたり、血中酸素濃度を上昇させる高圧室や低酸素室などの高度な機能を備えているものだ。

しかしながら、ソリアーノを最も興奮させているものは夥しい数の選手を保有していることと彼らがプレーするクラブの範囲の広さのようだ。CFGは世界の誰よりも多くのプロサッカー選手と契約を結んでいる、そしてその数は今後も増える一方である。「エンターテイメント」とクラブ運営はグループの第一のビジネスであるが、「第二のビジネスは選手を育てること」だと彼は説明する。この考えはバルセロナの有名でよく真似されているマシア・ユース・アカデミーから得たものだ。彼らはそれぞれ200万ユーロのコストでリオネル・メッシ、アンドレス・イニエスタ、チャビ、カルレス・プジョールやグアルディオラといった伝説的な選手を排出している、今日では彼らのその価値は100億ユーロにもなるかもしれない。「私たちはバルサのモデルを世界規模に広げようとしているのです」とソリアーノは語る。

この論理の背後にあるものはもっと明確だ、7月に私がソリアーノにあったのと同じ週にパリ・サンジェルマンのカタール人オーナーたちがブラジルのスター選手ネイマールのためにバルセロナに支払う1億9800万ポンドという金額が世間を驚かせていた。移籍金の記録はほぼ毎年更新されている、ソリアーノはこの業界でインフレーションは今は避けられないものだと見ている、現在では金満オーナーというよりはファンの要求によって動かされている。

「どうしてこうなるのか?それは単純なことで、業界が成長しているからです」と彼は説明してくれた。「究極的にはこれは顧客に還元されます、素晴らしいフットボールを見たいと思っていて、それに支払いをするファンにです。クラブは使える資金をもっていても、毎年排出される高い技術をもった選手やトップ選手の数は変わるものではありません」

「これは典型的な「作るか買うか」の判断です。もし市場で買うことができないなら作らなければなりません」ソリアーノは語る「これは大変にお金がかかることです、アカデミーやコーチ等、しかし同時に若い選手たちを移籍させることもできます。ベンチャーキャピタルのようなものです、10人の選手に1000万ずつ投資して、そのうちの1人でもトップ選手になって1億の価値になれば良いわけです」

マンチェスター・シティのためにCFGの組織が広がることは17歳や18歳の将来を嘱望される選手たちに起こる英国特有の問題の解決策になり得る。ソリアーノはこれを「ディベロップメント・ギャップ」と呼び、このことがイングランド代表チームがなぜ結果を出せないでいるかを説明するものかもしれない。「トップの資質を持っている選手は成長のために真剣な試合でプレーする必要があります。これはサッカーの技術的な側面だけの話ではなく、プレッシャーに慣れるという意味もあります。イングランドの21歳以下、19歳以下の大会はそれに叶うものではありません。大勢のファンの前で試合をするわけではありませんし、緊張感もありません」と彼は述べた。スペインとドイツが成長期の選手にとって良いのは、バルセロナ、レアル・マドリード、バイエルン・ミュンヘンといったチームのリザーブチームは全て、イングランドのユースリーグのような独立したリーグではなく、その国の2部か3部のリーグでプロのクラブを相手に試合をしていることだ。「才能のある若い選手は18歳、19歳になればファーストチームで練習をすることができますが、試合はセカンドチームですることになります。試合は難しく真剣で30000の観衆がいるのが理想です。」

プレミアリーグではセカンドチームがリーグに参加することが許されていないため、まだ本当の準備ができていない才能ある若い選手を育てるために取られる方法は他のチーム、特に下部リーグのチームにローンで貸し出すことである。マンチェスター・シティの例を見ると、現在およそ20人の選手がローンでクラブを離れている。しかし一度ローンで外に出された選手は育成について貸し出し元のクラブのコントロールを離れてしまうことは、30人以上の若い選手と契約し彼らを24の異なるクラブにローンに出しているチェルシーが立証している。こうしたことは最悪の場合、選手を死蔵して彼らのキャリアを破壊することに繋がりかねない。CFGは統一された組織の中ですべて(理論上は)同じスタイルのフットボールをすることでこの問題を解決しようとしている。「このシステムで私たちは正確に彼らがすることを統率します。指導も正確に同じことをしますし、プレースタイルも同じにします」

このビジョンが機能した場合、成功した選手たちはトルケからニューヨークへそしてジローナへ、そして最終的にはマンチェスター・シティへと移っていくことになる。選手たちは其々のクラブの所属となるためCFGは選手を「所有」しない、外部からオファーがあった場合移籍金で適正価格を巡って入札合戦をしないといけないことになる。しかしCFGに属するクラブは件の選手がCFGの全てのクラブのプレースタイルにフィットするという内部情報を持っている。一方で移籍金収入は最終的に個々のクラブの資金となる。今年5月のオーストラリアのミッドフィルダー、アーロン・ムーイについての例がある。彼は2014年にメルボルン・シティに加入し最初の2年でチームの年間最優秀選手となっていた。CFGはムーイがイングランドでプレーする十分な能力があると判断し、メルボルンは彼をマンチェスター・シティに425,000ポンドで2016年6月に売却した。しかし、ムーイは使われることはなく、すぐさま2部リーグに所属していたハダーズフィールドにローンで出された。ムーイはプレミアリーグ昇格に貢献し、ハダースフィールドに1000万ポンドで売却された。この取引は実際には選手がマンチェスターでプレーしていなくても、CFGがどのように選手の内部情報を用いて取引するかを表している。ついでに言えば、この一連のやり取りから得られた利益はメルボルンのクラブ全体を買収するコストの40%以上にもなった。





ップ・グアルディオラをマンチェスターに引き寄せるには時間と忍耐が必要になったが、彼を招聘することは常にソリアーノの大きな計画の一部だった。ソリアーノがシティで最初に雇用した人物の1人に前のバルセロナのフットボール・ディレクターで選手補強とコーチの選任に責任を負っていたチキ・ベギリスタインがいた。「私たちはすぐにペップに話をしに行きました、ペップは世界最高のコーチですからね」とソリアーノは言う。当時グアルディオラはバルセロナを離れたばかりでニューヨークで休暇を楽しんでいた。「私たちは、『OK、来年ね』と言ったんです」とソリアーノは振り返る。「そして翌年になったら、彼が『申し訳ない、僕はバイエルン・ミュンヘンに行きたいんだ』と言うんです。なので『OK、3年後ね』と言いました、そしてその通りになったわけです」。この種の我慢はオーナーがお金に頓着していないのと、ファンが直ぐに結果を求める動きの速いスポーツの中で、待ち方を知っているからできることである。

グアルディオラの重要な仕事は毎シーズン少なくとも1つのタイトルを獲得してソリアーノの「ナンバーワン」の定義に応えることだ。「毎年勝てということではなく、5シーズンで5個のトロフィーという意味です。毎年4月にプレミアリーグ優勝の可能性を残しつつ、チャンピオンズリーグの準決勝を戦っている、ということです」と彼は説明する。シティは後者の方は一度しか達成していない、2015/16シーズンのことで、グアルディオラが到着する前のことだ。しかしこの4年間、目標は常にチャンピオンズリーグを制覇することだと暗に示されている。

グアルディオラの暗黙の役割は試合と記者会見の繰り返しとは離れたところにある。CFGの全てのチームと選手に行き渡る、わかりやすく面白いプレースタイルが最終的により価値があるものであることを証明することを助けることだ。繰り返しになるが、これはバルセロナから拝借したモデルだ、バルセロナでは全ての選手が同じクライフスタイルのサッカーを学び、ジュニアチームからカンプノウまで、選手たちが切れ目なく移っていく。CFGのモデルでは、10以上の国に散在するクラブとアカデミーが同じ事をしなければならない、つまり、ペップスタイルのプレーの仕方を知っていて、グループ内のチームを出たり入ったりする選手の円滑な供給線を作り上げるのである。ソリアーノは最終的にシティに最も良い選手が到達するために、「より途切れのない選手の移動」ができるようにしたいと考えているという。

このことは思ったよりも難しいことが明らかになるかもしれない。今年8月のある日の午後、砂利で覆われた駐車場でテイルゲートバーベキューの煙が立ち上る中、私はニュージャージー州ハリソンにあるニューヨーク・レッドブルズの本拠地に乗り込んだNYCFCのスカイブルーのユニフォームを着たファンの中に紛れていた。元バルセロナの選手で35歳になるダビド・ビジャが1-1のドローを演出した、この対決は既にニューヨークの「クラシック」フットボールダービーとなっている。しかし、この試合のフットボールは相対的にクズだと言って良いものだった、この程度のプレーはイングランドやスペインの2部か3部のものだ。

それより数日前、私はNYCFCのコーチ、パトリック・ビエラを会っていた、彼はシティの23歳以下のチームである「エリート・ディベロップメント」から移ってきてニューヨーク・シティの北、木々に溢れるウエストチェスター群でチームとトレーニングをしている。元アーセナルのキャプテンで、最終的にシティで選手としてのキャリアを終えたビエラに、MLSのルールで給料がプレミアリーグよりはるかに低く抑えられている彼のチームは常に「シティのフットボール」でプレーしているのかどうか尋ねてみたところ、彼はそうではないと認めた。「ニューヨークではマンチェスターと同じようにフットボールをプレーすることはできません、選手に原因があります」と彼は言った。「『美しいフットボール』と呼ぶもの、つまり、攻撃的で、ポゼッションを高めてチャンスを作りゴールを決め、魅力的にプレーするフットボール、これを共通の哲学として持っています。ここではレベルが違いますが哲学が同じであるようにしてはいます」



CFGが大きくなりその影響力が世界に感じられるようになると、ライバルたちはその大きさと自分たちを上から見下ろしていることに恐れを抱き始めている。スペインのラ・リーガの会長であり率直な弁護士ハビエル・テバスは、この夏にCFGが彼の領土に進出して来た時に、シティからローンで貸し出された5人の選手たちについての詳細が誤っているとジローナを告発して、CFGの出鼻をくじいた。ジローナはこれらの選手たちの会計上の価値を上げることを余儀なくされ、スペインの予算制限制度に沿って、ジローナは選手の賃金に使える金額を4%減額された。「私たちは市場価値を適正に評価しなければならなかったのです、だからと言って選手をローンで借りることが不公正であるというわけではありません」とテバスは説明する。ジローナは今だにこの決定を覆そうとしている。

9月にSoccerexが主催したフットボール・ビジネス会議で、テバスはアブダビの会社とのスポンサー契約の形で国家からの援助を隠蔽する脱法行為をしているとして再度シティを非難した(彼は同様の非難をパリ・サンジェルマンのカタール人オーナーに対しても行っている、それについて彼は欧州フットボールの「プールに小便をするようなもの」と語っている)。テバスの見解では移籍金や選手の賃金の上昇を引き起こしているのはファンの要求ではなく中東からの資金であるとし、そうしたクラブを「国営クラブ」と名付けた、それには「マンチェスター・シティとその石油」も含まれている。シティはこれを否定するだけではなく、訴えると彼に脅しをかけた。そしてUEFAはシティの財政状況を調査するようにというテバスの要求を取り合わなかった。しかし、レアル・マドリードとバルセロナによって支配されるリーグの会長から出た悪意の言葉は、CFGの世界拡大への道を、古来の非営利の会員制の構造で阻んでいるこの2クラブが脅威を感じている兆候だと言える。

しかしCFGが法的な限界を力ずくで押し込んでいるというテバスの提言は理のないものではない。2014年にUEFAはその前の数シーズン、ファイナンシャル・フェアプレーに違反したとしてシティに2000万ユーロの罰金刑を課している。一方でオーストラリア・リーグでは昨年、リーグが禁止しているAリーグのクラブ間の移籍金についてCFGが一部の批評家が「笑劇」と呼んだ策謀を用いて出し抜いたとされた後に新たなルールが作られた。マンチェスター・シティはアンソニー・カセレスという地元の選手を、移籍金を払うことでオーストラリアの他のクラブを退けて獲得し、すぐにメルボルンに貸し出したのだった。リーグはサインしてから最初の1年間は練習を禁止することで対応した。

潤沢な資金により複数のクラブを所有することは世界規模の展開を可能にする一方で別な困難の要因にもなっていて、CFGの背後に見え隠れしているアブダビのイメージを守りたいということがその原因の一部になっている。このことはサディヤット島の美術館のコレクションのような野心的なプロジェクトによって、移民の権利を侵害しているとしてUAEを告発している権利団体の注意を惹きつけているため更に困難なことになっている。今年、ワシントンでUAE大使館からのメールがリークした時、その中には、CFGの取締役がクイーンズの公園にNYCFCのスタジアムを建設する件について苛立っていたことを明らかにしたメモがあった、既にその件では対立があることが明らかになっている。スタジアム建設に反対する人たちが「同性愛者(の権利)、女性、富、イスラエル」に対する態度を標的として、この計画にアブダビが参加していることを攻撃してくることを恐れていたのだ。このスタジアムの建設計画は廃案となり、NYCFCは今だに自前のスタジアムを所有していない。


ットボールの経済学には中心に矛盾が存在する。世界規模のビジネスが年間10%かそれ以上伸長している時でも、多くの利益を得ているクラブはいくつもなく、オーナーの年次配当も言うまでもない。巨大なプレミアリーグのクラブですらも、過去5シーズンのうち3シーズンは全体で税引前で損失を計上している。しかしクラブの価格は上がり続けている。例えばマンスールはシティの前のオーナーである追放されたタイの元首相タクシン・シナワトラが15ヶ月前に支払った額に比べて、およそ2倍の額をシティのために支払ったと見積もられている。

ソリアーノはスポーツチームは毎週毎週、利益を定期的に再投資するように促される容赦のない競争に晒されているのだと言う、つまり、オーナーが本当に利益を得るためにはクラブを売却するしかないことになる。別な見方として、フットボールクラブは大金持ちのコレクターにとって「希少価値」があるものになっていて、有名なクラブを所有するごく少数の特別な人間になるために億万長者たちが列をなしているというものがある。フットボールクラブは信じられないほど持続力のある資産である、1880年に労働者たちを酒と喧嘩から遠ざけるために牧師の娘アンナ・コンネルによって設立されたマンチェスター・シティは歴史が2世紀目に入った多くのうちの1つである。「1917年にニューヨーク証券取引所に上場されていた企業で今もあるのは何社でしょうか?」とソリアーノは言う。

最終的には才能と感情の組み合わせで価値が生まれる、それは選手とそれに熱狂するファンである。これはソリアーノが言うところの「愛」である、オーナーが望む成功した多国籍企業になるためには、CFGはそれをお金に変えなければならない。グアルディオラがシティのために涙を流す時、それはチャンピオンズリーグを制覇した時になるだろうか、ソリアーノはそれが今シーズンであることを願っている、その時にはイングランドで最も歴史のあるフットボールクラブの1つであるチームのファンは賞賛を惜しまないだろう。もっと多くの人がそれに続くことになるかもしれない。

しかしCFGの多国籍企業モデルによって私たちはこの「愛」が実際どのくらい価値があるものなのか更に厳密に見極めなければならなくなった。CFGはコカ・コーラやディズニー、あるいは Google に規模と価値で対抗するようになるのか?そうなるためにはマンチェスター・シティは更に多くの試合に勝って多くのタイトルを勝ち取らなければならない。その時までにCFGのモデルが機能していれば、他の多国籍フットボール企業が現れているかもしれない、それらの全てが世界規模で愛をお金に変えるのである。もちろん、厳しいビジネスの世界では、CFGの世界覇権の「真の」金銭的価値を明らかにする方法は1つしかない、マンスールかあるいは他のだれかが、このクラブを売却する日に市場がそれ自身で判断することになる、そしてすべての愛に値段がつくことになるのである。

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