2019年2月18日月曜日

1つの選択が患者の生死を分ける時


ある医師が迫られた難しい決断


TONIC
Siddhartha Mukherjee
Oct 3 2018

小説家のヴィエット・タン・グエンの言葉を言い換えれば、あらゆる医療に関する事例は2回起きることになる。1回は病棟で、そしてもう1回は記憶の中でである。それも、以下でお話する件の中のいくつかの部分は、まるでハイビジョンカメラで撮影されたもののように今でも鮮やかに残されている。ぼやけている部分もあるのは、私自身が無意識に記憶を削除したり変更したりしたに違いない。当時の私は33歳でボストンのある病院のシニアレジデントだった。私は心疾患集中治療室に配属されていた、この部署は準ICU的に最も深刻な状態の患者が入院している場所だった。

記憶では妙に陰気な雨の多かったその9月の半ば、私は52歳の男性を病室に迎えた。彼のことは名前の最初の1文字をとってMさんと呼ばせて頂く。私たちは医療に関わる者として患者が識別できるようなことを書いてはいけないことを注意されている。

ある先輩は私に「泣く医者は役に立たない」と言った。あるいは「自分の目が曇っている人に目の検査はできない」とも言われた。だが、Mさんのケースはそれを実行するのが特別に困難なものだった。彼は医者であり科学者で、私と同じように博士号を取得していた。彼は私よりも教育的な意味で15年先を進んでいて、彼が「医者と患者の関係」を私たちに指導するために教壇に立つ姿も想像できることだった。彼は研修医としての訓練を終え、同じ街の別な病院で心臓病学の特別研究員となっていた。その時の彼の肩書は助教授で小さな研究室を任されていた。その称号を持つことは彼にとっての勝利であるように見えた。私には彼と一緒に研究をしていた学生の知り合いがいた。六次の隔たり?せいぜい1次の隔たりだった。

その年の前半、3月か4月にMさんはランニングの途中に息切れを起こした(彼のランニングコースは私と同じだったかもしれない。マサチューセッツ総合病院近くのロングフェロー・ブリッジを渡って川を周りストロードライブを走って戻ってくるのだ)。彼の足は冷たくなり、血の気が引いていった。強い目眩に襲われ、言葉の途中で話すことができなくなった。そして彼は、おそらく彼の同僚の1人から、心不全と診断された。一連の検査で心機能の低下が明らかにされたのだった。クラゲが水槽の中で動いているような通常の意志のある動きではなく、ただのゼリーが漂っているような不気味な不安定さが見られた。生体組織検査が行われ、検査結果はアミロイドーシスで、異常構造のタンパク質が全身の臓器に沈着するという不可解な病気だった。このタンパク質はがん細胞に由来する場合があるが、それもよく理解されているわけではない。沈着したタンパク質は、心臓、肝臓、血管、腎臓などの臓器を詰まらせる。彼はオズの魔法使いに出てくる心を求めるブリキの木こりになぞらえた乾いたジョークを言い、私たちは共に笑った。

Mさんには新しい心臓が必要だった。あたかもロングアイランドにある中古心臓の販売店に出かけて、3年契約のリースで1つ選んでくるように手軽に書いているが、周知のごとく心臓をみつけるのは極めて困難だ。そのために誰かが死ななければならないのだ。毎年アメリカでは約3,000の心臓が移植に利用可能になる。多くのものは、若い人が事故か水に溺れるかによって特殊な状態、脳が死んで心臓が生きている状態になったものに由来している。しかし、それでも十分ではなく、常に約4,000人の患者が心臓移植を待って待機している。そしてその多くの人々は結局見つけることができない。

Mさんはこの待機者のリストに載せられていた。一方で、彼自身の心臓は急激に衰えていて、彼は常に医療監視を必要とする状態になっていた。死に瀕している彼の心筋から、澱んだ池の波紋のような奇妙で致命的な電気的なリズムが発生し、リズムをリセットするために除細動によるショックを必要とした。彼の足には水が溜まり、ふくらはぎはの皮膚は帯状に剥がれてきていた。

Mさんの状態を監視することにはもう1つ理由があった。移植できる心臓は非常に稀であるため、患者が移植の「適格者」であり続けていることを保証するために常に監視していなければならなかった。移植のタイミングは一瞬のことで、待機リストに載っている患者はドナーの臓器を受け取る時に可能な限り最善の状態にしておく必要がある。無害に見える感染症や腎不全は移植後に制御不能なスパイラルに陥る可能性がある。「今状態が悪ければ、後でも悪化するだけです」と移植担当の看護師は私に険しい調子で言った。看護師用の白いスモックに身を包んだ彼女は有能そうに見えた。彼女はMさんのバイタルサインを記録し、そのノートを持って廊下に消えていった。

私たちは彼を見返した。全てのバイタルサイン、体温、呼吸数、心拍数、は忠実に記録されていたし、医師用の記録にも残されていた。私は2日置きに夜の病院で待機していた。Mさんの所に立ち寄って挨拶し、移植担当の看護師が来るのを待つことになる。彼は日曜版のクロスワードで40のヨコが何かで悩んでいるだろう。そして、彼女は彼の番号を確認するはずだ。その日のうちに連絡が来て「おそらく、今夜になるでしょう」と彼女は言うはずだ。

Mさんが入院して3週間目か4週間目の夜遅く、移植担当チームがICUに集められた。高速道路でバイクに乗った若者がコンクリートの壁に突っ込んだというのだ。事故後直ぐに彼は脳死を宣告されたが心臓は無傷だった。Mさんは移植リストのトップに掲載されていた。私は半分走るように彼の部屋にいってそのニュースを伝えた。彼は昼も夜も大半はまどろんで過ごしていて、それは彼が脳に血を送り込むことに問題を抱えている証拠だった。彼は目覚めて疲れたような笑顔を見せ、また眠りの世界に漂っていってしまった。

移植担当チームに呼び出されたのは深夜のことだった。その時Mさんを担当していた看護師が「彼は少し熱があるようです」と言った。彼女はなるべく穏やかに私を見ようと努力していた。「そんなことはない。なんでもないから仕事に戻りましょう」彼女は私にそう言って欲しそうだった。

「少しというとどのくらい?」

「101(38.33℃)です」

「もう一度測ってみてください」

彼女はもう一度測った。101だった。

彼の最高血圧もこれまでになく下がっていた。それはほんの僅かな数字だったが、彼の血圧は元々常に低かった。

私は自分の選択の重さを考えて一瞬静止した。「別な体温計で試してみましょう。血圧ももう一度測ります。10分以内にやりましょう」

彼女はナースステーションから別な道具類を持ってきた。Mさんは周囲がガヤガヤ言う中で徐々に意識を取り戻していた。彼はぼんやりと座っていた。

「具合は悪いですか?寒気はする?」

「しないよ」と彼は言った「何でもないよ」

私は彼を極めて注意深く検査し、原因になる可能性のあるものを見つけようとした。

看護師が部屋に入ってきて、私に外で話すように合図をした。私は彼女とナースステーションで話をした。「体温を記録した方が良いでしょうか?」彼女は私に囁いて聞いた、まるで盗聴されているのを警戒しているようだった。

私たち2人にとってこの賭けの結果は明らかだった。私たちが体温の数字を記録すれば、Mさんは一次的に翌日の待機リストから外されることになる。この病院で移植手術を実施する場合、敗血症の可能性がある発熱した患者を手術室に入れる危険は決して冒さないことを私は良く知っていた。

私は全身に痺れを感じた。医療というのは感情に左右されずに客観的なデータを見ることに依存している。そのことを私は10年の訓練で教えられていた。しかし、同時にそれは検査が私たちを誤解させ、データが私たちを欺く可能性があるという考え方にも依存している。どんな患者が割り当てられた箱にぴったり収まるというのだろう?私の指はメモと運命の体温上昇の記録を書き込むためのコンピューターの上に浮かんだままになっていて、私はなんの言葉も打ち込むことができなかった。

深夜1時、私は医師に連絡をとった。私は自分をバカみたいに感じていた。私は彼女が急性心疾患の困難な問題を予想しながら夜の楽しみを中断して慌てて電話を取るところを想像していた。その代わりにここにいるのはメモを書くかどうか判断できずに混乱して躊躇している研修医だった。しかし、彼女はすぐさま事情を理解した。彼女は今回の件の詳細に踏み入って、感染症について本当に評価したのか私に聞いた。した、しました、私は彼女を安心させた、というよりも自分を安心させたかった。

「シド、これは本当にあなたの決断になります」と彼女は言った。「ですが、他の病院で若い人が、博士号を持った医者が、同じ心臓を待っていることを考えなければなりません。もしあなたの患者が感染症を持っていれば、これを活かすことはできずに新しい心臓は彼と共に死ぬことになるのです」

私は電話を置いて看護師の方を振り返った。熱は100度(37.78℃)に下がっていた。もし私たちが最初の検温をしていなかったらどうなるだろう?もし私たちがバイタルサインの記録を一回分忘れていたとすればどうなるだろう?私たちが測定していない全てのことについてはどうなのだろう?筋肉の調子は?覚醒していることについては?もし森の中で体温が上がるというなら…

私はコンピューターに戻り、メモをタイプしようとして躊躇して再び止めた。

私は結局最後のメモをその深夜2時に書いた。体温101度、現在は100度。感染症の明らかな発生源は見られず。胸部のレントゲン写真には肺炎の兆候は無し。身体の完全な履歴及び検査は明らかにされていません。血液培養のデータ待ち。

翌朝になって、私はまるでチームを敗退に導いたような気分だった。私は同僚の研修医たちの視線で頭蓋骨に穴が空きそうになっているのを感じながら静かに今回の件について説明を行った。誰も何も質問はしなかった。

私のそこでの勤務はもう数日残っているだけだった。私はMさんに別れを告げに行った。彼の熱は夜通し上昇していたが、結局発熱はひとりでに治まったのだった。私は彼に「残念です」と言い、彼は頷いた。

Mさんはそれから数週間後に致命的な不整脈によって亡くなった。次の心臓が使えるようになることはなかった。再び熱が上がることもなかった。

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