2018年10月25日木曜日

フランスに白人に対する差別は存在するのか?


「白人を吊るせ」と歌うラップミュージックの映像がフランスにおける所謂「逆レイシズム」という新しい議論を呼んだ。


Al Jazeera
Rokhaya Diallo
11 Oct 2018

先月フランスのツイッターでは「白人を吊るせ(Hang the Whites)」という邪悪なフレーズがトレンドになっていた。この恐ろしい言葉で国全体の注意を惹いたのは、今まで誰も聞いたことがなかった黒人のラッパー、ニック・コンラッド(Nick Conrad)による、PLB(フランス語で「白人を吊るせ」という言葉の略)という名前の曲だった。

曲そのものと同様に挑発的なこの曲の動画が少しの間 YouTube に投稿されていたが、抗議により取り下げられている。この動画の中でコンラッドと仲間は白人の男性を追いかけ、拉致し、拷問し、暴力的に殺害する。この衝撃的な曲の歌詞は「白人の赤ん坊を殺せ」「その親を吊せ」と続く。

この動画はすぐさまフランスの政界で議論に火をつけることになった。

コンラッドの動画に対し、フランスの極右政党国民連合の党首マリーヌ・ル・ペンは「自称専門家やメディアの人間が口にしない白人に対する人種差別」だと批判した。

内務大臣のジェラール・コロンも「この忌まわしい言辞と恥ずべき攻撃を無条件に非難する」とツイートしている。

そして9月27日、パリの検事局はこのコンラッドの動画が犯罪の教唆に当たるかどうかを判断すべく調査を開始した。

私自身がこの動画を見たのは話題になり始めて数時間後のことだったが、同様にショックを受けた。私が見たものは暴力により不安を掻き立てられる以上のものではなく、人間の殺害を気味悪く詳細に描写した言葉は耐え難いものだった。

ニック・コンラッドは9月26日に RTL のインタビューに応じ、この曲は「ヘイトを扇動」するものではなく、黒人たちが実際に経験したことを基にして作られた「フィクション」であり、印象を強くするために人種を反対にしたのだと説明した。

彼は、この動画で彼が白人の男性を拷問して殺害するシーンは1998年のハリウッド映画「アメリカン・ヒストリーX」のシーンを再現したものだと話した。この映画では同様の方法でネオナチが黒人男性を殺害するシーンがある。彼はこの映画を参照して「ブラック・ヒストリーXが始まったところだ」という歌詞もつけている。

ツイッターにはコンラッドを擁護して、これは殺害を教唆する「人種差別」の曲ではなく、実際に黒人たちが長い間直面してきた差別に興味を引くためのアーティストによる挑発的な試みだという主張をする人々もいた。

コンラッドのインタビューとツイッターで彼を擁護する人たちのコメントを読んだ後でも私はまだ完全には納得できなかったので、私は再度この動画を見ることにした。この不愉快な映像を別な視点から見て、私はコンラッドの説明にはある程度の理があることを認めなければならなかった。

この動画の全てのシーンとこの曲の韻を踏んだ歌詞は、黒人たちがそう遠くない過去に受けていた虐待を描写したものだ。コンラッドが「奴らをすぐ捕まえてそいつの両親を吊るせ。奴らが泣き叫ぶ姿は子供から大人まで黒人みんなを楽しませてくれる」と歌うのは、明らかにジム・クロウの時代に黒人に対する公開処刑を見世物にしていたことを参照している。「奴らを強く鞭打て、血が吹き出して死の匂いがする」というのも同様である。

アーティストが自分の作品を通して視聴者にショックを与える手法の効果は疑問であり逆効果ですらある。しかし、私は未だにこの動画を制作した彼の本当の意図を測りかねているし、不快な暴力の描写に懸念を持っているにも関わらず、この暴力的な映像の下に新しい意味の層を見て取ることができると認めざるを得ない。

コンラッドの動画は単に暴力を礼賛するものなのか、人種差別に物議を呼び論争を起こすものなのか、私はまだ判断がつかないでいる。しかし、一旦この動画そのもののことは脇に置いて、この動画に対する反応の方に焦点を当てて見ると、私たちは更に興味深い疑問に直面することになる。どうして殆ど知られていなかったラッパーが動画をインターネットに投稿しただけで「白人に対する人種差別」の象徴となり国民的議論の的になったのだろう?

コンラッドの動画に対する反応を見ていると、売れていない芸能人や知られていないミュージシャンによる何かしら人種差別的な歌やコメントでこんなに激しい反発があったのを見たことがあったかどうか疑問に思わざるを得なかった。私が思いつく限りでは、こんなことは今まで見たことがない。

コンラッドはスーパースターではないし、この論争を起こすまでは一般に広く知られた人物でもなかった。彼の音楽はフランスのどこでも影響力を持つようなものでなかったのは明らかなことだ。

では何故、多くの著名な政治家たちがソーシャルメディアでフォロワーが200もいないような誰にも知られていないラッパーに対して多くの反応を見せたのだろう?

今回のことで普段人種差別に反対することには興味を示さない人たちが「人種差別」から白人を「守る」ために突如として人権の擁護者に成り代わったのは明らかだった。結局、今回の議論は全体として、「白人に対する人種差別」というものが存在するのだと証明するために長い間努力してきた極右勢力に材料を提供しただけのことだった。

人種差別(racism)というのは孤立した活動を集めたもののことではなく、ある人々の集団を抑圧するシステムのことだ。今日のマイノリティが経験していることは奴隷制度と植民地主義から始まった支配の歴史の結果によるものだ。これは個人同士のやりとりだけでなく制度的なレベルでも機能する。例えば、警察の暴力行為は圧倒的にマイノリティがターゲットにされている。

こうした社会システムの中でも白人たちが中傷やヘイトの対象にされる可能性はあるだろう。しかし、彼らは特権的なグループに属しているのであり、人種を理由に体系的に抑圧されていると言うことはできない。世界中のあらゆる場所で白人であることは有利に働く。これは世界的に白人至上主義であることを意味している。1人の女性が男性に打ち勝ったからと言って男性差別だと言い始めることができないのと同様に、このような論争の背後に「逆人種差別」があるという話を始めることはできない。マイノリティの人々には自分たちが有利になるようにシステム自体を変える力がない以上、「白人に対する」「逆」人種差別などというものは存在しない。

コンラッドの動画に対する最も懸念される反応はフランス政府に近い反人種差別組織「人種差別と反ユダヤ主義に反対する国際同盟(LICRA)」によるものだ。彼らは「 LICRA はニック・コンラッドが告発され訴追されることを期待している。法律には加害者と被害者の肌の色に関する規定は存在しない」という宣言を出している。人種差別の被害者を支援するはずの組織が人種差別について理解できていないという事実はフランスの人種問題を巡る混乱について多くのことを物語っている。皮肉なことは、この国には国勢調査や公式文書には人種についてなんのデータも存在せず、いまだタブーになっている状態でこの論争が起こっていることだ。

警察の手によって実際に有色人種のアダマ・トラオレが殺された時には沈黙を保っていた一部の政治家たちが、今回の件ではシステム上は何の脅威もないにも関わらず、素早く白人たちに寄り添う姿勢を見せたことに私は考えさせられる。どうしたら、特権的な地位にいる人々を標的にした9分間の動画が、何十年も私たちの街で起こっている非白人たちに対する人種差別行為よりも国を揺るがすことがあるというのだろう?

どうしてコロン内務大臣は、この無名のラッパーの行為を所謂「白人に対する人種差別」だと迅速かつ断固として非難しておいて、安全を求めて私たちの国に近付こうとしている絶望した移民たちが欧州の国境で極右活動家に攻撃される時に無言でいられるのだろう?

コロンのような政治家たちはいつになったら、実際には誰の脅威にもなっていない動画を非難するのと同じ熱意で、私たちの国を傷つけ無実の人々の生活を脅かしている本当の人種差別行為を非難するエネルギーを持つようになるのだろう?

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