2018年7月17日火曜日

クイーン・オブ・クライム


アガサ・クリスティはどのようにして殺人ミステリーの手法を作り上げたのか。


THE NEW YORKER
Joan Acocella
August 16, 2010

さな場所、それは、雪に埋もれた列車だったり、女学校やイギリスの田舎の家、そうした場所に彼ら、おそらく8人か9人の人々が集められる。そして、なんてことだ!死体がある!これは誰なのだろう?何故?どうして?彼らは集まり、探偵を呼び寄せる。探偵は「誰もこの場所を離れないで下さい」と言う。彼は人々ひとりひとりの関係を尋ねてゆく。そして最後に彼は全員を集め、興味深いパーティーを開催して「タネ明かし」をする。彼は殺人者の名前と動機と方法を述べる。被告人に抗議の余地はほとんどない。ごくまれに犯人は自殺を試みることもあるが、基本的には自白するのがルールだ(「あんな男の魂など地獄で腐ってしまえば良いのだ!私はやったのだ!」)、そして警察に連れられて静かに出てゆく。 チャーリー・チャンが登場する探偵映画や、探偵演劇「Clue」を見た人、あるいはこの50年間に書かれたミステリー小説を読んだ人は、アガサ・クリスティが1920年代に作り出したこのシナリオを認識することになる。

探偵小説はエドガー・アラン・ポーによって発明された。しかし、彼は4作品を書いただけで興味を失ってしまったようだ。彼が残したものを他の作家たちが取り上げたが、このジャンルの専門職としての「キャリア」を最初に作り上げたのは、今日でも我々にとって重要な人物であるアーサー・コナン・ドイルである。彼のシャーロック・ホームズ・シリーズは1887年から1927年まで書かれた。クリスティの時代までに探偵小説には少なくとも2つの慣例が確立されていた。1つ目は探偵がエキセントリックであること(犯人を追っていない時のホームズはソファーに座り、退屈とコカインを嗜み、研究のためだと言って壁を狙撃したりする)。2つ目のルールは推理が絶対的な中心になっていること。探偵は仕事をする間はほとんど感情も見せない。彼が見せるものは、そしてストーリーの中に組み立てられる上で大切なのは帰納的推理による理論付けである。

クリスティはコナン・ドイルに30年遅れて探偵小説を発表し始めた。基本的にはドイルが確立したルールに従っていたが、彼女はそれを更に練り上げ、小さな場所、尋問、犯人の暴露、というシナリオを作り上げる。彼女は一貫してその手法を駆使して1920年から1976年の間に66の探偵小説を発表した。彼女の本はおよそ45の言語に翻訳され、20億部が販売され、歴史上最も広く読まれた小説家となっているという。また、クリスティ自身について書かれた本も発表され続けている。この1年で2冊の本が出版されている、1つはリチャード・ハックによる「Duchess of Death(死の夫人):アガサ・クリスティの非公認伝記」で、この筆者はこれまでにマイケル・ジャクソンや初代FBI長官ジョン・エドガー・フーバーなどの人生について書いている人である。もう1つは「アガサ・クリスティの秘密のノート:ミステリー作者の50年」という本で、こちらはクリスティの敬虔なファンであるジョン・カランが書いている。私たちはアガサ・クリスティを扱う時、彼女を文学者というよりもビートルズやバービー人形のような文化的現象として捉えている。


リスティは1890年に生まれ、イングランド南西部デヴォン州にあるシーサイドリゾート、トーキーの街で育った。彼女の父親フレデリック・ミラーは多少の財産を持っており、暮らしには十分だった。彼女の死後1977年に出版された自伝では、クリスティは父親を次のように描写している。「彼はトーキーの家から毎朝クラブへ出掛けて行った。ランチにはタクシーで帰ってきて、午後にはまたクラブでホイスト(トランプ)をプレーして、夕食の着替えの時間には帰ってきていた」。彼女は「彼はこれと言った特徴のない人だった」と付け加えている。アガサの母クララは特徴のある人だったようだ。彼女は詩を書き、霊魂に関心を持っていたと言われる。アガサが若い頃にクララはユニタリアニズム、神智学、ゾロアスター教に傾倒したこともある。アガサは彼女を敬愛し、彼女のジュエリーやリボンを眺めて過ごしていたという。

アガサは子供の時、話し相手になるような仲間が居なかった。姉マッジと兄モンティは10歳以上年長だったし、学校の友だちもいなかった。それはそもそも彼女はほとんど学校に行っていなかったからだ(彼女は自分で本を読んで勉強していた)。彼女は極度にシャイで、それは大人になっても変わらず、お店に入るのも難しいほどだったと後に書いている。彼女はまた想像上の仲間たちに長い時間親しんでいた。それは王様だったり、子猫や鶏だったりした。異常なほどに葬式に興味を持っていて、頻繁に飼っていたカナリア「キキ」のお墓に花を手向けていた。彼女は「私は幸せな幼年期を過ごした」と書いている。

ある時点で彼女は幸せではなくなる。アガサが5歳の時、フレデリックは資産運用に失敗したという通知を受け、彼の資産の殆どを失ってしまう。彼は仕事を見つけようとしたが、アガサが記すには「当代の殆どの人たちと同じように」(彼女が言うのは当時の同じ階級の人たちという意味)、彼はなんの訓練も受けていなかった。彼は落胆して若くして(55歳)亡くなってしまう。アガサと母親が残され、夕飯はライスプディングだけということが多くなった。

若い女性となったアガサは仕事のことは全く考えていなかった。彼女は夫を探すことだけを考えていて、24歳の時に成就することになる。夫となったのは魅力的なアーチー・クリスティでイギリス陸軍航空隊に所属する軍人だった。2人が結婚したのは第一次世界大戦が始まってすぐのことだった。アーチーはフランスへと送られ、アガサはトーキーの臨時病院の薬局で働いた。戦争が終わると2人はロンドンの郊外に居を構えた。そして、娘のロザリンドが生まれた。アーチーはロンドン中心部の所謂シティで働き、アガサは小説を書き始めた。小説のことでアガサは最終的にアーチーが何かおかしくなっていることに気づくことになる。彼は利己的な批判者になっていった。アガサは彼の言葉を書き残している「人々が病気や不幸になるところが許せない。僕にとっては全てが耐え難い」。アガサは30代に入って若々しい見た目は失われていて、小説家として成功し始めていたこともあり、アーチーはますますゴルフ場で時間を過ごすようになっていった。

1926年にクララが亡くなり、アガサは悲しみの中に突き落とされた。アーチーはそのことで自分の幸福を妨害されていると感じていた。アガサは母親の家に移り住んで家の売却の準備をすることになり、アーチーはごくたまに尋ねてくるのだった。ある日彼は到着するなり、2人の共通の知人である女性でゴルフ仲間のナンシー・ニールと恋に落ちていることを告げ、アガサに離婚を求めた。それ以来、彼はほとんどの時間をクラブで過ごし、週末はナンシー・ニールと過ごすようになる。アガサは彼の気持ちを変えさせようと説得を試みていた。そしてある日、アガサは車に乗ってどこかへ行き、結局警察は彼女を見つけるために10日を要したのだった。

の時何が起こったのか、後の情報をまとめると次のようなことだ。彼女は家から1時間ほど車を運転し、ロンドンの南、サリーの街の近郊で車を乗り捨て、列車に乗ってロンドンのウォータールー駅まで行っている。そこで彼女はヨークシャーの温泉街ハロゲイトにある水治療法ホテルの宣伝ポスターを目にする。その夜、彼女はハロゲイトに行き、ホテルにテレサ・ニールという名前でチェックインし、その場所で読書、ショッピング、散歩をして過ごしていたとされている。

一方では彼女の捜索が開始されていた。サリーの警察は警官500人を動員して彼女の車が乗り捨てられていた地域の周辺で、丘を上り池を攫って徹底的に捜索していた。週末になると野次馬ともボランティアともつかないような群衆が加わり、警察犬も加わり、集まった人々を当て込んでアイスクリーム屋も駆けつけるようになった。ほとんどの主要紙がこの話題を毎日伝えていた。クリスティと同じホテルに泊まっていた他の客たちは新聞に載った写真を見ていたが、彼女との関連に気づかなかった。実際、クリスティは他の客たちと一緒にブリッジをして、小説家が行方不明になった不思議な事件について話し合ったことを回顧している。

最終的に100ポンドの懸賞金が懸けられることになった。クリスティはディナーの後、ホテルのパームコートでバンドの演奏を聴いていた。少ししてから、バンドのドラマーとサキソフォニストが彼女を認め警察に駆け込んだ。警察はアーチーに連絡し、アーチーは自分で移動しホテルのロビーに向かった。クリスティが降りてきた時、アーチーはついに彼女を見つけたのだった。

この謎の多いエピソードを説明するために数多くの斬新な説が展開されている。1つは、この失踪はアガサがアーチーの好意を取り戻すために企てたというものだ。他の説には、彼女の逃走は小説の販促のためだったというものもある。最終的に彼女は別の人間になって思わぬ場所に行こうとする記憶喪失の一種であるフーガを経験したのだという仮説が立てられた。この最後の仮説をクリスティ本人と彼女の家族は採用している。クリスティはこの時起こったことについては記憶が無いと主張し、自叙伝にもこの件については一語も書かれていない。仮にこれがアーチーを取り戻すための策だったとしたら、それは失敗に終わった。(彼は離婚してくれるようにアガサを説得し、離婚すると直ぐにニールと結婚した。その後彼らは幸せに暮らしたと伝えられている)。しかし、仮にアガサの逃走が世間の注意を惹くための努力だったとしたら、それは成功したことになる。彼女はこの時までに6冊の探偵小説を書いており、最新作「アクロイド殺し(1926)」は大人気作品だった。ある意味ではここまでの成功のせいで、彼女の失踪がそれなりに注目を集めることになった。逆に、彼女の失踪が探偵小説と面白く関係づけられたことで彼女は有名人になった。この失踪の後、それ以前の作品も再販されて全て売り切れになったのだった。


リスティの時代この階級の人々にとって物語の執筆活動は珍しい趣味ではなかった。彼女の姉マッジはこのずっと前にウェストエンドで劇団を持っていたこともある。ではなぜ探偵小説だったのか?このことも決して特別な選択ではなかった。2つの世界大戦の間の期間は探偵小説の黄金時代とも称される時期だ。実際書きたい人は誰でも探偵小説を書いていた。このジャンルについての歴史家であるコリン・ワトソンによれば、こうした本は一般の人たちから愛され、家庭の主婦がショッピングバッグに入れて家に持ち込んでいたという。しかし同時に教育を受けた人々からも人気を集めていた。詩人W・H・オーデンは、一度探偵小説を手に取ると読み終わるまで手から離すことができない、と話している。T・S・エリオットの戯曲「一族再会」では「アガサ」という名前の登場人物によって謎が解かれる。所謂知識層の人々には探偵小説を読むだけでなく書く人も多かった。G・K・チェスタトン、セシル・デイ=ルイス、オックスフォードでローマ・カソリックの司祭を務めていたロナルド・ノックス、高名なニーチェ学者だったS・S・ヴァン・ダインなどが探偵小説を書いている。この時期、探偵小説という形式が非常な人気を博していたため、ほとんど全ての探偵小説に契約を得る良い機会があった。このことはクリスティを机に向かわせた理由の1つだったのは疑いがない、アーチーの給料は多くはなかった。当初は彼女もぎこちない書き手だったが、読者が望むものを提供することができた。それは「パズルミステリー」とも呼ばれる犯人探しの推理小説で、読者が本の終わりまでに犯人を推測できるかどうか、という著者と読者の間である種の勝負になっているものだった。

クリスティの小説では、ナイル川やメソポタミアの遺跡のように時には彩りのある舞台が設定されることもあるが、ほとんどの作品の舞台はイングランドである。死体は図書館のような由緒ある場所で見つかるかもしれないし、階段の下にある食器棚の中にテニスのラケットと一緒に押し込んであるかもしれない。凶器に関しては黄金時代のミステリー作家たちは多大な工夫を凝らしていた。クリスティの同業者ドロシー・L・セイヤーズは被害者が殺される可能性として「切手を舐めたせいで毒に侵される、シェービングブラシのせいで恐ろしい病気に感染する、… 毒が仕込まれたマットレス、天井を突き抜けて落ちてくるナイフ、鋭いつららに刺される、電話によって感電する」などを挙げている。クリスティはそこまで非現実的ではなかった。時に犠牲者は撃たれたり刺されたりもすることもあった。テニスのラケットと一緒に押し込まれていた可愛そうなアグネスのように脳天に金串を突き刺されている例もあるが、クリスティは綺麗に頭を殴りつけることの方を好んだ。そして彼女が圧倒的に好んでいたのが毒殺だった。この選択は間違いなく彼女が戦時中に致死能力のある薬物の並んだ棚がたくさんある診療所で働いていたことの成果である。しかし、毒殺は暴行を伴わないことも彼女にとって魅力的だったに違いない。クリスティは基本的に暴力を好まなかった。彼女の小説で、誰か危険な人物が現れた場合でも、彼女の探偵は銃を取り出したりはしない、そもそも銃を持っていないのだ。誰かが助けに来て悪者を組み伏せることになる。誰も助けに来ない場合は、探偵は石鹸水を殺人者の顔に投げつけて難を逃れるのである。

筋書きの中で起こる殺人でショッキングなものは稀である。1つにはそれが起こるところを見ることがないからで、そして多くの場合被害者は読む側が同情したくても同情し難い人物だからである。クリスティは子供を1人や2人殺すことは気にしていなかったようだ。1人は崖から突き落とされ、1人は浮かんだリンゴに気を取られて溺死する。「殺人は容易だ(1939)」の中では小さなトミー・ピアース(彼は動物を虐待していた)が犠牲者の1人になっている。彼を殺した年老いた甘く危険な殺人者は「あの日、私が窓から突き落とした瞬間のトミーの顔を決して忘れない」と言うのである。しかし頻繁に犠牲者になるのは、自分の死を願っていると言って相続人たちを詰ることを楽しんでいる面倒な老人であり、話としては相続人たちに財産が相続される。そして、老人の見立てはたいてい正しかったことになる。退屈とも思えるが、クリスティの殺人で最も多い動機はお金だ。

クリスティの殺人は基本的に心に響くようなものではないというのがルールだが、特別な例外もあることも認めざるを得ない。犯人が、最初の殺人の後に多くを知りすぎている誰かを排除したい場合に犯すものだ。このケースでは多くの場合、被害者は好人物であるか、あらゆる意味で潔白な人物であり、殺人そのものかその予兆が描写されている。「予告殺人(1950)」に登場するミス・マーガーロイドは、偶然にも銃が発砲された時にレティ・ブラックロックがダイニングルームにいなかったことに気づいていた。彼女が洗濯物を取り込んでいる時、誰かが近づいてくる。彼女は振り返り、歓迎の笑みを浮かべる、明らかに近所の誰かが来たのだ。雨が振り始めている。訪問者は「これはあなたのスカーフね」と言う。「ちょっと首に巻いてみても良いかしら?」…

クリスティは2人の有名な探偵を創り出している、エルキュール・ポアロとジェーン・マープルである。ポアロは元ベルギーの警察官で今は引退しているが時々事件に首を突っ込む。ポアロを最も明確に特徴づけているのは彼のダンディズムである。髪を黒く染め、細くて黒いロシア製のタバコを吸う。このタバコはしばしば勧められた人への警告と見做される。捜査で頻繁に訪れなければならない田舎の家の敷地を歩くには全く適さない先の尖ったエナメル革の靴を履いている。彼は英国人が新鮮な空気、細身の女性、そしてお茶を好むことを残念に思っている。ポアロは尋問の時にわざと外国人らしさを誇張するのだと述べている。質問された人はあまり真剣に受け止めず、結果的に更に多くを話してしまう。彼のフランス語訛りの英語は申し分なく、「私は英語をとても上手に話します」と誇らしげに言う。

ミス・マープルはポアロとは好対照である。彼女は静かな村、セント・メアリー・ミードに住む「親切でうろたえた老婦人」に見える人物である。彼女は陶器のような青い目を持ち、常に編み物をしている、誰も彼女を警戒しようとは考えない。しかし警戒するべきなのである、彼女は冷徹な探偵なのだ。彼女は事件に関わる時、最悪の場合を信じることをルールにしていると話す。彼女は最悪を受け止める「シンクのような」心を持っていて、結局その視点が正しかったことを残念そうに語るのである。

ミス・マープルは専門の探偵ではないので尋問をすることができないという不都合がある。しかし、彼女はぼんやりした老婦人に見えるため(尖ったエナメル靴を履いたポアロと同じように)、見くびられる傾向があり、それ故に人々は必要以上のことを彼女に喋ってしまう。彼女の手法は平凡な噂話を駆使するものである。「カリブ海の秘密(1964)」では、彼女は特に何もすることなくビーチリゾートにいて、殺人も起こらない。そこに居合わせて、ケニアに出仕した時の思い出話で彼女を退屈させていたパルグレイブ少佐が深夜に亡くなったというニュースを聞き、彼女は行動を起こす。彼女はホテルの泊り客の1人ミス・プレスコットと、これもホテルの泊り客で見た目が好きになれないミスター・ダイソンについて話している。

「あの人の最初の奥様がまだ生きていらした時に何かスキャンダルがあったらしいのです!そのラッキーさんと仰る女性、おかしな名前ですわ!私は最初の奥様のいとこか何かだと思ってましたが、その女性がここに来てあの人たちに加わったというのです。とても仲良くされているようだったので、みんなで噂してましたわ、どういう意味かおわかりでしょうが…」

「皆さんお気づきになっていたのでしょうね?」とミス・マープルが言った。

「もちろんですわ、最初の奥様が突然お亡くなりになって—」

「それはここで、この島でお亡くなりになったのかしら?」

「いいえ、違いますわ。あれはマルティニークかトバゴにいた時だったと思います」

「そうですか」

「でもね、わたくしその時一緒にいてここに来た方たちから聞きましたの。皆さん色々お話になってまして、お医者様は納得していないそうですの」

「まあ」とミス・マープルは興味深そうに応えた。

「これはただの噂なんですが、ミスター・ダイソンはすぐにまた結婚したというのですよ」彼女は更に声を潜めて言った「たった1ヶ月後にですよ」

「たった1ヶ月ですか」とミス・マープルは言った。

リスティのストーリーは大体において次のように進んでいく。まず尋問によって、ミス・マープルの場合は尋問しないことが多いので詮索によって(彼女は双眼鏡で覗くことを躊躇したりはしない)、これらによって捜査する人が容疑者それぞれについて2つのことを判断する。1つ目は、その人に動機があるのか?例えば被害者の相続人である息子の場合なら、借金で苦しんでいないか?2つ目は、その人にその犯罪を犯す機会があったか?貧乏な被害者の息子は殺人があった時にどこにいたのか?

これらの答えが決定的なものになることは稀である。時には、動機がある人には確固たるアリバイが存在したり、逆に、無関係に見えるような人が全く薄弱なアリバイしかなかったりする。「ポアロのクリスマス(1938)」の中には、上の階で家族の長が喉を掻き切られて殺されていた時、1人でボールルームにいてレコードを聴いていたと若い男性が自ら主張する場面がある。ポアロはこれを有罪ではなく無罪の指標と見る。ポアロが言うにはこれは「求められた答えを用意していなかった人のアリバイ」なのだという。最終的に、この若い男性は疑いの中に入ったままだが、すぐに探偵の指が他の誰かを指し示すのである。この読者を惑わす手法はサスペンス文学の中では標準的なやり方だが、クリスティのように駆使できる人は誰もいなかった。

クリスティは読者を助けようとする、若しくはそうするフリをしようとしている。ホームズだったらワトソンというように探偵には大抵の場合相棒がいる。その探偵の相棒はそこまでの発見を整理してくれる。探偵に誰も整理して伝えてくれる人がついていない場合は、それぞれの容疑者についての証拠のリストが(クリスティによって)作られることが多い。この手法によってクリスティは、読者が自分で謎を解くことが出来ると思わせ続けておくのである。

その上で彼女は読者を更に混乱させようとする。よく使われるのは重要なものから読者の気を逸らす「燻製ニシンの虚偽」と呼ばれる手法である。バイオレットがジムの名前を聞いて卒倒する時、あるいは、ピラールが彼女のパスポートを窓から投げ捨てる時、経験豊富な読者たちはこれは無視するべきものだとということをわかっている。あまりにもあからさまなのだ。しかしポアロが、ロジャー・アクロイドが死んでから彼の書斎の椅子が動かされていることに気づいたような場合、つまり、取るに足らないことだが、それでも言及されている場合、それこそが本当の手がかりである可能性がある。もっとも、それも慎み深く手がかりに偽装している燻製ニシンかもしれないのだが。

関連した手法に裏の裏をかく「ダブル・ブラフ」がある。クリスティは小説の冒頭で明らかな犯人を見せてくれることがある。「牧師館の殺人(1930)」では、街の牧師が自宅である牧師館に戻ると、画家のローレンス・レディングがちょうど牧師館から青ざめて震えながら走り出てきたところとすれ違う。牧師は自宅に入り書斎に向かう、そして街の嫌われ者の治安判事、プロズロー大佐が頭を撃ち抜かれて机に伏せているのを発見するのである。クリスティは私たち読者にレディングが犯人だと教えてくれているようである。しかし、私たちは今はクリスティのことを知っている、レディングが犯人では露骨過ぎるではないか。本の構成として露骨過ぎる上に結論が出るのは早過ぎる。ということで私たちは彼を容疑者のリストから外す。そして直ぐにその判断は正しかったことが説明される。レディングは警察に行き殺害を自白するが、それに続いて殺された大佐の妻であるアン・プロズローが彼女はレディングと愛し合っていて、レディングは自分が犯人だと勘違いして庇おうとしたのだと告白するのだ。しかし、そこから疑いは何度も方向を変えて移動して一周りする。結局、殺人犯はレディングとアンだったということで話は収まる。もちろん「ダブル・ブラフ」は「トリプル・ブラフ」かもしれない。何れにせよ私たちはクリスティが騙そうとしていることを読んで先回りしようとすると、燻製ニシンに更に騙されてしまう。

しかし実際のところ、私たちができる推測はほとんど無駄なものである。なぜなら、ミステリーの解決策というものは、最後に探偵が明かしてくれる本の最後のところまで、私たち読者からは隠された多くの背景が関係しているものだからだ。クリスティの小説は読者を騙したまま話が進んでゆく。レティは本当はレティではなく妹のロティだし、ハティはハティではない。このハティになりすました人はトリエステから来た酷い人で、彼女の夫、サー・ジョージと一緒にハティ(サー・ジョージの妻であった)を殺し、ハティの身元を引き継いだのだった。探偵はこの件を掘り下げていたが、結局本の最後まで誰にも語られることはない。

結論が予測不能で「アンフェア」だという抗議を受けた時、クリスティは読者は結論を見つけることができたはずだと返答している。彼女は犯人は常に最も明らかな人物だと語っている、それがたまたまそう見えなかっただけなのだと。これは厚かましい嘘であろう。クリスティの作品のほとんどで、殺人犯人はありそうもない人物である。ある時は死人だったり、またある時は子供だったり。そして驚くべきことにポアロだったり。さらには12人の容疑者全員が一緒に犯罪を犯したという偉大な業績も存在する。あまり一般化出来るような話ではないかもしれないが、クリスティの殺人犯人は好ましい人物であることが多く、それ故に私たちは疑いを持たないのである。私はクリスティの探偵小説66作品をすべて読んで、そのうち2つで犯人を的中させている。おそらくこれは公平に見て典型的な記録であると信じている。


リスティはどのようにしてこうした独創的な筋書きを考え出したのだろう?ジョン・カランが最近出版した「アガサ・クリスティの秘密のノート」によると、この問題のノートはクリスティが試行錯誤に使った学校で使うものと同じノートだった。殆どは使い古されたもので、彼女の娘がお絵かきの練習をしたり、家族のブリッジ大会の得点表が記録されていたりする。しかし、クリスティは倹約家で、残ったスペースを使って小説の筋を考えている。彼女は可能性のある犠牲者、犯人、その手口についてのリストを作成している。そしてその中から自分の気に入った組み合わせを選んでいた。カランはこれは彼女の想像力の豊かさを表していると考えているが、私はこれは彼女が計算して仕事をしていることを表していると考える、これによって難問にするための適切な深さを保っているのだ。彼女が登場人物に何か心理的な定義を与えていれば、私たちはもう少しミステリーを解くことができるかもしれない。しかし、そこが隠されている限り不透明になり、推理小説である以上そうでなければならないのだが、登場人物の誰もが犯人になり得る。

この方法論が明るみに出たことで批評家からは厳しい評価も下されることになった。探偵小説作家のエドモンド・ウィルソンは「最終的には曲がって錆びた釘を何本か探すために大きな箱を開けて底を機械的に漁らないといけなくなるような感じだ」と話した。これと同じことをクリスティ自身が探偵小説作家であるアリアドネ・オリバ夫人の口を借りて話している。「全て明らかにされるとどういうわけか殺人犯人は物足りないものになって、盛り上がらない」。結局登場人物が魅力的でなければ、誰がプロズロー大佐を殺したかは誰も気にしないのである。

私たちが手にしている本は単に難解なパズルなだけではなくコメディでもあるものだ。登場人物に殺人事件が伝えられると、彼らは「非常に不愉快」だとか「大変だったわね、エルスペス」というような言葉を発する傾向にある。標準的なオスカー・ワイルド後の時代のウィットに聞こえるが、クリスティはこうしたものを素晴らしい場面に作り上げることができる。「パディントン発4時50分(1957)」では大きな屋敷の敷地にある納屋の中に腐乱死体が発見される。ここに住む家主の孫、アレクサンダーは学校が休みで友人を連れてこの家に戻ってきている。このニュースを聞いて興奮した2人の少年は、死体を見るために自転車で納屋に駆けつける。入り口の警官は見ることを許してはくれず、アレクサンダーは懇願する。

「ああ、どうかお願いします。あなたはわかってないんだ、僕たちはその人が誰かわかるかもしれませんよ。お願いしますよ、これは不公平ですよ。うちの納屋で殺人事件があって、こんなの二度と起きるわけがないじゃないですか。どうかお願いします」

「サンダース、中に入れてやりなさい」とベーコン警部は納屋のドアの前に立っていた警官に声をかけた。「若い時は一度だけさ」

殺人犯たちもまた面白いのである。そのうちの1人には、自分が狙い定めた犠牲者の殺害にしくじる可能性を心配するあまり、練習として他の誰か(街の牧師!)を殺してしまう人までいる。

リスティはアーチーと離婚してから1年後に中東を旅し、イラクのウルにある有名な発掘現場を訪れている。そこで彼女は考古学者マックス・マローワンと出会う。そして彼とすぐに結婚することになるのである。彼女はその時39歳でマローワンは14歳年下だったが、彼には障害にならなかった。彼は知的でのんびりした人物であり、愛情のこもった結婚であった。それから数年の間、クリスティは彼と一緒にイラクとシリアの発掘現場を回り、こうした国々を愛するようになるのである。行く先の発掘現場の拠点の多くで、彼女のために書斎が作られた。また、彼女は発掘品の汚れを取り除いたり(彼女は洗顔料を使ったと言われる)、写真を撮ったりする責任ある仕事を任されることもあった。発掘チームは夜には夜会服に着替え、コックはクルミのスフレのような素晴らしいものを提供したという。

マックスとアガサは1960年まで1年毎の移住生活を続けた。後年マックスはロンドン大学に職を見つけ、その後、オール・ソウルズとオックスフォードでも特別研究員に選出された。もちろんクリスティは彼よりも先に歳をとった。自叙伝の中で彼女は「13ストーン(182ポンド:約83kg)の、固い肉と一種の顔としか形容できないもの」と当時の自分を表現している。

クリスティがもっとも輝いた時代は中年期であると言う人もいる。私はクリスティは最高の本と最悪の本を交互に最後近くまで書き続けていたと思っている。クリスティは偉大な書き手ではなかったという話がある。公認の伝記を書いたジャネット・モーガンを含む、彼女の崇拝者の中でもクリスティは特別に優れた書き手ではなかったと言う人もいる。私はそれには反対だ。彼女は良くない本を書くこともあったが、その時は自分でそれを理解していた。「死が最後にやってくる(1944)」を書いている途中で、彼女はマックスに手紙で「失望している」と書いている(実際これは彼女の最悪の探偵小説である)。しかし、彼女は最初からこのジャンルに完璧にフィットしていた。筋書きの厳重さだけでなく、素晴らしく自然な会話を描いている。数年が過ぎて、彼女は細部まで気を配るようになる。ある本では、ウェストチェスターの主教がミス・マープルとホテルのロビーで出会って、ハンプシャーの牧師館で過ごした幼少時代を突然思い出す。彼の頭の中に「ワニになってよ、ジェニーおばさん。ワニになって僕を食べに来てよ」という記憶の中の場面がよぎり、そして消えていく。

しかし、クリスティが40代半ばになった時、彼女は書くことに疲弊し始める。それまで長い間、彼女は少なくとも1年に1冊の本を書いていた。彼女は自身を「ソーセージ製造機」のように感じていたと話している。彼女はその時ポアロを「自分本位の嫌なやつ」だと表現している。コナン・ドイルがシャーロック・ホームズにしたように、彼女はポアロを排除しようとしたが、ファンとそれに従う出版社に抗議される。そして彼女はおそらく第二次世界大戦のために、犯罪に倦怠を感じていたという。大戦の中に於いては彼女のささやかな殺人は取るに足らないものに思えたのかもしれない。彼女は1961年の小説の中で、悪意には「どんな壮麗さもない」と書いている。

彼女は小説から興味を失っている間、演劇に取り組み、その後は映画、テレビにも関わった、そこに彼女の小説を取り入れたのだった。しかし、彼女は晩年になって書くことをあまりしたがらなかったという。ジャネット・モーガンが書いたところによれば、彼女は本の下書きをしていたが、「他のやるべきこと、ガーデニング、料理、外出、マックスの手伝い、の合間にしているのだった。当時の彼女なら喜んで散歩のために本の1つの章を削除した」という。私たちにもそれは伝わっている。登場人物は薄弱なものになり、展開は緩み、話の筋は不条理なものがある(ジプシーの呪いの下で働く家政婦というのがある)。最終的に彼女はせん妄状態になり、1976年85歳で亡くなった。

最後の数年間、皮肉なことにますます彼女の人気は上がっていた。彼女の本がハードカバーにされて最初の数週間で4万から5万部が売れたという。彼女は1971年に大英帝国勲章を受章する。ニカラグアでは政府はポアロの顔が描かれた切手を発行したのだった。


日の読者にとってクリスティの本を読む喜びの1つは、彼女の作品が時代の肖像となっていることだ。2つの世界大戦の間、そしてとりわけ二次大戦後の変化が印象的に描かれている。クリスティの小説に登場するのは、基本的に中上流階級、あるいは上流階級の人々である。彼らは驚きと嫌悪感を持って住宅開発やスーパーマーケットの存在を見つめている。彼らは重い税金について苦々しく不満を述べていて、もはや先祖から受け継がれた広大な屋敷を維持する余裕がなくなっている。最終的に彼らはこの巨大な財産を新興の富豪たちに売り渡すことになるのである。デヴォン州のダート川沿いにあるクリスティ自身の愛らしいジョージアン様式の家も2000年にナショナル・トラストに引き渡された。素晴らしい景観の中にあるこの古い建物を訪れると、磨き抜かれた寄木細工の広い矩形の部屋を臨むことになる。そこは後を継いだ少佐が売らざるを得なくなった東洋の絨毯が敷かれていた場所である。

社会的な不平等はクリスティとその同世代の黄金時代の探偵小説家たちにとっては何の意味も持っていないように見える。ジュリアン・シモンズは論評「ブラッディ・マーダー―探偵小説から犯罪小説への歴史」の中で「この時代の小説の中で社会秩序は固定されていた … インカ帝国のように」と説明している。一方で、クリスティは階級社会の文脈の中で捉えてみると、原始的なフェミニストだったと言える。彼女の小説の中に登場する勇敢な女性探偵はミス・マープルだけではない。そしてポアロは女性について尊大な発言をすることがあるが(「女性というのは決して親切ではないのです」)、こうしたコメントは、彼の尖ったエナメル靴と同じように、やや軽薄なフランス式の風刺の一部である。更に彼の女性に対する中傷は、クリスティ自身が女性であることの難しさを記したものと比べれば些細なものである。「私は少女の頃から頭を働かせてきたのです」と登場人物のある老女は言う。「でも、彼らは私に何もさせてくれませんでした」(彼女はトミー・ピアースを窓から突き落とした人である)。金の亡者であると非難された別の女性は「世界は女にとって残酷にできているのさ。みんな若いうちから出来ることをやらなきゃならない。歳をとって醜くなれば誰も助けちゃくれないんだからね」

クリスティの本については、人種差別、反ユダヤ主義、外国人嫌悪が絶えず話題になる。1つには、ある女性が供したデザート(ホイップクリームがかけられたチョコレートプディング)が「Nigger in His Shirt(シャツをきた黒ん坊)」と呼ばれているシーンがある。また外国人に対する軽蔑の意を含む、dagos、wogs、Eye-ties 等という言葉も使われている。しかし、最も頻繁に話題になるのはユダヤ人についてである。初期の作品「チムニーズ館の秘密(1925)」では、ハーマン・アイザックステインという、大きな鼻の資本家が政治会議に招待されている。会議のホストであるケイタラム卿はアイザックステインが誰であるかを伝えられると「例の人たちが持っている奇妙な名字だな」と言う。ケイタラム卿は彼を Nosystein(鼻デカステイン)とよび、他の人たちもこれを縮めて彼を「Nosy(鼻デカ)」と呼ぶようになる。

このような扱いは笑いを誘うことを意図されたものである。こうしたものはクリスティの作品全体に跨った風刺の一部である。例えば、田舎の女性たちは、庭と犬に夢中になっている、上唇が固い、キュウリのサンドイッチを食べる、というような偏見がついて回る。第二次世界大戦の後、特にアメリカの読者の中には、こうした民族的偏見を嫌ってクリスティの作品を楽しまなくなった人たちもいる。クリスティ作品の出版社は名誉毀損防止同盟からのものを含む抗議の手紙を受け取っていた。彼女の代理人はこうした手紙は彼女にとっては意味がないと思ったのかもしれない。いずれにせよ手紙はクリスティへは渡さなかった。代理人はアメリカの出版社ドッド・ミードに対し、ユダヤ人やカソリックが不快と受け取る可能性がある表現を削って良いという許可を与えたのだった。クリスティはその変化には気づかなかったという。

クリスティの人気と彼女の時代の探偵小説に対する熱狂について、微妙な説明を試みる人たちもいる。W・H・オーデンは基礎にあるのは宗教だと考えた。少なくともプロテスタントの国では、小説の中で犯罪が解決されることが私たちを罪の意識から開放し無罪に戻してくれるのだと書いている。またある人は、探偵小説による慰めは政治的なものだと主張した。大戦の間は恐るべき政変に見舞われた時代だった。探偵小説では、破壊的な力が社会の秩序の中ではなく排除可能な1人の悪い人の中にあるということが人々を安心させたのだという。小説家のジョン・G・カウェルティの著書「Adventure, Mystery, and Romance,」によれば、探偵小説のジャンルは未だに社会的な義務を果たし続けているという。他の視点としては、探偵小説は損失と回復が文学的であるというものがある。モダニズムに当てられた若い人たちは、主題や述部あるいは序論、本論、結論がある探偵小説を見つけて喜んでいるという話もある。ホルヘ・ルイス・ボルヘスは探偵小説を読んだ後、それ以外の小説を読むとまとまりのないものに感じると述べている。そしてこれらのすべての議論に共通するものとして、探偵小説の魅力は秩序の回復にあると言える。

ミス・マープルはこのことにはあまり同意してくれないだろう。あるいは、彼女の見解では秩序が回復するのは、また次の時まで、ということになる。彼女は第二次世界大戦以降、人々は隣人が誰であるかを知らなくなったことを述べるが、彼女は現代の不安の原因が本当にそこにあるとは信じていない。「戦争(どちらの戦争も)のせいにすることはできる」と彼女は考えている。「若い世代、女性が働きに出ること、原子爆弾、あるいは単に政府—、けれど、実際に意味があることは、人は老いてゆくという単純な事実だった」。犯罪に関しては、彼女は永遠にそこにあるもので、小さな安定したコミュニティの存在というのはなんの防護策にもならないのだと考えているようだ。「村では悪いことがたくさん起きる」と彼女は言い、セント・メアリ・ミードで起きた毒薬事件、暴力事件、強姦、強盗などの描写を楽しんでいる。これは喜劇的であり、後の批評家が言うように、邪悪なものを表現するためにコメディ的手法が用いられている。しかし常にクリスティの中には憂鬱があり懐疑的態度が示唆されている。「書斎の死体(1942)」で登場する死体はホテルのダンスインストラクターであるルビーのものである。彼女は自分のパーティードレスのサテンのウエストバンドで絞殺されている。「もちろん彼女には目立った特徴があるだろう」と警視総監は彼女について言うと、「おそらくそうでもないでしょう」とミス・マープルは答えるのである。

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