2018年9月16日日曜日

本当の殺人を犯した5人の犯罪小説家


実生活で作品を模倣したか、あるいはその反対か


VICE
Eve Peyser
Sep 14 2018, 5:27am

今月始め、オレゴン州に住む「(夫を)殺すことを毎日夢見ながら結婚生活を続ける女性」についての本を書いていた68歳の小説家、ナンシー・クランプトン・ブロフィが夫を殺害した疑いで逮捕された。彼女は危険なロマンス小説を書く小説家で、2015年に自主出版した本「The Wrong Husband」は、ある女性が虐待をしてくる夫から自分で死を装って逃れるという内容のものだった。そして2011年には、自身のブログ「See Jane Publish」に「夫を殺す方法」という内容の記事を書いている。

「ロマンティックサスペンスを書く小説家として、私は多くの時間を殺人について考えながら過ごしています。その結果として警察の手順についても考えます」と彼女は書いている。「結局のところ、殺人によって自分が自由になれることがあるとしても、その後刑務所で過ごしたくはありません」

クランプトン・ブロフィが逮捕された殺人は作品を模倣した特別に不合理なものだったが、こうしたことは滅多にないこと、というわけでもない。犯罪小説の書き手が自身のフィクションを現実にし、時にはその現実を作品にも反映させたケースもある。そうした不気味で恐ろしい例を集めた。


刘永彪(Liu Yongbiao)



2017年8月に中国の小説家、刘永彪が20年以上前の4件の殺人事件で逮捕された時、彼は執筆に取り掛かっているところだった。その本は「人殺しの美人作家(The Beautiful Writer Who Killed)」というもので、伝えられるところによると「ある女性作家が何人もの人を殺してきたが、未解決のままになっている」という内容だったという。当時の VICE の記事によると:

中国のウェブサイト Sixth Tone によると刘永彪は金曜日に自宅で逮捕された。彼は共犯者と共に1995年に凶悪な強盗事件に関わった疑いが持たれている。刘(53歳)と王(65歳)の2人の容疑者は、当時、浙江省湖州市のホステルで宿泊客に強盗を働き、その過程で男性を死に至らしめたとガーディアンが報じている。更に彼らは事件の発覚を防ぐためにホステルの経営者2人とその13歳の孫を殺したとされる。

この件は未解決事件になっていたが、新たなDNA鑑定によって警察は刘永彪に行き着いた。彼は金曜日に逮捕された時、警察官に「ずっと待っていました」と話したと言う。

刘永彪の最後から2番目の小説のタイトルは「疚しい秘密(The Guilty Secret)」というものだった。彼が彼の妻に宛てた手紙では、彼は罪を告白し「私は20年間恐怖の中に生きてきました。この日が来るのを知っていたのです。長年耐えなければならなかった精神的な苦痛からついに解放されました」と書いている。

デイリー・メイルによると、刘永彪は2018年7月に死刑判決を受けている。


ブレイク・レイベル(Blake Leibel)



今年6月、小説家のブレイク・レイベルはガールフレンドだったイアナ・カシアンに対する拷問と殺人の罪で終身刑を言い渡された。「彼女の体からは全ての血が流れ出ていて、検察官はこの犯罪は容疑者が制作に関わったグラフィック・ノベルの内容を投影したものだと述べている」と CBS ロサンゼルスが伝えている。

検察官のベス・シルバーマンはこのレイベルが2016年に行った残虐な拷問と殺人は「作品を模倣したもの」だと述べ、彼の2015年のグラフィック・ノベル作品「シンドローム」には瀉血の描写があったことを指摘している。また、その本の表紙には実際の犯罪現場の死体と同じように頭皮が剥がれた人形が描かれている。


リシャルド・クリンカーメル(Richard Klinkhamer)



1992年、オランダの犯罪小説家リシャルド・クリンカーメルの妻が行方不明になって1年後、彼は出版社に小説の原稿を渡した。ガーディアンによると「その原稿の内容は、クリンカーメルが彼の妻ハネローレを殺すことができた7つの方法を詳しく説明した恐ろしいもので、そのうちの1つのシナリオは、彼が彼女の死体をミンチに処理してハトに食べさせるというものだった」

警察はすぐさま妻の失踪についてクリンカーメルに疑いを向けることになったが、死体が見つかっておらず捜査を進めることができなかった。この自叙伝的小説の原稿はあまりにも気味が悪すぎるという理由で出版社に拒否された後、オランダのアンダーグラウンドメディアによって抜粋されて広まることになったのだった。その後、彼は文芸の著名人として有名になり様々なテレビ番組にゲスト出演する存在になった。

彼がアムステルダムに移り住んだ後、彼が妻と住んでいた家には別な家族が引っ越して来た。その家の改築作業のために彼らが雇った業者が裏庭のコンクリートの床の下からハネローレの頭蓋骨を発見した。2000年、警察はついにクリンカーメルを殺人の罪で逮捕し、彼は自白したのだった。


クリスティアン・バーラ(Krystian Bala)


小説家クリスティアン・バーラは2000年にポーランドのビジネスマンを殺害した可能性があったが、逮捕はされていなかった。しかし、その3年後に彼が出版した「アモック(Amok)」という本は、ポーランドの知識人クリス(自分の名前 Krystian を Chris と英語版にした)が「特に理由もなく恋人の女性を殺したが、あまりにも上手く隠蔽したために決して捕まることがない」というものだった。

「アモック」での女性の殺害についての描写は、彼女を後ろ手に縛ったコードを首にも巻き付けるというもので、これは数年前に起きて捜査が行き詰まっていた殺人事件のものと奇妙にもよく似ているものだった。2000年に警察が川で発見したダリウス・ヤニシェフスキの遺体は拷問され餓死させられた形跡があり、彼も縛られていた。

「ロープの一部はナイフで切られているように見えるが、彼の手を首のところに繋ぎバックワード・クレイドルという激烈な姿勢に縛り付けられて、少しでも揺すられればきつく締め付けられることになっただろう」とジャーナリストのデイビッド・グランがニューヨーカー誌に書いている。

刑事のヤチェック・ウロブレフスキが2003年に事件を引き継ぎ、彼はこの殺人が起きる直前に被害者のオフィスにクリスティアン・バーラが購入した携帯電話から疑わしい電話がかかっていることを突き止めた。この電話は後にバーラが eBay で売り払っている。ウロブレフスキはバーラに対する調査を開始し「アモック」も読んだ。ニューヨーカー誌によると「(彼が)殺人者によって受けた攻撃方法:『私は彼女の首に回した輪をきつく締め上げた』」という本の描写との一致があった。本を証拠として使うことはできなかったが、ウロブレフスキによって率いられた捜査によってバーラは最終的に殺人の罪で25年間を刑務所で過ごす判決を言い渡された。彼から聞き取りを行った判事は「この本の語り部と作者の間には確実に共通の特徴がある」と記している。


アン・ペリー(Anne Perry)



アン・ペリーが売れっ子の犯罪小説の書き手になる前、彼女は親友の母親を殺害した罪で5年間の刑務所暮らしをしている。当時は出生名のジュリエット・ヒュームという名前で15歳だった彼女はオノラ・パーカーを鈍器で殴り殺した罪で有罪になった。16歳のオノラの娘、ポーリーン・パーカーとの共犯だった。

1954年に起きたこの血なまぐさい犯罪は、ジュリエットの両親が離婚して彼女を南アフリカに住む叔母のところに預けるという話が伝えられた後に起こっている。予てからポーリーンと親密な関係にあったジュリエットは、パーカー家と一緒にニュージーランドに残して貰うことを考えたが、パーカー家の母親のオノラがそれを拒否したのだった。

「彼女の拒絶がポーリーンの殺意を引き起こし、ジュリエットは親友に対してパーカー夫人を公園に誘い出して、ストッキングを被せたレンガで殴る手伝いをする義理があると信じていた」とガーディアンは伝えている。

釈放された後、ジュリエット・ヒュームはスコットランドへ移り、犯罪小説家としての才能を発揮することになった。アン・ペリーと名前を変え、約40冊の本を出版している。彼女の本当の身元は1994年にピーター・ジャクソン監督がこの事実に基づいた映画「乙女の祈り」を制作するまで明らかにされていなかった。

2012年の60分に渡るインタビューによると、ペリーは社会に対して借りを返したと信じていることを話している。「間違いを犯した時にはその代償を払う必要があるのです。そして乗り越えることができるのです。これは恐ろしいことではありません。良いことです。これは癒してくれる何かで、これで間違いを乗り越えて過去のものにするのです」

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