2018年12月18日火曜日

西洋の博物館はアフリカの遺物を何から守っているのか?


まさにそれを創り出した文化から守ろうとしているのか?


Al Jazeera
Christine Mungai
3 Dec 2018

11月23日、フランス政府は19世紀にフランスがダホメ王国(現在のベナン共和国)を征服した際に違法に略奪した26の芸術作品をベナンに返還すると発表した。この決定はフランスのエマニュエル・マクロン大統領がセネガル人の経済学者フェルワイン・サールとフランス人の芸術史学者ベネディクト・サボアによる報告書を審査した後に発された。この報告書ではアフリカを植民地にしていた時代に奪い取った文化的な遺物を恒久的に返還することを推奨している。

アフリカの各国が西洋の侵略者に略奪された芸術作品を取り戻すのに奮闘している中で、この報告書は歴史的に重要な転換点になる可能性があるものとして称賛されている。一方で、他のアフリカ諸国からの遺物の返還要求を加速することになる難しい前例を作ってしまったという声もある。

フランス政府のこの動きは10月にイギリスの博物館がナイジェリア連邦共和国に過去にベニン王国(現在のナイジェリア)から略奪した芸術作品(数は非公開)を一時的に返還することを決断したことに追随したものだ。

この2つの発表は前進と言うべきである。少なくとも略奪された芸術作品の返還について話し合いは行われている。そして、過酷な現状を文書化して訴えたサールとサボアには称賛を送りたい。しかし、アフリカの遺物は70,000点がフランスのケ・ブランリ美術館に残されている。言うまでもなく大英博物館に69,000点、オーストリアのウィーン民族博物館に37,000点、ドイツのフンボルト・フォーラムに75,000点、ベルギーの王立中央アフリカ博物館に180,000点、更に個人収集家によって数えきれない数のアフリカの遺物が保持されいる。この状況で私は26点が返還されたことを祝う気にはならないし、その勇気を称賛する気にもならない。

私が特に祝う気にならないのは、今回の返還に反対する膨大なコメントを見ると、アフリカ大陸の文化的遺物の大半を正当な所有者から奪い取ったまま保持しておくことについて保護統制主義的な言説が今だに生きているのが明らかだからだ。

表面的には植民地政策の時代を反省を表していながら、文化的遺物は空気調整され「適切に」保存できる西洋の博物館にあった方が「恵まれている」という人もいる。作品の多くは木で作られているため、持って返ったとして気温も湿度も高いアフリカでどうやって保存するのだ?というのである。

これは善良そうだが根拠のない懸念で残忍さを覆い隠して卑劣な事業を展開する植民地主義の論理そのものだ。そもそも奪われた時に遺物はどう存在していたというのか、アフリカでは管理できないというならそれまでの長い年月はどうしていたというのだろう?

こうした物品の略奪は植民地事業に付随して副次的に起こったものだと考えるべきではない。植民地事業の一部であり一体となったものだったのだ。

「略奪された物品が網羅している種類と量は欧州の博物館や図書館の興味に沿ったものであり、多くの場合軍隊が動くずっと前から軍事的占領が完了した瞬間に特定の博物館が引き取る具体的な物品が割り当てられていたことは、略奪の標的にされた場所は単なる軍事的な略奪だけでなく博物館の意向が深く関係していたことを示唆している」とサールとサボイの報告書には記されている。

いずれにせよ分断と囲い込みは植民地事業を進める衝動に内在するもので、それは今日の資本主義精神に永続化して引き継がれている。その手口は希少性を作り出すために大多数を破壊し、残された少数を利益のために直接管理するというものだ。

更に「適切な保存」の議論は倫理に悖るもので無視できない。隔離して保存することが明白に良いものだと信じる理由は何なのだろう?遺物の中には地域社会で流通する中で避けられない老朽化と取り替えがその文化の価値の一部になっているものも存在する。

もう一つの議論は「裕福で安全性の高い博物館は、世界中で古代の遺物を確実に保存して保守することができるほど十分に発展していない国の文化の保護者となっている」というものだ。

誰がそうした博物館を「文化の保護者」に(西洋の白人文化圏にある博物館を)任命したと言うのだろう?そして重要なのは、いったい彼らは遺物を何から守るつもりなのだろう?

白人文化の価値観が普遍化し、人類の集団的な伝統文化の代表者として彼ら独自の文化を世界的に持ち上げる傾向は、その外にいる人々に対して破滅的な結果をもたらしてきている。そのことがここにバカげた状況を作り出している。人々は文化遺産をまさにその遺産を創り出した文化から守る必要があるのだと真剣に議論しているのだ。アフリカの人々が彼ら自身の文化遺産に相応しい価値があることを証明しなければならないという話は侮辱でありバカげたことだ。

根源的にこの話は、植民地主義のおかげで豊かになった人々が今度は向きを変えて、彼らが破壊してきた文化には文化的遺物を守る知識がもはやないのだと主張しているということだ。

植民地支配というのは当地の文化を徹底的に破壊し、そして統治者がその地の文化的知識を独占することを意図している。西洋の博物館がやっているとされる「未来の世代のために」文化的遺物を保存するという行為は、それを制作した人々から遠ざけて管理することで多大な利益を生み出している。デジタル遺産のの専門家であるタイアナ・チャオはTwitterで「あなたの人権はさておき、才能を称賛しますから感謝しなさい」と言っているようなものだと指摘している。

アフリカの人々が自分たちの文化遺産を保存する能力がない、あるいは保存することに興味を持っていないという主張は既に誤りであることが証明されている。例えば、2012年にはアルカイダが猛威を奮っていたマリ北部の紛争地域で、地元の人々はロバの荷車やボートを使い、10代の若者たちの協力を得て破壊される恐れのあった貴重な手書きの書物のコレクションをトンブクトゥの外に運び出した。

この書物群は古文書として隔離されてはおらず、西洋の博物館のやり方に反して個々の家族によって数世紀に渡り安全に保管されてきたものだ。彼らは細心の注意を払って1箱ずつこれらを街から持ち出した。この作戦には数ヶ月を要した。

植民地主義が恩恵をもたらしたという保護統制主義的な見解は断固として退けなければならない。遺物に関して協力も流通も長期間の貸出の約束も存在していない、明確なのは返還されるべきことだけである。そして理解できていない西洋の方々に向けて言うなら、「返還」というのは文字通り正当な所有者の所に物品を返すということだ。

西洋の人々がこうしたアフリカの遺物をどんなに愛して大切にしているかということは問題にはならない、それらが彼らのものではないということは常に事実である。西洋の人々は財産についての権利を守るために数々の戦争を戦ってきた。しかし彼らは、アフリカの人々が所有するものについては無頓着であるようだ。

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