"The effect: Science becomes belief. Belief becomes science ... Years of intense and specialized training and research and reflection are abandoned, like poor Latino immigrants, like the poor body of our planet," argues @DrIbram: https://t.co/QFZFBuaEM6— The Atlantic (@TheAtlantic) January 1, 2019
気候変動の存在を否定することと人種差別の存在を否定することは同じ基礎の上に成り立っている。それは目に見える現実に対する攻撃である。
The Atlantic
Ibram X. Kendi
JAN 1, 2019
この2年の間に、13の連邦機関の内外にいる業界で先頭を走る300人の気象科学者を含む専門家1000人によるコミュニティが作られ、彼らはその専門知識と時間を全米気候評価第4次報告書を作成するために提供することになった。
私が現在取り組んでいる研究、現在及び未来のアメリカで人種差別がどのように影響を与えるのかについて、これには気候評価とは違って法的に義務付けられた全米人種評価というものは存在しない。それでも私はこの気象科学者たちとは関係がある。
気候変動についてはアメリカ国内の評価から国連に於ける各国の政府間協議の場においてまで、気象科学者たちは何十年も前から警告を発し続けてきた。「温室効果ガスの大規模かつ継続的な削減」ができなければ何が起こるのかという警告は、回を追う毎に恐ろしいものになっている。気象科学者たちが、継続して科学的確実性を貫き、科学的な発見への道を進み続け、人類を人類そのものから守るために探求を続けていることに私は共感することができる。気候学者のアンドレア・ダットンは最近「私は人類のためにここにいる」とツイートしている。
昨年(2017年)発表された全米気候評価第4次報告書の第一版では「人類の活動、特に温室効果ガスの排出以外に地球温暖化について説得力のある別な説明は存在しない」と結論づけている。2018年のサンクスギビングの頃に発表された第二版では「より頻繁で激しい異常気象や気候に関連した出来事は、平均の範囲内の気候条件の変化と相まって、人間のコミュニティを本質的に支えているインフラ、生態系、社会システムに損害を与え続けることになると考えられる」と述べられている。
ドナルド・トランプ大統領は「私はそれを信じない」と応じている。「違う違う、私はそれを信じない」
私はこの発言を以前に聞いた別なものと関連付けることができる。
「違う違う、私は人種差別主義者ではない」とトランプ大統領は繰り返し述べている。証拠が揃っていることは彼にとってはどうでも良いのだ。
私は、この気象科学コミュニティによる報告書を信じないというトランプ大統領や他の人々の発言を聞いた時の気象科学者たちの気持ちを慮ることができる。私は人種差別についての研究者として、私たちが科学的に積み上げた合意事項を、信じたがらない人々が不信の合意を形成するのと同じくらい簡単に否定するのを何度も見ている。気候変動と人種差別を否定することは、気候変動は社会の本流から外れた人種の人々のコミュニティにより大きな影響を与えることが考えられるという全米気候評価第4次報告書の予想を否定するために結合している可能性があるものとして気象と人種問題の研究者たちは注目している。
信じたがらない人々は気候変動も人種差別も現実に存在することを信じようとしない。あるいは、こうしたものが人間による温室効果ガスの排出や人種差別的な政策によって引き起こされたことを信じようとしない。そして、それらを規制することが社会のために良いのだということを信じようとしない。
これらの信じようとしない行為は全て同じ基礎の上に成り立っている、科学を信仰に変化させているのだ。この基礎は経済的、政治的、イデオロギー的な立場から形成されたもので、多くは二酸化炭素排出量や人種差別を積極的に否定することから不利益を被る集団の中で構築される。
こうした声はどれも同じ弁論のプロセスを辿る。科学者の信頼性を攻撃し、彼らの科学的な合意を無視して、科学者の発見を彼らの個人的な信仰なのだということにする。
この効果として、科学は信仰になり、信仰が科学になる。全てが無になり、無がすべてになる。全てを信じることも信じないこともできるようになる。あらゆる事を知ることができるが、何も知ることが出来なくなる。誰もがあらゆる分野の専門家であり、どんな分野にも専門家が存在しなくなる。貧しいラテン系移民の人々についても、私たちの住む惑星の弱りきった状態についても、何年もの間の懸命に専門的に行われた訓練と研究と熟考は放棄されることになる。
訓練を受けた人種問題の研究者たちではなく、各個人が、彼らが人種差別主義者であるかどうか、その考えが人種差別的であるかどうか、その政策が人種差別的であるかどうか、その組織が人種差別的であるかどうか、を決定する。訓練を受けた気象学の研究者たちではなく、各個人が、それが最悪の自然災害なのかどうか、それが記録的な気温なのかどうか、海面上昇が気候変動によって引き起こされているのかどうか、を決定する。私たちの生きる時代の大きな対立は、科学者同士の間にあるのではなく、個人の信仰と科学的知識の間に存在している。
アメリカで客観的かつ超党派的にバランスを取りながら分断を収め人々を結びつけようと努力をしている人たちに、個人が信じようとしない行為と科学的知識両方に理解を示すことが出来る人はどれだけいるだろう?どれだけの人がこの両側の疑問に素晴らしい考えを見出すことができるだろう?多くのアメリカ人が今だに「人種差別はまだ問題だと思いますか?」だとか「地球は温暖化していると思いますか?」という質問をしてくるのは、まるで社会は直面する科学的に確実なものについて無知であることに価値を置いているかのようだ。
私は自身の専門分野である人種差別と反人種差別について以外のこと、気象科学を含む様々な問題については比較的無知である。気候変動を否定することのバカバカしさは私のような人に気候変動を信じているかどうか尋ねることのバカバカしさと同様だ。そして、人種差別の存在を否定することのバカバカしさは人種差別の存在を信じているかどうか尋ねるバカバカしさと同様である。
またこうしたバカげた問答の中で、否定する人々は信じないこと以上のものを表現することがある。多くの場合彼らは自分の直接見えているものを例に挙げて信じない理由を説明しようとする。彼らは遠く離れた場所で起きたことから学んだ知識や洞察、そして科学者による鳥瞰的な見方を信じようとしない。彼らは人種差別と気候変動が社会に与える影響を示している、遠くで起きた事実、見込み、不均衡、広範な歴史を信じようとしない。それらが自身の狭い視野の中で起こっていないのであれば起こっていないこととして信じようとしないのだ。彼らは科学的発見を「信じる」ことを愚かだと考えている。自身が信じようとしない姿勢を高い知性の現れであるとする。
「私のような多くの人々は、高いレベルの知性を持っていて必ずしも簡単に物事を信じようとはしない」とトランプ大統領は気候変動について述べている。「私たちの周りにある大気も水も現在は記録的に清潔なものになっている」
現在観察可能な現実を信じないのであれば、将来についての確実な予測も信じることはない。白人国家主義者たちによる暴力が悪化し、アメリカの法執行機関がそれを止める方法を知らないという事実を無視するなら、将来的に事態は更に悪化するという予測を信じることがあるだろうか?財産上の巨大な人種格差を無視するなら、平均的な黒人世帯の資産が2053年には0を下回り、その20年後には平均的なラテン系世帯もそれに続くことになるという政策研究所の予測を信じることがあるだろうか?現在気候が変動している様子を見ることができないというのなら、「歴史的な速度での温室効果ガスの排出が続けば、いくつかの経済部門での年間損失は今世紀末には数千億ドルに達して、アメリカの多くの州のGDPを上回る数字になる」という全米気候評価第4次報告書の評価を信じることがあるだろうか?
彼らは科学の代わりにサインを探しているようだ。
「広範囲の苛烈な冷たい北風が全ての記録を打ち破りました。地球温暖化はどうなったんですか?」とトランプ大統領は数週間前にツイートしている。
「アメリカがオリンピックを支配している」とビル・オライリーは2016年のリオ・オリンピックの後でツイートしている。「我々が少数民族を迫害している恐ろしい国であるならどうやってこれを成し遂げることができるというか。報道機関はアメリカについて世界を欺いている」
「アメリカの主要政党の大統領候補としてアフリカ系アメリカ人であるバラク・オバマ氏の名前が掲げられていることに心を動かされない者がいるだろうか?」と政治コメンテーターのディネシュ・ドゥスーザがオバマ前大統領の選挙の数週間前に書いている。「私にとって、アメリカが人種差別を過去のものとして置き去って行くこと以上の良いサインはあり得ません」
信仰の領域ではサインが大きな地位を占めている。そして信仰とは私たちができないこと、あるいはわからないことを支配している。別な言い方をするなら、私たちが知っているということは科学によるもので、知らないものについては信じるか信じないかになる。つまり、科学から信仰への変化の最終段階は知ることの放棄である。そして、知ることの終焉は人類の進化の終焉である。
勘違いしないで欲しいが、私たちが科学的な声明に全て盲目的に従うべきだと言いたいわけではない。私は全ての科学者や科学的合意に疑いの余地がないとは考えていない。1859年にチャールズ・ダーウィンが「種の起源」を発表する前の数十年間は、人種が別々の期限をもった種であるという人種多元論(Polygenism)が科学的な合意事項とされていた。20世紀への変わり目には、白人が最高に進化する種として自然に選択されたのだという社会的ダーウィニズムが科学的合意とされた。そして第二次大戦後には黒人の文化的病理学によりアフリカ系アメリカ人は白人のアメリカ人に同化されるべきだということが科学的合意とされていた。
しかし余裕のある反人種差別的な科学者たちは主流にいた科学的人種差別主義者たちに対し彼らの発見を信じることはないと言って反応することはなく、一歩下がって簡単に覆すことのできない代替の事実を提示した。
科学的発見を信じないことと、科学的発見に異議を唱えることは別なことだ。私たちは訓練と専門知識に基づいて論争する。主張の証拠を導き発見して提示し、仮定に反論し、研究設計の欠点を指摘し、結果を分析して議論をする。信じない行為とは異なり、論争というのは柔軟な科学者たちの間に知的な交流を生み出すものである。自分で科学者のように振る舞ってただ信じないでいる考え方の凝り固まった人は自分の考えを変えたがらないので、新しい証拠に触れようとすることもない。
人間の作為と不作為が破壊的に地球を温暖化させ、人間による人種差別的行為とそれに対する不作為が致命的な人種差別を引き起こしている科学的確実性を強化するために、環境保護論者と反人種差別主義者は科学と信仰を切り離す必要がある。環境保護論者と反人種差別主義者は信仰を気にするのではなく、特に私たち自身の知識について気にするようにするべきだ。「あなたは人種差別主義者ですか?」と尋ねる代わりに「人種差別主義者とは何ですか?」と問うべきである。「気候変動を信じていますか?」ではなく「気候変動とはどのようなものですか?」と問うべきである。
環境保護論者と反人種差別主義者は科学を信仰から切り離すために、人種問題や気候問題の政策立案を行う権力から科学を信じない人を切り離さなければならない。彼らが権力を握れば、彼らはその不信行為を再生産するようになる。環境保護論者と反人種差別主義者は人道を再生産させるために努力しなければならないのだ。
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