2018年3月1日木曜日

グローバリゼーションが中国を怪物に仕立て上げた


習近平の独裁はある歴史の終焉として考えられていたようなものではない。


EMILE SIMPSON
FEBRUARY 26, 2018

日曜日に中国共産党中央委員会は国家主席の任期について二期までという制限を撤廃することを提案した。これで習近平国家主席が長期に地位に留まるための地ならしをしたことになる。このことは1つの時代の終焉を象徴していると言える。そしてそれは、中国にとってだけでなく、西側諸国にとってもだ。

この時代は西側諸国にとって冷戦終結後かつての仇敵が「新興市場」として開かれたことで始まった。中国は既に1978年に鄧小平統治下で実施された改革によって市場は海外の投資家に開かれていた。しかし民間に市場が開放されたのは1990年代のことで、西側の企業はすぐさま中国市場の急激な経済成長から利益を得ようとして殺到したのだった。

冷戦終結後の新興市場の美しいところは極めて非政治的だったところだ。2001年にエコノミストのジム・オニールが新興市場を牽引する象徴を「BRICs(ブラジル、ロシア、インド、中国)」と称したことが思い起こされる。冷戦当時別々だったこれらの4つの国家は新興市場として同時に語られ、所謂「パクス・アメリカーナ(アメリカ覇権時代の平和)」の時代の穏健なグローバリゼーションの新時代を牽引する主役となったのだった。このことは一時代の終わりを象徴するものであるとも言われていた。

しかし、この非政治的な方法論は冷戦時代から考え方を引き継いだものだった。民主主義と資本主義が両立し、ワシントン・コンセンサスが想定しているように自由市場の拡大が世界を西洋型の経済機構に収斂させることが前提となっていた。

グローバリゼーションの成功への自信は中国全土の新興市場に大量の西側諸国からの資本と知的財産を流入させることになった。しかしその当時西側にこのことの地政学的な重要性を認める人は殆ど存在せず、その代わりに経済成長を賞賛していた。地政学的な議論から離れていたことで、中国が世界市場へ組み込まれ、10億の人々が貧困から開放された。このことはグローバルビジネスの発展から地政学的な障害を取り除くことが如何に本質的な利益に繋がるかということを証明するものである。

しかしこの世界平和の物語は暫くして暗礁に乗り上げる。1990年代のロシアの民営化は最終的に寡頭政治によって支配されたマフィア国家化をもたらしてしまった。主に民主化された東欧(現在の問題はさておき)での一部の例外を覗いて、冷戦終結後、資本主義は民主主義の浸透の鈍さを他所に別な形で広範な拡大を見せた。

そしてそのことが中国より当てはまるところは存在しない。「改革」を後押しする自由市場の力を信奉する新自由主義的な信念が存在しているにも関わらず、中国はより独裁的な政権運営へ向かおうとしている。実際、中国は新しい形の全体主義への道を切り開いたと言っても誇張ではないかもしれない。ソーシャルメディアとオンラインショッピングのデータを収集し、膨大な監視員と電子監視装置が市民のあらゆる行動を追跡し、そのデータに警察国家の頂点に座る人物が何時でも何処でもアクセスすることができる。北京の政府が2020年までに展開しようとしている恐るべき「ソーシャル・クレジット・スコア」システムは、自由市場が民主的な変化をもたらし少数派に自由を与えてくれるという考えが如何に間違ったものであるかを教えてくれるものだ。10億の人々が貧困から開放されたのかもしれないが、彼らはサイバー全体主義の元に暮らしていることに気づくことになる。

こうしたことが実現した場合、地政学的に非常に深刻な事態になる可能性がある。冷戦下に於いて西側諸国は経済機構と政治制度がどちらも「自由な世界」と呼ばれるものに対して異質だった全体主義的な共産主義政権に相対していた。もちろん、多くの西側の同盟国が必ずしも民主的ではなかったという点を考慮に入れれば、資本主義と民主主義の関係は常に薄弱なものだったと言える。しかし以前は不確かなことだったものの、現在の私たちは資本主義と民主主義は同調しなければ成り立たないものではないことを確実に知っている。資本主義は容易に掴むことのできるもので、そのために「パクス・アメリカーナ」を支持する必要もない。

この帰結がもたらすものな何だろうか?私たちにはまだわからないが、この質問は世界が入り込もうとしている地政学的な新しい段階の特徴を定義づけるものになるかもしれない。かつての自由主義的なグローバリゼーションの幸せな物語から2017年にトランプ政権が発表した国家安全保障戦略が如何に離れてしまったのか確認しておきたい。「中国とロシアはアメリカの安全と繁栄を侵害しようとし、アメリカの力、影響力、利益に対抗している」

この戦略発表は2016年のアメリカ大統領選挙にロシアが干渉したことについてのアメリカ議会の制裁措置を奇妙に拒否している大統領の立場で行われたことは認めなければならない。しかしより重要な点は、西側諸国とその市民たちが1990年代以降多かれ少なかれ推進してきた統合されたグローバル資本主義の価値を再検討する根本的な必要性を考え始めていることである。私は経済成長がもたらした不平等や製造業が膨大に下請けに出されたことにより大西洋の両岸に空白工業地域を生み出したことを論じているわけではない、これらは別な議論である。そうではなく、西側型の経済政策が旧共産圏の多くに反自由主義的な政権の台頭を意図せずとも奨励してきたことが否定できない、この不都合な真実の再検討を考えている。

こうしたことが西側の外交、経済政策に於いて事実としてどのような効果をもたらすかは、一方では、西側諸国が公共の価値を支えるために実質的な利益を犠牲にする覚悟がどの程度あるかにかかっていて、他方では権威主義国家、特に中国とロシアが自身の価値を国外に輸出しようとする程度にかかっている。この種のジレンマが現れる領域はいくつも挙げることができるが、もっとも重要な短期的な試金石は西側諸国が中国の一帯一路構想を良質な経済構想と見るか、地政学的な脅威と見るかである。

美しさとはそれを見る人の目の中にあるものである。冷戦終結後の急速なグローバリゼーションの時代を支えた非政治的な新興市場のイメージは当然のように魅力的で、貧困を大規模に緩和する可能性に満ちていた。しかし、今日ではそうした市場が民主的な価値に向かわないことが明らかになり、醜いものに見えてしまう。

経済的自由が政治的自由をもたらすという独善的な主張は、冷戦終結後の西側諸国と旧共産圏の経済政策に自由を基本とした方法論を支えてきたものだが、今となっては浅はかなものに見える。中国はそれらに関係が必要ないことを証明している。資本主義こそが最終的に中国をより自由な国へと促すのであって、それにはまだ到達していないのだという主張は既に絵空事である。

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