2017年11月13日月曜日

謝ることの力を過小評価してはいけない、政治家なら特に



謝罪する、ということが困惑するほど時代遅れになっています。概念それ自体だけではなく実行することも。考えてみてください、あなたが誰かに謝ろうと思う時、あなたはアナログで非効率的な自分の声帯を使わなければならないのです。もちろんメールやツイートやテキストメッセージを謝罪に用いることも可能です、悲しい顔の絵文字を使ってね、でもこれらの媒体は自責の念の複雑さを表現するように作られてはいません。驚くべきことに謝罪専用に利用できるメッセージ機能が付いていないのです。グレタ・ヴァン・サスターレンに感謝しましょう、彼女はこの市場の隙間を突くべくアプリを開発しました、その名も「 Sorry 」です。

ヴァン・サスターレンはアメリカのニュースキャスターで2016年のフォーブス誌によれば94番目にパワフルな女性ということになっています。彼女は最近エキサイティングな謝罪アプリをFacebook経由で発表しました。このサービスは火曜日(2017年11月14日)から提供され、個人的にあなたが「友人からの謝罪を受け入れるか拒否するか」を選ばせてくれるものです。仮にあなたは習慣的に毎朝19回連続でスヌーズボタンを押してパートナーを目覚めさせているとしましょう。それと同じように、あなたはアプリを通じて謝ることができて、彼らはその謝罪を受け入れるかどうか選ぶことができるようになるわけです。個人の生活に変化が起きそうなもの、くらいに聞こえるかもしれませんが、これはもっと凄いものです!なんとあなたは「この謝罪を受け入れるか受け入れないか」をみんなに投票してもらうことができるのです。なので基本的にこれは公開で後悔するリアリティショーのようなものです。

この Sorry アプリの話を最初に聞いた時、バカバカしいと思ったことを私は認めなければなりません。ヴァン・サスターレンについてグーグルで調べて彼女がサイエントロジーの信者であることを知った後の二度目の私の考えも当然「バカげたアプリがサイエントロジーによって作られたものだな」というものでした。しかし、もう少し真剣にこの件を考えてみて、三度目には私は私の卑しい考えを申し訳なく思うに至ったのです、このアプリはまさに世界が今必要としているものではないか。私達はみんなもっとたくさん謝るべきだし、そしてそのことを奨励するものは歓迎されるべきなのです。

たった5文字の単語でしかないのですが、「sorry」と言うことの力を過小評価するべきではないでしょう。そのままの意味でない場合であっても。私達の「sorry」は単純な意味ではない場合が殆どで、結局のところこの言葉は驚くほど幅広いことを表現できるのです。「私はあなたにしてしまった間違った行為を深く悔いている」という意味から「私はあなたがエスカレーターでは左に立つべきだという単純な事実すら理解できない間抜けであることを深く悔いている」という意味まで。しかし「sorry」を本来の意味で自責の念の表明として使う場合だけではなく、市民として単純に「私の前を開けてください」という意味で使う時ですら、この謝罪の言葉を繰り返すことは良い意味で受け取られるもののようです。このことは社会をより良いものにします。余分に謝罪することは感情移入を促し、お互いの信頼関係を構築すると調査が示しています。また訴訟大国であり我が国(イギリス)ほど謝罪の熱意が受け入れられない国であるアメリカにおける研究でも、医者が患者に対して謝罪をすると医療過誤で訴えられることが少なくなるようだというのです。

「sorry」と口に出すことが友人の信頼を勝ち得る助けになる、人々に良い影響をあたえる、そして医療過誤で訴えられるリスクを軽減してくれるという事実がある一方で、謝罪することは少々不当な嫌疑を生むこともあります。特にあなたが女性なら、 確かにここ数年の間女性にとって謝らなければならないと感じさせられることが多すぎるくらいでした。昔から言われるように、謝り過ぎることは人を惨めで弱いものに見せてしまうものです。あなたのメールから謝罪の言葉を削除してくれる Chrome の拡張機能を発明した人がいたくらいです。

しかしおそらく今が潮目の変わり時でしょう。女性達はお上品に振る舞うことをやめるように言われる代わりに、みんなにそれぞれ自責の念をもう少し感じてもらうようにすることが理に適っているとわかってきたのです。ヴァン・サスターレンの Sorry アプリは謝罪を啓蒙する唯一の兆候ではありません。Apology Clause と呼ばれる運動はイギリス政府に謝罪することは法的責任を認めることではないと企業に対しはっきりさせる法律の明文化を求めています。この運動はこうした法律の明文化によって混乱が起きた場合により多くの企業が補償はともかく少なくとも謝罪をすることを促すものです。現在多くの企業は謝るべき時に謝ろうとしません、それは裁判への悪影響を懸念してのことです。

私は特に政治家を標的にしたキャンペーンをおすすめしたいと思います。政治家は彼らの特徴として何か恥ずべきことををした時ですら、「Sで始まる謝罪の言葉」を明確に述べることに抗おうとするようです。そのせいで政治家をついに諦めさせてただ一言「sorry」と言わせるだけのために私達みんなが体力を無駄に消費することになっています、なんということでしょう。もし議会が「質問時間」を「謝罪時間」に替えてくれたらもっとことは簡単になるでしょう、みんなで会議室を周りこれまでやってきた酷い行いについて「sorry」と言うのです。家でそれを見ている市民はその謝罪を受け入れるかどうかを投票して、もし受け入れられない票が多数になった場合は議員は地位を失うというわけです。いや、わかってます、そんなことを延々やっていたら政治から政治家がいなくなってしまう… Sorry、ごめんなさい、だけど私は実際いい考えだと思うのです、そう思いません?

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