2017年11月16日木曜日

謂れなき強姦罪で46年間収監されていた男性の有罪が覆り釈放される

ウィルバート・ジョーンズさん(65歳)は1971年にルイジアナ州バトンルージュで看護師を誘拐強姦したとして半世紀に渡り収監されていた


看護師を誘拐し強姦したとされ50年近くを刑務所で過ごしたルイジアナ州の男性が、有罪判決を裁判所が覆してから約2週間後の水曜日に釈放される。

州地方裁判所のリチャード・アンダーソン裁判官が保釈金を2000ドルに設定することを述べた時、ウィルバート・ジョーンズさんは特に表立った反応は見せなかった。裁判官はそれ以前にジョーンズさんに対する訴追は「どう見ても脆弱である」と述べていたし、当局は数十年前にジョーンズさんの疑いを晴らす可能性あった証拠を隠匿していた。

ジョーンズさんの家族は法廷の外で涙ながらに抱き合っていた。ジョーンズさんの姪、ワジーダ・ジョーンズさんは叔父の最初のリクエストが何か既にわかっているようだった。

「釈放されたら、叔父のためにガンボを用意しないと」と彼女は言った。

検察官はルイジアナ州高等裁判所に今回の判決の審査を求めたがジョーンズさんを再訴追する意向はない。

ジョーンズさんは現在65歳、1971年10月2日の夜、バトンルージュの病院の駐車場で看護師を銃で脅して連れ去り、ビルの影で強姦した疑いをかけられて逮捕されたのは19歳の時だった。ジョーンズさんは重大な強姦罪で1974年の再審で有罪となり仮釈放の可能性のない獄中生活を宣告された。

「彼が収監されて以来状況は大きく変化してきた」と刑務所長のティモシー・フーパー氏は語る。フーパー氏は模範囚であったジョーンズさんの釈放を支持して証言台にも立っている。

ジョーンズさんに対する州の訴訟は、被害者である看護師の女性の陳述証言とジョーンズさんを犯人だとする彼女の「疑わしい識別」に「完全に頼り切った」ものだったとアンダーソン裁判官は述べている。被害者の看護師は2008年に亡くなってしまっているが、彼女は強姦事件から三ヶ月以上経過した後に警察が揃えた数名の中からジョーンズさんを選びだした。しかし彼女はその時警察に対し、彼女を強姦した人物はジョーンズさんよりも長身で「もっと乱暴な」声をしていたとも語っている。

ジョーンズさんの弁護士は、被害者の看護師の描写はこの看護師が襲われた27日後にバトンルージュの別な病院の駐車場で別な女性を連れ去って強姦した疑いで逮捕されたが起訴はされなかった人物に適合すると述べている。その人物は1973年にまた強姦の疑いで逮捕されいてるが、その時は強盗の罪でのみ起訴され有罪になっている。

アンダーソン裁判官は警察がこの1973年に逮捕された人物と看護師が描写した加害者の類似点を認識していたという証拠を提示している。

「それにもかかわらず、州は弁護側にこの情報を提供しなかった」と彼は記している。

検察官はバトンルージュの強姦事件についてあらゆる関連証拠の当局による隠蔽を否定している。

「1971年から1974年の間にバトンルージュで起きたすべての強姦または誘拐事件についての書類を州側が弁護側に示さなければならない義務はない」と検察官は2月に記している。

イノセンス・プロジェクト・ニューオリンズから派遣されたジョーンズさんの弁護士は、ジョーンズさんについて「極めて信頼できる受刑者で、痩せていて、歳を取った男性」で、刑務所の中で危険な様子を見せたことはないという。故人となった被害者の看護師の夫は彼の釈放に反対していないと裁判記録に記している。

「被害者の夫は、ジョーンズ氏が既に十分な期間刑務所におり、彼は釈放されて残りの人生を家族と共に過ごすべきだ、と感じている」と弁護士は記していた。

ジョーンズさんの弁護士は彼を有罪にした検察官は弁護側に有利になる証拠を隠蔽した実績があったことも述べている。州最高裁判所の裁判官による1974年の見解によれば、この検察官は前の年から11の逆転有罪判決に関わっており、「単独の裁判官の記録としては信じられない数字」と裁判官は記している。

イノセンス・プロジェクトで15年活動しているジョーンズさんの弁護士、エミリー・モウ氏は今回のケースについて「裁判所が間違いを認めるには時に長い時間がかかります」と話した。


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