2018年1月11日木曜日

真の幸福と常にハッピーでいることは違う


The Conversation
Lowri Dowthwaite
January 10, 2018 10.55pm AEDT

ここ20年以上の間、ポジティブ心理学運動によって幸福と人間の可能性と繁栄についての科学を心理学的に研究することが注目されてきました。このことで心理学者は精神病についてだけを研究するのではなく人生に価値を与えるものについても研究すべきだということが議論になっています。

ポジティブ心理学の父であり提唱者であるマーティン・セリグマンは幸福とは、喜び、高揚、安堵、といった好ましい感覚が、意味と目的を深く感じることと組み合わされて頻繁に経験することである、と表現しました。これは現在についてポジティブに考えていることと未来について楽観的に見ていることが示唆されています。重要なのは幸福について専門家が議論するとき、幸福とは安定して変化しない特性のことを言うのではなく、私たちが取り組むことができて、それについて徹底的に努力することができる柔軟性のあるものだとしていることです。

私は上記の心理学分野を元にしてこの4年間幸福についてのワークショップを運営しています。このワークショップは面白おかしいもので、私は「ハッピー夫人」などという名声を頂いたりもしているのですが、最終的に私が皆さんに信じてほしいことは私は常に幸せであるということです。幸せな人生のために努力をすることは意味のあることです、しかし常に幸せになるための努力をするということは非現実的なことです。

最近の調査では心理的な柔軟性が幸福と充実感の鍵となることが明らかにされています。例えば、感情的な経験についてオープンになることや不快な時間を許容する能力というようなものは私たちをより豊かで意味のある存在にしてくれるのです。

研究では、人生の中で遭遇する事態に対する私たちの反応というのは、起こっていることそのものが何かということよりも、その時の私たち自身の幸福感の方に影響を受けることがわかっています。短期的にストレス、悲しみ、心配を経験することは、長期的に私たちが幸福になれないことを意味するものではないのです。


幸福への2つの道


哲学的な言説では幸せには、快楽主義( hedonistic )と幸福主義( eudaimonic )の2つの道があるとされています。快楽主義とは喜びを最大化し苦痛を避けることが幸せに生きることであるという見解です。この考えは人々の欲求と欲望とを満足させることを主としたものですが、往々にして長続きするものではありません。

一方で幸福主義というのはより長期的な手法を取ります。これは、真っ当により多くの人の利益のために私たちは生きるべきだというものです。優しさ、正義、正直さ、勇気をもって、人生の意味と可能性を追求すべきだというのです。

もし私たちが幸福について快楽主義的な考えを持つならば、私たちは自身の幸福の上限を「更新」するために常に新しい喜びや体験を探し続けなければならないことになります。それと同時に気分の高まりを維持するために不快なものや苦痛を感じるものを最小化しようとしなければなりません。

しかし一方で、私たちが幸福主義的な手法をとるならば、私たちは私たち自身よりも偉大な何かに貢献するために自分の強みを生かして、生きる意味を求めて努力することになるのです。これには不快な体験や感情を伴うことも含まれるでしょうが、それによってより深い喜びと充実感の段階へ進むことができるはずです。ですから、幸せな生活というのは辛い時間を避けることではなく、その辛い経験から学んで成長し、逆境に対応できるようになることを言うのです。


逆境により成長する


調査によると逆境を経験することは、それにどう対応するかに左右はされますが、実際上私たちにとって良いことだと言えます。転職するとか困窮を克服するというような苦境に耐え抜くことは私たちをより回復力のあるものにするはずだし、私たちの人生を活気づけてくれるはずです。

トラウマ的な経験をした人々についての研究では、その研究の多くがそうした人々の経験を深い変化と変容のきっかけであると表現し「トラウマ後の成長」として知られる現象に繋がるものだとしています。困難や病気や喪失に直面した時、結果として自身の人生がより幸せで意義のあるものになったと彼ら自身が表現することがしばしばあるのです。

私たちをより幸福な人生に導くものは刹那的な幸せを感じることではなく、己が生きる意味を見つけることを通して成長することです。それは私たちの人間性を良し悪し含めて全て受け入れることであり、ポジティブな感情も苦痛もうまく利用して私たちの全ての潜在能力を発揮することなのです。

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