2018年9月10日月曜日

Google 20周年:私たちの思考に大きな影響を与えているもの


現在業界を支配しているサーチエンジンは強力なツールであり、そして今や私たち自身を形作るものになっている


The Guardian
John Naughton
Sun 9 Sep 2018

2018年9月は2つの特別な出来事を記念する月になっている。1つはリーマンショックから10年で、これは西側世界を支配しているエリートに愛される(ネオ)リベラル民主主義の帰結の1つであった。そしてもう1つは Google が登場してから20年が経った。

未来の歴史家は私たちが生きる時代を BG と AG 、つまり Google 以前と Google 以後に分けて論じることになるだろう。インターネットの利用者にとって1990年代はネットワークが爆発的に広がったために何かを見つけることが徐々に難しくなり、検索は大問題になっていた。私は同僚たちと同じように Digital Equipment Corporation(DEC)が開発した検索ツール AltaVista を使っていた。当時使える中ではこれが最も良いものだった。

そんなある日、新しい検索エンジンが野火の如く広まった。その名前は数学で巨大な数字(10の100乗)を表す googol を切り詰めたような名前だった。それはクリーンで、高速で、検索で出てくる結果はまるで全ウェブサイトを査読したかのようなものだった。一度使った人は、もう AltaVista に戻ることはできなくなった。

20年が経ってもまだ状況は変わっていない。他にも利用できるサーチエンジンは存在するが(Bing、WolfamAlpha、DuckDuckGo、など)、基本的には Google が一人勝ちの状態で、場所によっては市場シェアが80〜90%のところもある。動詞にすらなっているという事実がこのことを象徴している。「黙ってググれ(Just Google it)」というのは今や毎日の会話で耳にする言葉で(誰も「Bingしろ」とは言わない)、これは Google が効果的に人間の記憶の補綴(ほてつ)物になっていることを意味している。いつでも Google が発見を助けてくれるので、人はもう何かを記憶する必要がないのだ。

そういう意味で、Google は必要不可欠な道具になっている。それはペンと紙、タイプライターとメガネ、計算機とスプレッドシートと同様で、これらのものは人間が数世紀をかけて認知の許容範囲を広げるために獲得してきたものだ。問題はこうした手段への依存がもたらす結果にある。例えば、電子計算機が登場したことで、私たちの暗算能力は干上がってしまった。同様に、今日電話番号を記憶している人がいるだろうか?そして、大学の学生達は手書きで文字を書く技術が萎縮しているために試験の時に苦労している。

道具としての Google 検索は上で挙げたような昔からの道具とは別なレベルにあるもので、依存が導く結果も更に深刻で広範囲に及ぶ。それには互いに関係した2つの理由がある。1つは Google は自分自身が認識しているよりも自分についてよく知っているために、人が自分で知っていると思っていることや、自分の考え方自体を形成することに影響を与える可能性があること。2つ目は Google は自分で所有して管理する受動的な道具ではなく、奇妙さと何らかの意味で前代未聞の力を備えた巨大企業の所有物であるということである。

10年前、ニコラス・カーは The Atantic に「Google が我々を愚かにしているのか?」という記事を寄稿した。実際にはこの記事の主旨はインターネットがどう私たちの脳を混乱させているかという話で、カー自身は Google を一般的な技術の代表として利用しているだけだったので、このタイトルは誤解を招くものだった。だが、残念なことに私たちが思考する方法に Google が与える影響については重要な疑問点がたくさん存在する。例えば、Google の検索結果はその入力した質問に関係すると考えられるウェブサイトの数によって大きく影響を受ける。それで良い場合もあるが、有害な場合もある。検索した人は多くの場合検索結果が「真実」を表しているのだと考えるからだ。時に検索結果は誰も知らないようなことを明らかにすることもあるため、Google という会社は、その人の友人やパートナーよりも、その人の内に秘めた秘密、恐怖、夢についてよく知っていることになる。私たちは Google に人にはおそらくしない質問をしているのである。

それ故に Google とは哲学者のベンジャミン・カーティスが指摘するようにただの受動的な認識の道具ではないのだ。機械学習のアルゴリズムによって強化された現在の Google は更に示唆に富んだものになっている。Google Map は単に移動経路を補助してくれるだけではなく「私たちが個人的に興味を持ちそうな場所の提案」をしてくれる。Gmail は返信に何を入力するかについて手助けをしてくれる。Google News は私たちが興味深いと感じると考えるものを強調して表示する。「こうしたものは全て自分自身のために考えて決断する必要性を無くすものだ」とカーティスは述べている。Google は「私たちの認知方法の隙間を埋め、私たちの心の隙間も埋めるもの」だという。

この20年で Google は私たちの考え方に影響を与えるものとして新しもの好きが喜ぶような段階にはいなくなってしまった。こうした全てのことは、英文学者マーシャル・マクルーハンの仲間だった著作家ジョン・カルキンがかつて述べた言葉を思い起こさせる。「私たちは道具を作り、道具が私たちを作る」。そしてもちろん Google で検索すれば彼のこの言葉を確認することができるだろう。


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