2018年9月5日水曜日

Google 20周年:サーチエンジンは私たちの心理の拡張になった


Google が私たちの心理に及ばす影響は人間の心理に起こった急激な転換であり、おそらく我々が直面するものとしては最大の変化が息を呑む速さで起こっている。


The Conversation
Benjamin Curtis
September 4, 2018

私たちは Google に狂っている。20年が経って Google の製品は私たちの認知機構の代替となって毎日の生活に統合され、結果として私たちの心理はサイバースペースの中にまで拡張されている。これはSF小説の話ではなく、この「拡張された心理のテーゼ」として知られるものは、哲学、心理学、神経科学に於いて広く受け入れられている。

間違いなくこれは人間の心理に起こった急激な転換であり、おそらく我々が直面するものとしては最大の変化が息を呑む速さで起こっている。Google が登場してから今月でちょうど20年になる。しかし、この転換には良い面も有るものの、私たちが早急に解決する必要がある複雑な問題も存在している。

私の研究の殆どは個人の自己同一性、心理、神経科学、倫理学にまで及んでいる。その私の見解では Google の AI によって動作する「パーソナライズド」機能を使い続けることによって、私たちは私たち個人の認知空間の更に多くの部分を Google に譲り渡すことになり、メンタルプライバシー(精神的私的自由)と自由に思考する能力の両方が損なわれることになる。更に、テクノロジーの利用と精神衛生上の問題の間には関連性を伺わせる証拠が明らかにされ始めている。言い換えると、ヴァーチャル空間にまで引き伸ばされた私たちの心理が、その緊張に耐えきることができるのかわからない状態になっている。そしておそらく、引きちぎられる瞬間に私たちは近づいている。

どこで心理が終わり、どこから残りの世界が始まるのだろう?

これは哲学者で認知科学者である2人、アンディ・クラークとデイヴィッド・チャーマーズが1998年(偶然にもこの年に Google は設立されている)に現在でも有名な論文「The Extended Mind(拡張された心理)」で提起した疑問である。この論文が著される前は、科学者たちは心理というのは皮膚と骨(大体に於いて、脳と神経組織の境界線)までで境界になるものだと答えることになっていた。

しかし、クラークとチャーマーズはより大胆な返答を提示した。彼らは、私たちが外部環境から「何か」を自分の思考プロセスに統合する時、その外部からの「何か」は私たちの脳がしているのと同じ認知的な役割を果たしているのだと主張した。結果的として、これらの「何か」は私たちの神経細胞やシナプスと同じように私たちの心理の一部になっているという。クラークとチャーマーズの主張は論争を巻き起こしたが、多くの心理学の専門家は同意したのだった。


私たちの心理は Google に関連付けられている


クラークとチャーマーズがこれを執筆したのは、スマートフォンや 4G インターネット網の出現よりも前のことで、彼らの描写した例示は何処か現実離れしたものだった。例えば、日常生活に外部記憶装置として役立つノートパソコンを統合した人物が描かれていた。しかし、最近の研究で明らかにされたのは、拡張された心理のテーゼはインターネットに接続されたスマートフォンやその他デバイスへの私たちの執着に直接関連があるということだ。

今や、朝から晩までスマートフォンに閉じ込められた生活をする人の数は増え続けている。Google のサービス(Google 検索、カレンダー、マップ、ドキュメント、フォトアシスタント等)を利用することは当然のことになっている。私たちの Google との認知統合は現実のものになっている。私たちの心理の一部は文字通り Google のサーバに置かれているのだ。

しかしこのことは問題なのだろうか?問題なのだ、それには2つの理由がある。

1つ目は、Google は決して単なる受け身の認知ツールではないということだ。Google は最新のアップデートは AI と機械学習による提案機能についてのものだ。 Google マップはただ単に行きたいところへ(徒歩で、車で、公共交通機関で)の行き方を教えてくれるだけのものではなく、今ではパーソナライズドされて、私たちが興味を持ちそうな場所を提案してくれる。

Google アシスタントは常に2つの単語(Hey Google)をきっかけに、私たちに素早く情報を提供してくれるだけでなく、イベントやレストランの予約までできる。

Gmail は今や私たちが書きたいことについて案を提示してくれる。そして、Google News は私たち個人に関係があると思う記事をプッシュ通知してくる。しかし、こうしたものは全て、私たちが自分自身のために考えて意思決定を下す必要を排除してしまうものだ。Google は認知プロセスのギャップを埋め、それによって私たちの心理のギャップを埋める。その結果、メンタルプライバシーと自由に思考する能力が損なわれることになる。


依存か統合か


2つ目として、私たちの心理がインターネット全体に広がることは良いことではないように見える。「スマートフォン依存」として懸念の声が高まっており、もはや珍しい問題ではなくなっている。最近の調査によると、英国のスマートフォンユーザーは平均して12分に1回はスマートフォンを確認している。私たちはまだ観測し始めたばかりだが、幾多の心理的悪影響が存在する可能性がある。うつ症状と不安による精神障害がその顕著な例である。

私はここでの「依存」という単語は上で述べてきた「統合」という単語の言い換えであると考える。それは、私たちの多くはスマートフォンを手放すのが難しくなっているために、スマートフォンを使うことが日々の認知プロセスに統合されているようい見えるからだ。私たちは文字通りスマートフォンを使って思考をするのであり、それを止めることが難しいのは不思議な事ではない。突然スマートフォンを取り上げられることは、ロボトミー(前頭葉切除)に等しい。依存/統合を打破して自身の精神衛生を回復するために、私たちは異なる考え方をし、私たち自身の心理を取り戻すことを学ばなければならない。

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