2018年9月7日金曜日

Google 20周年:インターネット検索企業が世界を作り変えた


製品発表、企業買収など Google の20年にあった大きな出来事を振り返る


The Verge
Verge Staff
Sep 5, 2018

Google 以上に現代インターネットの形成に責任があると語られるテクノロジー企業は存在しない。革新的なサーチエンジンとしてスタートした Google は現在では8の製品を動かし、それぞれに10億人以上のユーザーを抱える。2018年では殆どの人が Google を使って人類の知的資源を検索し、コミュニケーションをとり、仕事を効率化させ、メディアを確認し、際限なく膨大なインターネットを操ることに利用している。9月4日火曜日、Google は歴史上最も影響力をもつ企業の1つとなって20周年を迎えた。

Google とその親会社であるアルファベットは、Apple と Amazon に続く時価総額1兆ドル企業への道を順調に駆け上がっている。私たちは Google が業界の頂点に至るまでの様々な業績、マップの作成、自動運転車、スマートフォン用OSなどを振り返ってみたい。これは Google の20年の包括的な歴史というわけではないが、大きな製品の立ち上げ、法的問題上の苦境、企業買収など、Google が今後も数十年と続く可能性が高いシリコンバレーの巨大組織に成長してきた概略である。


1996年8月:ラリー・ペイジとセルゲイ・ブリンがスタンフォード大学のネットワーク上に Google を立ち上げる。


当初 BackRub と呼ばれた Google はラリー・ペイジのスタンフォード大学での研究プロジェクトとして始められた。ペイジは1995年にスタンフォード大学の計算機科学の博士課程に進学し、そこで同僚の学生だったセルゲイ・ブリンに出会う。ペイジが World Wide Web のリンクの動作について研究を開始した時、2人は連絡を取り合っていた。ペイジは、どのページが他のページにリンクされているかを調査してインターネットを巡回するシステムを構想し、新しい種類の検索エンジンの開発に繋がる可能性があると考えていた。

ブリンの数学的な専門知識を加えて、2人はリンクの動作に基づいて検索結果をランク付けするアルゴリズムを開発し、これをラリーの姓に引っ掛けて PageRank アルゴリズムと名付けた。この2つの技術は当時の世界で最も強力な検索エンジンの基礎となるもので、スタンフォード大学の学内ネットワークに1996年に立ち上げられた。


1998年9月4日:エンジェル投資家によって10万ドルで会社組織になる


膨大なページ間のリンクと彼らのサーチエンジンが、成長し続けるウェブに於いて正確で便利なものになる方法に因んで、ペイジとブリンは社名を数学的な言葉である googol (10の100乗の意)から着想を得たものにした。2人は後に YouTube の CEO となるスーザン・ウォシッキーのガレージに場所を移した。そして、サン・マイクロシステムズの共同設立者であるアンディ・ベクトルシャイムの10万ドルの投資により Google を会社組織にしたのだった。

1998-1999


2001年8月:シュミットが「大人」として経営者に就任


2001年、ペイジとブリンは Google の経営者としてエリック・シュミットをリクルートした。同社は設立されてまだ数年だったが、急激な成長を遂げ案内役を必要としていた。あるいは、ブリンがこの年にチャーリー・ローズのインビューに答えたところによれば「大人の意見」を必要としていた。シュミットは豊富な経験を持ったエンジニアで、サン・マイクロシステムズで CTO を務め、Google に来る前は Novell で CEO を務めていた。

彼は2001年3月に代表として取締役会に加わり、8月に CEO に就任した。シュミットはこの地位を10年間務め、Google の2004年の株式公開に始まり、YouTube の買収、Google Docs や Gmail のような製品の発表に携わった。彼は2011年に会長職に収まりペイジが CEO になった。シュミットはこの人事を「毎日の大人からの助言はもはや必要ない!」という厚かましいツイートで発表した。



2002年夏:Yahoo が Google を30億ドルで買収を試みる(そして失敗する)


2000年代の初めは Google の将来を大きく決定づけた時期だった。Google が動詞になるずっとまえ、Yahoo は最高のインターネット検索エンジンだった。Google の人気が高まり始め2000年にはその Yahoo にも検索エンジンを提供することになった。2002年の夏までに Yahoo は Google を30億ドルで買収しようとしていた。しかし、Google は少なくとも50億ドルの価値はあるとしてこの取引を拒否したと伝えられる。

この年の遅くに Google は Google News を立ち上げて、記事をまとめるサービスでデジタルメディアがウェブ上に記事を掲載し配信する方法を大きく変化させたのだった。今日、Google とその親会社であるアルファベットは8400億ドルの評価額を持つ企業となり、一方 Yahoo は2017年に皮肉にも50億ドル以下の値段でベライゾンに売却されたのだった。


2003年7月:Googleplex へ引っ越す


パロアルトや他のシリコンバレー近辺にあったオフィスが手狭になった後、Google は1600アンフィシアター・パークウェイにあるいくつかのビルを借りた。この場所はカリフォルニア州マウンテンビューにあり、シリコングラフィックス社が所有していたアンフィシアター・テクノロジー・センターとして知られた場所だった。この引越は Google で1000人以上が同時に働くことを考慮して計画されたもので、この場所は後に Googleplex として知られるようになる。その後同社は数度に渡る拡張と建物の買収と改装を行いキャンパスは広大なものになっている。


2004年4月1日:Gmail が1ギガバイトの容量で開始される


2001年、Google の社員だったポール・ブックハイトは、同社内で増え続けるコミュニケーションと大容量の需要に対応したメールシステムの開発を開始した。ブックハイトは90年代に初期ウェブベースのメールシステムの開発に関わったことがあり、Ajax (ウェブ開発初期の技術で、ブラウザでページ全体をリロードせずにサーバから情報を受け取ることが可能になった)を用いてより高速で、信頼性の高いメールシステムの開発を決断したのだった。2004年4月1日に1ギガバイトの容量と高度な検索機能を備えた Gmail が一般向けに提供された。当時人気のあった競合するメールシステムは、わずか数メガバイトの容量しか提供していなかったため、Gmail の登場によって制約のあるつまらないものに成り下がった。リリースした日付から、メディアでは多くの人がエイプリルフールの悪ふざけだと考えたが、そうではなかった。


2004年8月19日:公開企業になる


最初のベクトルシャイムからの10万ドルの投資に続く一連のエンジェル投資家による投資で Google は支えられていた。その中には Amazon の創設者であり CEO であるジェフ・ベゾスも含まれている。こうしたエンジェル投資の後、1999年にはシリコンバレーの伝統的なベンチャーキャピタルであるクライナー・パーキンスやセコイア・キャピタルのような企業から正式に2500万ドルの資金調達に成功している。Google のウェブ広告製品は巨大な利益を産み出すもので、これが5年後の株式公開に繋がった。Google は株式を85ドルで公開し、時価総額270億ドルと評価され17億ドルを調達した。現在では同社は時価総額1兆ドル企業への道を順調に歩んでいる。


2005年2月8日:Google マップの提供を開始


「地図というのは便利で楽しいものです」と言って Google は2005年に最初に Google マップを公開した。ウェブ専用で一歩一歩進むごとにレンダリングされ拡大も可能な、ホテルの検索などビジネスに使える機能も少し備えていた。2009年に Google がスマートフォンに GPS によって目的地を指し示す機能を追加するまでは本当の意味で便利なものではなかったが、地図についての既存企業 Tom Tom やガーミンにとってはあまり喜ばしいものではなかった。


2006年1月27日:中国で検索エンジンを提供


Google は2000年から中国のユーザーのために中国語版のウェブサイトも提供していたが、カリフォルニアを拠点にしていたためにブロッキングやファイヤーウォールによる減速の対象になっていた。2006年、Google は中国現地の競合企業、百度との競争に効果的に対処するために中国に子会社を立ち上げた。結果として重度に検閲されたものが提供された。


2006年10月9日:YouTube を買収


マイクロソフト、バイアコム、Yahoo 等との競合の末 Google が YouTube を16.5億ドルで買収した。この取引は両者にとって利益のあるものだった。Google はオンライン動画戦争の勝者になり、当時まだ出来てから約1年だった YouTube は Google の莫大な資源を利用できるようになった。しかし、両社はオフィスを統合せず分けたままで、Google の本社はマウンテンビューだが、YouTube はそのままサンブルーノに残された。YouTube は現代の文化とオンラインライフの基盤となり、業界全体を作り出し無数のクリエイターのキャリアをスタートさせることになった。この買収が Google にとって極めて重要なものであったことが証明されたのだった。


2007年4月14日:ダブルクリックを買収し広告帝国を築く


Google は2000年に AdWords を立ち上げて Web 広告で支配的な立場を確立していた。これは同社独自の自動化されたデジタルオークションシステムで、ユーザーが選択されたキーワードを検索欄に1回入力する度に、検索結果ページの好条件の広告欄に広告主が瞬時に入札できるというものだった。

2007年、Google は既にウェブサイトのオーナー向けに文脈を考慮し個人をターゲットにした広告を設置する AdSense を製品として提供していたが、インターネット広告のダブルクリック社を31億ドルで買収して業界の支配を固めたのだった。この買収額は当時最も高額なもので、4年後のモトローラ・モビリティを125億ドルで買収したことで2番目となった。ディスプレイ広告に特化して独自の取引を持っていたダブルクリックを得たことで、Google はインターネット上の広告帝国を更に拡大したのだった。

1999-2010



2008年9月2日:Chrome ブラウザを発表


Google は Mozilla Firefox の開発者を何人か雇い入れて、Windows 向けの Chrome ブラウザを開発提供し、少し後から他の OS 用のものも提供された。まだベータ版だったが、既にサンドボックス化されたタブは高速で安定していた。Google は発表と同時に Chrome の動向を説明した40ページの漫画を公開した。それから4年経たないうちに Google のブラウザは FireFox と Internet Explorer よりも多くの人に使われるものになった。10年を経て、Chrome は現在世界を支配するウェブブラウザになり、世界で約60%のシェアを持っていて、Google 検索をこれまで以上に利用価値のあるものにしている最大の原動力である。


2008年9月23日:T-Mobile G1/HTC Dream 上で動作する Android OS が発表される


将来的に世界で最も人気のモバイル用 OS になる Android を Google は2005年にひっそりと5000万ドルで買収し、T-Mobile G1/HTC Dream を最初の Android フォンとして発表した。10月22日、179ドル(2年契約が必要)で発売し、オープン・ソフトウェア、Google のサービス群との密接な統合、通知機能等、現在の OS の柱になっている機能の基礎を築くことになった。


2010年1月5日:Nexus One を発表


初期の Android は奇妙で実験的な製品が多かった。モトローラのドロイドやサムスンの初期のギャラクシー、HTC の Evo などのデバイスは(理論上は)全て同じ Android ソフトウェアを搭載していたが、Google のデザインは不細工で混乱したスキンやハードウェアの中に埋もれていることが多かった。Nexus One は HTC が作ったものだが、Google によって Android デバイスの究極のショーケースになるように設計されていた。Nexus のデザインそのものは失敗に終わったが、Google がモバイルデバイスについて強く主張したかったことは今日の Pixel フォンに繋がって生き続けている。


2010年3月22日:Google が検閲を停止して中国から追い出される


2010年の初めから Google は中国でインフラに対して、同国の人権活動家のメールアドレスと個人情報を引き出すことを目的とした高度なフィッシング攻撃を受けていることを発見する。この攻撃によって、Google は危険を承知で中国での運営方針を転換し、Google.cn を検閲されていない香港拠点の Google.com.hk にリダイレクトさせた。その後すぐに北京の中国政府は Google を中国で禁止にした。


2010年8月13日:オラクルと Google の係争開始


オラクルがその後8年以上経ってもまだ終わっていない Android についての訴訟を開始した。この訴訟で仮に Google が敗訴するとソフトウェア開発者に大きな影響を与える恐れがある。この訴訟は Java API に纏わるもので Google が Android の内部でそれを利用し、オラクルの知的財産権(Intellectual Property)を侵害しているかどうかが中心に争われている。電子フロンティア財団等は API を自由に作り直すことができなくなれば、ハードウェアについてもソフトウェアについても開発が妨げられることを懸念している。Google はこの裁判で二度の勝訴を得ているが、最終的にはオラクル優位の判決が出ている。始まりから8年が経った現在、オラクルが勝者の側にあり Google は最高裁判所に上訴しようとしている。


2010年10月:自動運転車の開発を開始


2010年、Google は7台のトヨタ・プリウスでこれまでとは全く異なる種類の製品開発を開始した。このハイブリッド車にはセンサーが装備され AI が搭載されていて同社における自動運転車の最初の一歩となったのだった。この努力はその後数年間、変化、進化を続け最終的にウェイモ(Waymo)として独立したビジネスになるはずである。


2011年6月15日:Chrome OS が発表される


ブラウザをリリースしてから、Google はオペレーティング・システム全体の開発を視野に入れていた。Chrome OS はオープンソースであり、ネットブックでウェブアプリを動作させることを主眼にして設計されていて、現在は Chromebook の OS として知られている。Google はソースコードを公開し新 OS のデモを行った。2011年6月までに最初の Chromebook が Acer とサムスンによって製造されリテイルストアで購入できるようになった。Chromebook は教育市場で主要な製品となり、マイクロソフトも Google の後を追って Windows S Mode を導入した。

2010-2013


2011年6月28日:Google+ を発表


Facebook 人気の高まりを受け、Google は自身の手でソーシャル・ネットワーク Google+ を立ち上げた。これはマイクロブログ Google Buzz を置き換えるものだった。しかし、当初参加するために大学のメールアドレスを要求した Facebook とは異なり、Google+ は招待のみで参加でき、友人たちの「サークル」で写真やリンクの共有、チャットを可能にするものだった。

しかし、招待のみの制限を長く続け過ぎたことが、Google+ の多くの失敗のうちの1つだった。結局 Google+ は何年も再設計され続けているにも関わらず本当に受け入れられてはいない。同社は2017年にも未だに Google+ のレイアウトや操作方法を弄り回しているが、他のサービスのために Google アカウントを取得した殆どのユーザーの Google+ プロフィールページは空のままになっている。


2011年8月15日:モトローラ・モビリティを買収


Nexus プログラムで「ハードウェア」についての野望を残したまま満足していなかった Google は、2011年にモトローラ・モビリティを125億ドルで買収する賭けに出た。この取引の時に Google は「Android のエコシステムを強化し、モバイル・コンピューティングの競争を拡大したい」と述べている。実際にはどちらも達成できていない。

Google の管理下で2013年にモトローラは Moto X を開発した。アメリカで組み立てられる Moto X は前代未聞のカスタマイゼーションとパーソナライゼーションが提供され、直感的なソフトウェアが採用された。好意的に受け止めれれたものの実際には受け入れられず、ローエンドモデルの Moto G は Moto X を救い出す相棒としては力不足だった。2014年に第2世代の Moto X が発表されるまでに、Google は既にレノボに対してモトローラ・モビリティを買値よりも数10億ドル低い額で売り渡すことで合意していた。そして私たちは未だにモトローラを恋しがっている。


2012年6月:スカイダイビングのデモで Google Glass (メガネ)を発表


スマートフォンとウェブサービス事業と共に、Google は Google X や ATAP と呼ばれる部門の下で実験的なハードウェアの開発を初めていた。そのうち最も有名な製品が Google Glass で、ウェアラブル・コンピューターで、周辺の情報を補完し、ビデオや写真を撮ることができる。

このメガネの実力を示すために、セルゲイ・ブリンは2012年の同社の開発者会議 I/O でスカイダイビングのライブレコーディングを実行して見せた。このデバイスは開発者と一部の予約者たちに提供されたが、プライバシーのリスクについて批判があり、一部の営業者はこのメガネをつけた人が敷地に入ることを禁じるケースが生じた。

2017年までに、Google Glass はエンターテイメント製品に絞って再構成されたが、Snap の Spectacles や他の AR メガネに先を譲っている。ATAP はスマートジャケットや Ara モジュラー・スマートフォンのような興味深いプロジェクトを進めており、Google X はムーンショットを担当するアルファベットの子会社 X として独立している。


2013年7月1日:Google リーダーの提供終了


2013年にGoogle が RSS リーダーの停止を発表した時には世界中の RSS 好きたちが泣き叫んだ。Google は後に Apple がスマートフォンから愛されていたヘッドフォンジャックを取り去った時のような「真の勇気」を見せたのだった。人々はニュースを Twitter か Facebook から辿ることになり、その結果ドナルド・トランプ大統領が登場し、ブレクジットが起こることになった。Google に感謝しましょう。


2013年7月24日:Google Chromecast を発表


Chromecast は小さく、安価で、余計なものが付属せず、スマートフォンやパソコンからTVにビデオをストリーミングできる方法だった。5年が経ったが、文字通り何も変わっていない。Google はこの製品を殆ど更新していない。そして今現在でもストリーミングするための最も安価で最も簡単な方法である。

2013-2015



2014年1月24日:AI 研究所ディープマインドを買収


Google はロンドンに拠点を置く AI 企業ディープマインドの買収に於いて激しい戦いを繰り広げていて、そして同社の技術を監督する独立した倫理委員会を作ることを約束して Facebook を打ち破ったと伝えられている。しかし買収額がどんなものであれ、その価値はあった。ディープマインドの成功は囲碁対局システム AlphaGo のように、地球規模の科学的成果として称賛され、現在の AI ブームを象徴する存在になった。(間違いなく、人員確保とマーケティングの上で Google にとっても価値のあるものだった)

ディープマインドは英国のヘルスケアシステムへの最初の参入では躓いたかもしれないが、Google のシステムに直接専門知識の提供を始め、音声合成技術を改善し、データセンターをより効率的に再編させたことで地位を取り戻している。Google は AI の世界的なリーダーだと広く考えられているが、ディープマインドがなければそうではない。


2015年8月10日:アルファベットとして会社組織を再編


Google の設立者の1人であるラリー・ペイジは数々の革新的な製品により巨大複合企業となった Google をアルファベットという新会社に再編することを決断した。Google をそれぞれ独自の CEO を持つ会社に再編した。この中には寿命を延ばすプロジェクトの Calico と投資子会社も含まれている。その中で Google のCEOに就任したサンダー・ピチャイは極めて効果的に仕事を行っている。

この再編から、Verily、ウェイモ、Wing といった会社がアルファベットの下に立ち上げられ、アルファベットの下でそれぞれの成功に向けて集中するようになった。1つの傘の下で酷く混雑した状態になっていたそれまでの Google では不可能なことだった。1ヶ月後の 2015年9月1日、組織の再編成を記念して、Google は新しいロゴを発表した。


2015-



2016年5月18日:Google アシスタントを発表


Google はバーチャル・アシスタントの最後発であった。Amazon Alexa から遅れること2年、Apple の Siri が登場してから5年近く経ってから市場に参入した。しかし既に両者に追いついている。Google アシスタントは急速に成長し、消費者向け AI 市場の主導権を争って Alexa と直接競合するようになった。Google Home スピーカーで強化され、市場では多くのスピーカー、テレビ、スマートディスプレイなどが2年以内で対応することになった。将来の消費者向け AI 市場争いで Google はアシスタントを王座に君臨する Alexa への正当な挑戦者としてのポジションに据えている。


2016年10月:Pixel と Google Home でハードウェアを発表


Nexus や他の一過性のデバイスで家庭用ハードウェア市場に切り込んだ Google は、スマートフォン Pixel、Pixel XL と Google Home スマートスピーカーで更に深いところに飛び込んだ。Pixel は初めて完全に Google によって設計された正当な Android スマートフォンだった。生産は Google のパートナー企業(この場合では HTC )が担当していたが、Google が Apple のようなまとまった製品エコシステムを導入したことは大きな転換だった。Home スピーカーは消費者向けメディア機器として Chromecast に加わり、家庭用の人工知能プラットフォームとなり、Pixel シリーズは Android 搭載端末のフラッグシップ機となっている。


2016年12月13日:ウェイモがアルファベットの子会社として独立


自動運転車の試験が開始されてから6年が経ち、Google はこのプロジェクトを単独のビジネスとして独立させることを決断した。ウェイモ(Waymo)と呼ばれる新会社は元ヒュンダイの CEO であるジョン・クラシクが率いている。更に重要なのはフィアット・クライスラーと提携し、同社のミニバンであるパシフィカを使い始めたことだ。独自の自動車を作り上げるという Google の当初の計画は(少なくとも今の所は)棚上げされている。Google の長期にわたるテストと十分な資金力がウェイモの自動運転車を早期に軌道に乗せることになる。同社は既にアリゾナで実際の乗客を乗せたテストを開始しており、2018年内に完全な商用サービスを開始したい考えを持っている。ウェイモは Google X のラボで最も成功したベンチャーの1つである。


2018年7月18日:Android での独占行為で EU で罰金を科される


今日の世界に於ける Google の影響範囲は現代のビジネスに於いて比類のない物になっているため、同社が長年に渡ってプライバシーと反競争的行為で多くの訴訟に直面してきたことは理解できることだ。しかし、今年の夏に欧州連合から Android に於ける独占禁止法違反を問われ 50億ドルの罰金を科されたことほど強烈なものはこれまでなかった。

欧州連合の政策執行機関である欧州委員会は Google が Chrome ブラウザに表示させる広告で自前のショッピングサービスを優先していると判断した。これはほとんどの Android スマートフォンにデフォルトで組み込まれている。大部分は些細過ぎることに対する遅すぎる指摘のように見えるが、今回の罰金は Google や仲間のシリコンバレーの巨大企業 Facebook や Amazon が独占体制に入ってから政策立案者や一般市民が望んできたことの実現の一部である。

その罰金から丁度1ヶ月後、アメリカのドナルド・トランプ大統領は Google が保守的なニュースソースを出さないように検索結果を操作していると非難した。Google は20年前にスタートしたスタンフォード大学の研究プロジェクトを大きく超えて成長し続けているため、今後も更に多くの訴訟に直面することになるだろう。

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