2018年8月24日金曜日

ソーシャルメディアでフォローを外すことは驚くほど強力な拒絶行動である


なぜ人々はフォローを外されることをそこまで気にかけるのだろう?


TONIC
Mark Hay
Jul 14 2018

ソーシャルメディアは大体においてバカげたものである。もちろん私たちはソーシャルメディアを使って、気にはしていても簡単には連絡の取れない人たちとの繋がりを保つことが出来る。しかし、多くの場合は連絡先を貯めておくだけで、それを使うことはない。例えばある調査によると、大学生は Facebook の「友達」のうち72%しかそれが誰なのか認識できないのだという。だがどういうわけか連絡先を失うことは深刻な精神的打撃になる。相手が実際には全く連絡を取ることがないただの知り合いであってもだ。これはソーシャルメディアによるネットワークがどれだけ薄っぺらいものかを考えれば不合理なことにも見える。しかし、フォロワーを失うことが何故時に酷く傷つくものになるのか、ということには強力な理由が存在する。

ソーシャルメディア上の友達やフォロワーというのは全てが軽薄な存在なわけではない、とウェズリアン大学の社会心理学者キップ・ウィリアムズが説明する。彼らの存在は私たちが広い社会システムの中に包摂される感覚を構築する方法の1つであり、私たちはしばしばそれを通して自身の価値を感じている。オンライン上でフォロワーや友達を失うことは「拒絶、排斥、追放のような形で人々に影響を与える」のだとウィリアムズは話している。つまり、このことは私たちに苦痛を与え、自尊心と自己統制感に打撃を加える可能性がある。ソーシャルメディア上の繋がりが失われていることに気づいた時はどんな人でもネガテイブなものを感じるのだとウィリアムズは付け加える。しかしその影響の大きさは個人的及び社会的な背景によって異なる。

特に驚くようなことではないが、既存のソーシャルメディア心理学に関する研究では、現実社会で親しい付き合いがある人、あるいは最近まであった人からソーシャルメディア上でフォローを外されるかあるいは友達から外されると多くの場合人は動揺することが示されている。事前の予告なしにフォローが外された場合や、その直前に緊張感のあるやりとりがあった場合には特に当てはまる。こうした突然のデジタル上の断絶は多くの場合受動的攻撃行動や対立的な嫌悪を表現した行為として受け取られる。しかし、突然ではなくフォローを外すことに事前の通知を受けていたとしても、フォローを外されたことは絆に亀裂が入った悲しい思い出になり得る。

こうした友達外しの力学とも言えるものの研究は多くはないが、ノースカロライナ大学ウィルミントン校の教授でソーシャルネットワークと Facebook で友達から外す行動について研究をしているクリストファー・シボーナは2014年に1,077人の Facebook ユーザーを対象にした調査研究を発表している。彼は、人々がソーシャルメディア上で友達から外す可能性が最も高いのは高校時代の古い友人であり、それに、カジュアルな知人、友人の友人、仕事上の友人といった実際の生活で強い結びつきのない人たちが続くことを明らかにした。

この研究では人々が Facebook で友達から外された時の最も多い反応は「驚き」であることも明らかにした。そして3番目に多かったのは「愉快さ」であった。シボーナによるこの研究とその後の研究により、平均的なソーシャルメディアのユーザーについて(当たり前だが)次のような結論が導き出されている。「もしあなたが知らない誰かの友達から外されても、ネガティブな影響を受けない傾向がある」

しかし、これは平均的なソーシャルメディアのユーザーを描写したものだ。中には他の人よりもより強い社会的な認知を必要とする人たちもいるとウィリアムズは言う。カリフォルニア州立大学でデジタル社会の心理学を研究するラリー・ローゼンも、社会的な価値や認知の感覚を得るためにソーシャルメディアネットワークにより強く依存している人々がいることを指摘している。こうした人々はソーシャルメディア上のフォロワーや友人の変動について極めて敏感であると考えられる。

この予測は、チャップマン大学のソーシャルメディア研究者ジェニファー・べヴァンが547人の Facebook ユーザーを対象にして行った調査の結果と一致しているようである。この調査では Facebook により熱心なユーザーは友達から外されることをより苦痛に感じていることが示されている。この研究では誰が友達から外したかを知っている場合にはよりネガティブな反応をする可能性が高いことも明らかにされている。シボーナの研究では、そうした詳細を把握している人は友人の数を注意深く監視していて、(ツールを使って)誰が友人から外したのかを全て特定していることが示されていると言う。

こうした人たちにとっては、ただの知人であってもフォロワーを失うことは自分自身を評価するために用いている定量化された社会的地位として認識しているものを失うことを意味する。オンラインで自身の個人的な行動を共有し、自身の理想的な姿を作り上げるために細心の注意を払っている場合、フォローを外されたり友達から外されることは彼らの個人的なアイデンティティに対する批判か侮辱のように感じられる。

ビジネス心理学者のトーマス・シャモーロ=プレムジッチは、最近私と会話した中で、こうした人たちを「自尊心が不安定で不安になっている人」だと説明した。しかし、彼らが友達から外されたり、フォローを外された時に傷つくのは何らかの正当な理由があるのかもしれない。私たちは実際の生活では、近所で誰かに会いたくない時は単に避けたり、特に痛みを伴わずに移動したりすることができる。ソーシャルメディアで友達から外す、フォローを外す行為によって関係を断つことは明確で公的な拒絶行動となる。現在では、各ソーシャルメディアでフィードを見たくない人をミュートする事ができるようになったことで、この拒絶行動は更に注目に値するかもしれない。もし誰かがミュートするのではなく友達から外すという行為を選択をした場合、それは滅多にない無作法な個人に対する拒絶だと読み取ることができる。

既存の研究に基づくと、人々はオンライン上で知り合った人は後に友達から外す可能性が高いようである。また、シボーナの研究によれば、直接の衝突がなかったとしても、投稿する内容が平凡過ぎるか不快だという理由で関係を断つ傾向がある。投稿の内容が刺激的過ぎるか退屈過ぎるという理由でフォロワーを失うという話は一般的になっているため、ソーシャルメディアに夢中になっている人々は、彼らが注意深く構築して世界に広く提示してきたデジタル上のアイデンティティの告発としてフォローを外すという行為を用いることがある。

このことはソーシャルメディアで友達から外すことやフォローを外すことよりもミュートが人気になっている理由を説明している。壊れやすい自尊心を傷つけるような、不快で、意図的で、公的なメッセージを送ることなく、個人をオンライン上で切り離すという目的を達することが出来る。ローゼンは、フォローや友達から外す行為は究極的にはデジタル上の攻撃や物理的なストーキングのような反応を起こす危険性もあり得ると述べている。

それでも誰かを友達から外す理由はまだたくさんある。シボーナは何らかの手順のような物が必要かもしれないと指摘している。専門家は友達から外された人を思いやって、感情的な打撃を弱めるために関係を断ち切った理由を知らせることを推奨している。しかし、個人の精神衛生や安全が脅かされていて、ミュートでは解決できないような場合にはこうした思いやりは必要なく、自身の身を護ることを優先する必要がある。

どれだけの人が、ソーシャルメディアで友達から外されることに対して心理的に打撃を受けるほど敏感になっているのかははっきりしていない。べヴァンはこの件に関する研究は驚くほど貧弱だと述べている。この記事で引用している研究の殆どは5年以上前のもので、多くのソーシャルメディアでミュート機能が導入される前のものであるため、友達から外す、フォローから外すことの心理的影響を過小評価している可能性がある。私が話を聞いた限りでは、ソーシャルメディアで関係を断つことについてプラットフォームごとに反応を比較した研究や1つのプラットフォーム上で時間経過を追った研究を知っている人はいなかった。つまり、私たちはソーシャルメディアのプラットフォームごとの要素によって心理的に影響があるのかどうかわかっていない。

しかし、私たちはあまり重要でないフォロワーや友達を失うことでも傷つく人がいることに正当な理由があることはわかっている。それは、フォロワーや友達のリストを咎められることなく整理したいと考える人や、関係を絶たれた人が怒っていることを聞く可能性がない人にとっては奇妙なことに思える。そして、関係を絶たれて打撃を受ける人たちは傷つきやすさに対してもう少し回復力をつけることが懸命かもしれない。ウイリアムズは友達やフォロワーに夢中になっている人は、その数ではなく友情に集中するように促している。

それでも、人々が社会的な人間関係や自尊心を追い求めている限り、そうした欲求をソーシャルメディアに求めて敏感になることは避けられない事である。だから、私たちは人間である限りはこの傾向があるものだという現実を受け入れて、少なくとも実生活での人間関係でしているのと同じような配慮と親切さで、ソーシャルメディアの友達とフォロワーのリストに接する必要があるのかもしれない。

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