2018年8月19日日曜日

何がイタリアで架橋の崩落を起こしたのか


この大惨事によってイタリアで戦後に建設されたインフラに注目が集まっている


The Atlantic
JOHN SURICO
AUG 16, 2018

2016年12月、ジェノバの新聞「 Il Secolo XIX 」はイタリアのインフラへの公費支出について聞き慣れた警告を発していた。当局は新しいものを建設することに集中し過ぎていて、数十年前に建設された古いものを維持するための支出が繰り延べになっている、と指摘するものだった。この記事では特にリグーリア州の約5,000の橋に焦点を当てていた。その多くは1950年代から60年代に建設されたものだ。そしてそのうちのいくつかは落ちかかっていたのだった。

ジェノバ大学で工学の教授を務めるアントニオ・ブレンチッチは同紙の記者ロベルト・スクッリに対して次のような話をしている。1950年代までイタリアの主要な橋は最低でもアメリカ軍のシャーマン戦車を支えられるように作られていた。その後、60トンのM1エイブラムス戦車か、あるいは、最低でも交通量で想定される重さの2.5倍の重量を支えられることが基準になった。しかし、10年から20年経つと構造上の不足が明らかになることが多かった。適切な予算が充てられて維持管理されない限り、亀裂が入り始める可能性がある。

ブレンチッチは、特に地方経済のために不可欠で、維持に莫大な費用が必要となっている橋を選んで例に挙げていた。「最終的にモランディ橋のような橋を危険に晒すことになります。この橋の維持費はとても高価なものですが、新しいものを建設するよりは安いはずです」と彼は述べていた。

そして火曜日の午前、悪天候の下、その吊り橋の高さ260フィート(約80m)の塔を含む部分が崩れ落ちたのだった。救助活動はまだ続いているが、ニューヨーク・タイムズによると、37人が死亡し、他にも数十人が怪我を負ったとされている。

イタリア国営ANSA通信によると数十台の車が崩壊した瞬間にその部分にいたという。イタリア国家警察が Twitter に恐るべき動画を投稿している。この動画では中央の梁が濃い霧の中で落ちていくのが映し出され、目撃者が「おお、神よ」という意味の言葉を繰り返している。


イタリアでは近年最悪のインフラ事故となった崩落の現場に、首相のジュゼッペ・コンテは素早く訪れた。この事故によってイタリアの戦後に作られた構造物を維持する能力についての議論に火がつけられることになった。

交通大臣であるダニーロ・トニネッリは Twitter でこの事故を「巨大な惨事」だと投稿し、公共放送局RAIに対して、全関連機関が速やかにイタリア全国のインフラについて検査を行い、安全性を調査するとし、「これが今イタリアに必要なことです」と話したことが伝えられている。

この大惨事は、2010年から6人が首相を務め、景気停滞が長期化しているイタリアにとって予期できないタイミングで起こったことだった。現在の政権は、反体制政党の五つ星運動と極右政党の北部連盟という、政治経験が決定的に足りていない2つのポピュリスト政党で構成されている。この連立政権の誕生はイタリアとEU全土に衝撃を走らせることになった。

イタリアの閉塞した法の支配は、成長と公共投資の阻害要因として引き合いに出されてきた。評論家は議会の権力が絶えず移動していることが体系的な計画の策定を不可能にしていて、インフラにどのように資金提供され維持管理されるかという議論まで至っていないと指摘する。欧州委員会によれば、イタリアの道路関係のインフラへの投資はEU内での平均をやや下回っており、28カ国中17位となっている。

6月に政権について以来、連立政権はアメリカでトランプが進めているような政策を並べている。法人税減税、EU規制の見直し、移民受け入れ数削減の要求、そして、インフラ支出を押し上げるために「メイク・イタリア・グレート・アゲイン」と合唱している。こうしたメッセージはスーパーハイウェイを発明したアメリカと共鳴する。イタリアは、第二次大戦後にアメリカによる欧州各国への復興援助策であるマーシャル・プランをきっかけにして、「イタリア経済の奇跡」として知られる20年近くに渡る力強い成長の時期を経験している。この時期に広大な輸送網と高速道路建設が進められたことがアウトストラーダで全土が結ばれた現代イタリアを構築するのに貢献したのだった。

火曜日に高架橋が崩落したことは、古いインフラを徹底的に調査するきっかけになる。 公共放送局RAIのインタビューでトニネッリは古い建造物が優先されることになると述べている。

モランディ橋(別名ポルチェヴェーラ高架橋)が一般に開通したのは建設から4年後の1967年のことだった。この橋は、アウトストラーダ10とアウトストラーダ7という主要な高速道路を結ぶためにジェノバの港湾産業都市部を貫くように通っていて、旅行者を北のロンバルディア州からリグーリア州のビーチへと運ぶ。この橋の大きさと高さは見ただけで圧倒されるものである。全長3615フィート(約11km)、塔の高さは橋上の道路から148フィート(約45m)あり、橋の下には道路、線路が通り、ボルチェベーラ川が流れている。

この橋の構造は、鉄筋コンクリートとプレストレスト・コンクリートを併用したもので、この技術は橋の名前にも残っている技術者リッカルド・モランディが得意としたものだった。彼は同様の工法でベネズエラとリビアにも建築を行っている。しかしこの美しい設計が称賛されていた一方で、1980年代になると、維持にコストが嵩むことが明らかにされていった。ブレンチッチが何年も前から指摘していたのは、2つの異なるタイプの工法を組み合わせたことで構造が不均一になっているということだった。

しかし、火曜日にイタリア当局は、この橋は定期的に検査されていて、基礎部分は崩落した当時ちょうど修復中だったという。また、再構築計画も2016年に予算が充てられていた。

崩落の原因に関する公式な調査が始まったところで、地元機関と国家機関の両方が怠慢行為があったかどうか、犯罪としての調査も否定しないことを言及している。目撃者によれば崩落当時は深刻な悪天候で、この地域で雷が発生していたことも報告されている。天気予報 AccuWeather によれば、事故当時は風速30〜40マイル(約13〜18m)の風が吹いていたという。

風は橋の崩落に関係があるかもしれない。ニューメキシコ採掘技術研究所の工学技術者ウェズリー・クックは、 CityLab に対して、ジェノバの状況について具体的なことは言えないと前置きした上で、「歴史的なことを言えば、1950年以前は風が橋が崩落する最大の原因でした」と話している。「それが調査と研究を重ねて変わってきたのです」

クックは、建設から数十年を経た建造物の場合、建造からの経年数そのものよりも定期的な維持管理作業の方がずっと重要なのだと語る。数十年前に作られた橋の状態は「良い」から「貧弱」の間を移動する可能性がある。彼によれば公的機関はそれを閾値に保つように努めてそれ以上悪化しないようにするのだという。(2007年に13人が亡くなったミネアポリス高速道路崩落事故を受けて、アメリカ国家運輸安全委員会は建造経年数を重要な要素として規定した。この事故の調査ではこの築40年の橋には設計上の不備による欠陥があったことを明らかになった)。「大抵の場合、崩落を引き起こす原因となる出来事があるものです」とクックは言う。「建造から25年を過ぎれば、それが40年か140年かは問題ではありません」

2014年にアメリカ全土の橋を対象にして調査を行ったクックは「全てではないが、多くの場合」吊り橋は他のタイプの橋よりも脆弱であるという。加えて彼は、実際に問題なのは、その橋が「破壊限界」と見做されるかどうかが、単一の欠陥の要素が破壊を引き起こす構造、として定義されいてることだと言う。最近マイアミで起きた歩道橋の事故やミネアポリスの高速道路崩落事故の惨事のような致命的な崩落事故は、多くの場合複数の要素が最高点に達したものなのだとクックは話す。

ジェノバの技術者ブレンチッチも2年前に同様の点を指摘している。「架橋の崩壊は長い間の失敗が重なった結果なのです」

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