2018年6月22日金曜日

モ・サラーのゴール後の儀式の意味


リバプールFCのスタープレーヤー、モハメド・サラーはスポーツ界で活躍するイスラム教徒の象徴になっている


The Atlantic
YASMEEN SERHAN
JUN 21, 2018

ワールドカップロシア大会で、エジプト代表チームは先週はウルグアイを相手に負けてしまったが、今週も良い週にはならなかった。火曜日、ワールドカップ2試合目もロシアとの試合に敗れ、「ファラオズ(エジプト代表の愛称)」はノックアウトステージ進出への希望を絶たれてしまった。しかし、エジプト代表はこの大会でフィールドに何も残さずに去るわけではない。彼らの愛すべきスタープレーヤー、モハメド・”モ”・サラーが肩の負傷から戻ってきてエジプトに28年ぶりのワールドカップでのゴールをもたらしたのだった。「エジプトのキング」としてファンから愛される彼が戻ってきた。

サラーの輝かしい評判はサンクト・ペテルブルグでワールドカップにデビューする前から話題になっていた。26歳のサラーは2018年に世界で最も話題をさらった選手の1人だった。所属クラブのリバプールFCの復活の原動力となり、チームを先月行われたチャンピオンズリーグの決勝戦まで導いたのだった(この試合はレアル・マドリードに3-1で敗れ、この試合中にサラーは右肩を負傷しワールドカップの第1戦まで休養を余儀なくされることになった)。サラーはシーズンを通して多くの称賛を集めた。イングランド・プレミアリーグではシーズン最多得点記録を更新し、イングランド・プロフットボール選手協会(PFA)は彼に年間最優秀選手賞を授与したのだった。

彼が注目を集めたのはスポーツ面のことだけではない。サラーはイングランドで、そしておそらく世界でも、イスラム教徒のスポーツ選手として最も注目を集める存在となった。彼の信仰の様子はフィールド上でも広く知られている。彼はゴールを決めると、まず他の選手と同じようにチームメイトと祝福しあう。しかし、その後に彼は跪き頭を地面につけてイスラム教徒が「サジュダ」と呼ぶ平伏叩頭(こうとう)の姿勢をとる。これについてサラーは先月、CNNのベッキー・アンダーソンに「祈りを捧げているようなものです、神様が私に与えてくれたものに感謝しているのです。若い頃からいつもこうしています」と話している。

エジプト生まれのスター選手が彼の信仰を公の場で表現することは、非友好的な移民政策に傾き、反イスラム感情も高まっているイギリスに於いては小さなことではない。ロンドンとマンチェスターで昨年起きた大規模なテロ事件の後、イングランドではイスラム教徒に対する憎悪犯罪が急増している。2016年にイスラム教徒の市長が当選したロンドンでも昨年からイスラム教徒に対する憎悪犯罪が40%も増加することになった。「私たちはイスラム教徒とそれ以外の人々との関係を改善するために多くの予算と努力を投じてきたので、今は少し落胆しています」と地域社会組織イスラミックスの創設者であるモハメド・カリエルは話す。「こうした努力は小さいながらも成功を収めているのです」

彼はサラーが流れを変えたと言う。「私たちはイスラム嫌悪とイスラム教徒に対する憎悪犯罪がイングランド北部で蔓延しているのを見ています」とカリエルは話す。サラーが所属するリバプールもイングランド北部にある。「今、まさにその場所でサポーターたちが次のような内容のことを応援で歌っています。『サラーにとって十分なら俺にとっても十分だ』『彼がまたゴールしたら、俺たちもイスラム教徒になろう』。1人の人間によってこんな変化が起きたのです、素晴らしく前向きな変化です」

リバプールのファンたちはサラーを応援する応援歌をいくつも作ったが、彼のイスラムの信仰を讃えるものより人気が出て有名になったものはない。英国のバンド Dodgy の1996年の「Good Enough」という曲に合わせたもので歌詞は次のようなものだ。「モ・サラーラララ…/彼が君にとって十分なら僕にとっても十分だ/彼がまたゴールしたら、僕もイスラム教徒になろう/彼が君にとって十分なら僕にとっても十分だ/モスクで跪こう、そこが僕のいたい場所だ」。この応援歌はリバプールの公式賛歌である「You'll Never Walk Alone.」と同じようなメッセージを伝えているようでもある。



元サッカー選手であり、現在はフットボール・サポーター協会の多様性及びキャンペーン責任者を勤めるアンワル・ウッディンは、ファンたちはサラーの信仰について意図的に強調しているのだと言う。「彼らはリバプールFCの本拠地アンフィールドで、ある火曜日に思いつきでこの歌を歌ったのではないのです」と彼は言う。「彼らは、彼らのチームにイスラム教徒のスーパースターがいるという事実を考えていて、彼を讃えたいと思っていました。私たちはこの最初の話し合いに関わっていました、それは、このチャントによって一部の人を不快にする可能性があったためで、それは彼らの本意ではなかったのです」



このチャントはサラーの信仰を祝福し受け入れることを象徴するものだが、カリエルとウッディンはそれとこの国からイスラム嫌悪を根絶することとは全く別物であることを認めている。結局、1人の人ができることでは、モ・サラーの影響力を持ってしても、世界的な宗教の否定的な認識を変えることは難しいのだろうか?いちスポーツ選手がファンの人たちに彼の宗教を見る目を変えさせることは期待のし過ぎなのだろうか?

この質問をカリエルとウッディンにぶつけたところ、彼らは、サラーは既に少しずつではあるが違いを作り出していると話してくれた。「私がセミナーやイベントで全国を回て見ている限りでは、モ・サラーほど影響を与えている人物はいないと思います」とウッディンは言う。「イスラム教徒には汚名がついて回っているイギリスの中で、リバプールのファンだけでなく誰からも憧れの対象になる人がいるのは素晴らしいことです」

「仮にモ・サラーのような人が100万人いたとしても、私たちには多くの仕事が残っているでしょう」とカリエルは言い、そして「ですが、彼は大きな違いを作り出しました。そしてそれは今後長く続くものになるかもしれません」と続けた。

当然ながらサラーは英国でプレーする唯一のイスラム教徒のサッカー選手ではない。彼を特別なものにしているものは、ピッチ上のパフォーマンスと同様にピッチ外での振る舞いにもある。彼は、慈善事業に多額の寄付をして称賛されている他、母国エジプトに多くの貢献をしている。彼がエジプト政府が主催する反薬物キャンペーンに参加し、薬物リハビリセンターへの問い合わせが急増したことも伝えられている。彼は過度に政治的にならないことは全てやっていて、エジプト人を団結させることに貢献している。

「彼は極端なものからは距離をとっていて、政治を超えたところにいます」と、ジョン・ホプキンス大学の国外政治問題の研究者アフシン・モラヴィは語る。しかし、彼はサラーの例外的なイメージは同時に矛盾を表していることを指摘する。「危険なことは、人々が彼を『他のイスラム教徒』とは分離して、例外として見るようになることです」と彼は言う。「ロンドンでテロ攻撃が起きた場合、私たちはまた過去と同じ大雑把な偏見と大雑把な差別感に戻ってしまうかもしれません。しかしモ・サラーだけは別だ、と。」

モラヴィが指摘する危険性は他の面から明らかにされる。先月、マリアンからの不法移住者ママドゥ・ガッサマが、4階建てのビルに素早くよじ登りバルコニーから落ちかかった子供を助けたことで、フランスの市民権を与えられた(彼には「スパイダーマン」というニックネームが付けられた)時、一部の評論家は「良い移民と悪い移民」の二元論を展開した。ガーディアンのコラムニスト、ネシュリン・マリクはこの救助について「良い移民であるための基準は非常に高く、良い移民とされるためには文字通り高層ビルをよじ登らなければならない」と New Statesman に書いている。「極右政党が何百万もの票を得るようになっている今の欧州の政治情勢の中では、議論の分断を終わらせない限り移民が善行を行うことすらも難しいことになっている」

こうしたことにも関わらず、モ・サラーは世界の注目を集めている。彼は偉大なフットボール選手たちが崇拝されるのと同じ理由で尊敬されている、それは彼が素晴らしい選手だから。その彼がイスラム教徒なのである。



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