2018年6月11日月曜日

ガザ地区での生活「私たちは監獄で暮らしているのです」


ガザ地区に暮らす4人の市民にイスラエルに封鎖された下での彼らの生活を語ってもらった


Al Jazeera
10 Jun 2018

ガザ地区の人々は10年以上に渡りイスラエルに封鎖された中で暮らしている。

2006年ハマスがガザ地区の議会選挙でファタハに勝利し、その1年後この2つのライバル党派による諍いが起こった。

最終的にハマスが支配権を得た時、イスラエルはガザ地区を地上、海、空から封鎖し、ガザ地区の住民たちがイスラエルで働くことを禁じるという対応をした。

エジプトがこれに同調し、この地区は外の世界から封鎖されることになった。

ガザの孤立が継続していることはこの地の経済に打撃を与え、住民は困窮し、住民の60%に仕事がなく、満足な電力供給や医療サービスを受けることができずにいる。

封鎖に加え、パレスチナの2つの主要政党ハマスとファタハによる争いがガザ地区で暮らす人々の生活を更に困難なものにしている。

ガザに住む4人がイスラエルによる封鎖の下での生活について話してくれた。


ナフェズ・アダイエス:「人々は自分の土地に帰りたがっている」


ナフェズの一族は何代もパン屋を営んできた。人々は自宅でガスを使う余裕が無く、料理をするために彼のところに材料を持ってくるのだと言う。



「私の家族はヤッファでパン屋を営んでいました。私の祖父はラマッラーに住んでいましたが、ヤッファの占領地区になっている場所にパン屋を開業したのです」

「私たちはそこで暮らしていました。私たちはヤッファに土地を所有しパン屋を所有していました。それらは全て(イスラエルによって)取り上げられてしまいました」

「彼らは私たちの土地を盗み、今度は私たちが生きるために残された僅かな場所を取り囲んでいるのです」

「以前はチキンを食べていたような人も今は買うお金がありません。戦争と失業のせいでお金が全く無いのです」

「もともと私たちは美しい生活をしていました。人々はかつて暮らした自分の土地に戻りたがっています。贅沢ではありませんでしたが、生きていた場所にです」

「今でも、(1948年以前のことを)全て覚えている年寄りがここにはいます。しかし、彼らの記憶にあるものはイスラエルが全て奪い、彼らの地なのだと主張しています」

「どうして彼らの土地であるものでしょうか?彼らは力尽くで私たちをそこから追い出し、私たちをここに追い込んでいます」

「彼らは私たちに何を求めているのでしょう?私たちが何をしても、彼らは私たちのことをテロリスト呼ばわりします。それが彼らのやりたいことですか?私たちは何処に行けるというのでしょう?」


ナヘド・アル=グフル:「この土地に前に進む道は無い」


ナヘドはガザ地区で飲料水の配達に従事している。ほとんどの人は彼に支払いをすることができなくなっている。彼はかつてイスラエルや他の隣国でも仕事をしていた。



「一番良かった時期はイスラエルで働いていた時だね、25年か30年前の話だ」

「当時は道路が開かれていて、イスラエル、ヨルダン、エジプトに行った。幸せだった。良い暮らしができていたし、お金も持っていた。今はお金が全く無くなった」

「よい生活だった。二人の息子は結婚した。(みんな)豊かで幸せだった。今は誰も残っていないよ」

「私たちは監獄に暮らしているんだ。何をして良いのか誰にもわからない、困ったことだ」

「みんな子どもたちに教育を受けさせたい、お金を教育に使いたいと考える。そして最終的に『ここで何ができると言うのですか?ここを離れたい。ここには生計を立てる方法がない』と言う」

「ここには前に進む道はない。こんなのは人生ではない」


アフメド・アル=ヒシ:「彼らは海で、地上で、そして空から我々を銃撃してくる」


アフメドはガザでおよそ50年漁師を続けている。彼はパレスチナの漁業が海岸線から6キロの範囲に制限されたことに直面している。



「私は11歳の時から漁業をしています。昔は父親と漁に出ていました。当時はガザからスエズ運河まで全域で漁をすることができました。40から50の漁船がガザとアリーシュから出ていました。たくさん獲れましたよ」

「2006年にパレスチナの人々がハマスを選挙で選んだ時から、イスラエルへの行き来ができなくなり、この海も閉鎖されてしまったのです。イスラエルへの輸出も全て禁止されました」

「ハマスを選挙で選んだ時から、彼らは私たちを罰しています。もし私たちがハマスを選ばなければ罰することはなかったでしょう」

「私たちは自分たちの自由と民主主義を選択したのです、しかしイスラエルはそれを望んでいなかった。だから海を封鎖した。そして私たちは実際にそれに苦しめられています」

「彼らは海で、地上で、そして空から人々を銃撃してくるのです」


マハ・エル=ワディア:「ここではジャーナリストには命の危険があります」


マハはガザに住んで働くジャーナリストである。この地で活動するジャーナリストにはイスラエルとパレスチナの両方の当局から圧力に晒されると言う。そして、彼女はハマスがデモを阻止しようとした時のことを覚えている。



「その日、私が外に出たのは、イスラエルの新計画に抗議しなければならないという国への責任を感じていたからです」

「デモは平和的なものでしたが、後で治安部隊がデモを阻止しようとしていることに気づきました」

「ガザ地区の人道的状況と生活環境が低下していることに抗議することは、私たちの権利として保証されているはずです。政府はそれを尊重すべきです。残念ならがガザではそうはならないのです」

「ここではジャーナリストには命の危険があります。私たちは地元当局とイスラエルの占領軍両方からの強まり続ける圧力の下にいます」

「例えばパレスチナ当局やイスラエルの占領軍についてのような微妙な問題について記事を書きたい場合、その結果として被害を受けないように、自分の名前を伏せて書くこともあります」

「2014年の戦争の間は、イスラエル防衛省はインターネット上で私たちの名前を挙げて挑発し、イスラエルの戦争についての言説に異議を唱えた私や他のパレスチナの人権活動家のアカウントにハッキングを試みたこともあったのです」

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