2018年4月18日水曜日

なぜ人はネット上だと凶悪になるのか


ソーシャルメディアで煽り行為をするのは簡単過ぎる


Gaia Vince
Apr 4 2018

2018年2月17日の夜、メアリー・ビアード教授はTwitterに自身が泣いている写真を投稿した。ケンブリッジ大学の高名な古典学者で20万人近いフォロワーがいる彼女はネットから嵐のような攻撃を受けて動転したのだという。この攻撃は彼女のハイチについてのコメントに対する反応だった。彼女はこうもツイートしている「私は心から話をしています(もちろん間違っていることもあるかもしれない)。しかし今回私が受けたゴミのような反応はそうではありません、絶対に」

数日の間にビアードは何人かの著名人から支持を得た。同僚の有名な歴史家グレッグ・ジェンナーは自身のTwitter炎上の経験について「突然知らない人から憎悪を向けられるのが、どんなに心を傷つけるか一生忘れることはないでしょう。正当性(私は間違っているかもしれないし正しいかもしれない)は別にして、私はこうした攻撃がどんなに精神を不安定にさせるかに(後で回復してから)驚かされました」とツイートしている。

最初に標的となったビアードのツイートに賛同するかどうかは関係なくなり、今度はビアードを支持するツイートをした人たちが標的になった。そしてビアードの批判者の1人であったケンブリッジの研究者でアジア系の女性であるプリヤムヴァダ・ゴパルがビアードの最初のツイートに対する反応をオンライン上の記事として発表した時、今度はその彼女が攻撃を受けることになった。

女性と少数民族に属する人がとりわけTwitter上の不当な攻撃の対象にされていることについては膨大な証拠が揃っている。そうした素性を代表する人たちが交錯する場面になると攻撃は特に熱を帯びたものになり、英国の黒人女性議員ダイアン・アボットは、2017年の英国一般選挙期間中に投稿された女性議員に対する攻撃ツイートの半分近くが彼女に対するものだったという経験をしている。黒人とアジア系の女性議員はアボットを除いても白人女性議員よりも平均して35%多く攻撃を受けている。

殺害の脅しや強姦の脅しを含む絶え間ないオンライン上の攻撃は、人々を黙らせ、オンラインから離れさせ、オンライン上の発言や意見から多様性を奪っていく。そしてそれは留まる兆候を見せていない。昨年の調査によると40%のアメリカ人の成人がオンライン上の攻撃を個人的に経験したことがあり、そのうちの半分が物理的な脅威やストーキングを含む深刻な嫌がらせを受けているという。70%の女性がオンライン上の嫌がらせを「重大な問題」と表現している。

YouTubeやFacebookのようなソーシャルメディアプラットフォームのビジネスモデルは、利用者からできるだけ多くの反応がありそうなコンテンツを前面に出すものである。多くの反応があるということはそれだけ広告機会も多くなるからだ。しかし、このビジネスモデルは分断を招き、強力に感情的で過激なものを蔓延らせる結果をもたらした。そして、交互にお互いの意見を反映し強化し合うグループ同士による「バブル」を育み、更に過激なコンテンツや「フェイクニュース」に居場所を提供することを助長してしまった。この数ヶ月、研究者によってロシアの諜報部を含む様々な利益団体がソーシャルメディアバブルを利用して世論を操作しようとした多様な方法が明らかにされている。

人類がネットワークを通して意見交換ができるようになったことで現代の世界が作り上げられ、インターネットは全人類の協力と対話というかつてない希望を与えてくれている。しかし、私たちはオンラインで社会が大規模に拡大されたことを受け入れるのではなく、民族主義と紛争に回帰している。インターネットが人類を素晴らしい共同体として結びつけてくれる可能性を信じることは、今や夢物語になってしまった。私たちは現実の生活では通常見知らぬ人とは礼儀正しく丁寧にやり取りをするが、オンライン上では酷い態度をとることがある。私たちが共通点を見出し人類として反映することを可能にするための融和の技術を再び学習するにはどうしたら良いのだろう?


「考え過ぎるな、ただボタンを押せ!」

値段をクリックして浪費するのは簡単、急いで次の問題に取り掛かる、時間に追われていることに気づく。チームメイトは遠くにいる知らない人だ。みんな一緒にやっているのかわからないし、何かバカげたことをしているのかどうかもわからないが、他の人が私に依存していることだけはわかっているので続けている。

わたしはイェール大学の人間協調性研究所で公共財ゲームと呼ばれるものをプレーしている。ここでは研究者たちがこのゲームをツールとして使って、私たちが協調する方法と理由、そして私たちが社会への適応を強化することができるのかどうかを知ろうとしている。

長年の間、科学者たちは人間がなぜこんなに上手く協調し力強い社会を形成するのか様々な説を提唱してきた。現在多くの研究者の間で信じられているのは、私たちがグループとして協力する場合に発揮する人の良さの根源的な進化は、人類が個人として生き残るための優位性に見出すことができるということだ。2月の雪の降った日に私はコネティカット州ニューヘイブンにある幾つかの研究所を訪れた。ここでは研究者たちが実験を通して、人が多少の犠牲を払ってでも他の人に対して良い態度をとろうとする特別な衝動について研究を続けている。

私がプレーしているこのゲームはアマゾン・メカニカルターク(Mechanical Turk)上に研究所が実験のために作っているものだ。参加者は異なる場所にいる人々と4人で1つのグループを作る。私たちはこのゲームをプレーするためにそれぞれ同じ額の資金を持っている。この中からグループとしての資金にいくら投資するかを尋ねられる、この資金は集められると倍になって均等に分配されると知らされている。

ここでの社会的なジレンマは、協力し合う時は常にそうであるように、他のグループのメンバーが良い行動をすると信じる度合いに基づいたものである。もし全員が全資金をグループのために投資したなら、その資金は倍になって再分配され全員が倍の資金を得ることになって、Win-Winになる。

「しかし個人の視点から考えてみると、あなたが投資した1ドルは2ドルになって4つに分配されます。つまり、1ドル投資して個人的に戻ってくるのは50セントということになります」と研究所の所長デヴィッド・ランドは説明する。

単独では手に負えないプロジェクトに集団が関わることによってより良い結果が得られる場合、実生活に例えれば、病院の建設に資金を提供することや公共の灌漑水路をみんなで掘るような時、そういう時でも個人レベルのコストはかかっている。つまり、より利己的になれば個人的には金銭的に得をすることができる。

ランドの研究チームはこのゲームに何千人ものプレイヤーを参加させている。この内の半分は素早く10秒以内に投資額を決めるように求められ、他の半分は時間をかけて慎重に考慮して決断するように求められる。この実験で、人は慎重に時間をかけて熟慮した場合よりも直感的に素早く行動する時の方がはるかに寛大になるということが明らかにされている。

「協力するという行為は人類が進化する上で中心的な特徴であるという多くの証拠が存在します」とランドは話す。グループで協力することで個人的にも恩恵を受け、より生存の可能性が高まる。グループの中に留まり、協力的に行動すると認識されれば利益を得ることになる。

「私たちの祖先が暮らしていたような小規模な社会では、人々のやりとりはすべて頻繁に会う人同士のもので、その場のやり取りに限ったものでした」とランドは言う。こうした環境は、攻撃的に行動したり、他の人を出し抜いたり、あるいはグループに対する他の人の貢献活動にタダ乗りするようなことをする誘惑を抑制するものだった。「自分自身の利益を得るための方法が、すなわち協力的になることだったのです」

協力し合うことはお互いにとって利益になる更なる協力のサイクルを生み出す。長期的な利益を考えて人には良く接するように毎回努力しているというよりも、より効果的に少ない努力で基本的なルールとして、他の人には良く接するということになっている。それ故に、私たちが考えずにする反応は寛大なものになるのだ。

生活の中で私たちは取り巻く社会から協力する方法を学んでいく。しかし、私たちが学んだ行動は即座に変化する事もあり得る。

ランドの研究所の実験では素早く決定を求められた場合に殆どが寛大な決定をし、寛大な利益を受け、寛大であることの優位性が強化された。一方で熟慮した場合はより利己的になり、グループに支払いはしないが依存はするという考えが強くなりグループの資金は貧弱になる。その実験の続きとして、ランドは参加者にいくらかの資金を渡した。参加者は匿名の見知らぬ人にいくらお金を与えたいかを尋ねられる。この実験では見返りはなく、完全な慈善活動をすることが求められる。

ここでは大きな違いが見られた。第一段階の実験で協力的な態度に慣れていた人は、第二段階の実験で、第一段階で利己的な行動に慣れていた人の二倍の金額を出したという。「私たちは最初の実験で人々の内面や行動に影響を与えていることになります」とランドは言う。「誰も見ておらず、なんの損得もない状況であってもそうした行動をするのです」

ランドのチームは異なる国で、政治、家族、教育、法制度、といった社会制度がどう行動に影響しているのかを見るために、異なる国で実験を行った。公的機関の腐敗が深刻なケニアでは、プレイヤーは最初は見知らぬ人に対して腐敗の少ないアメリカで実験した時よりも寛大にはならなかった。このことは比較的公平な制度の社会に生きている人は、より公的精神に基いて行動することが示唆されている。信頼性の低い社会制度に暮らす人々はより保護主義的になる。しかし、寛大になるように促す形で1ラウンドプレーした後は、ケニアの人々はアメリカ人と同等の寛大さを見せた。これは両面から言えることで利己的になるよう促された形でプレーした後のアメリカ人は多くを与えようとはしなくなる。

ネット上のソーシャルメディアの文化には人を意地悪く行動させるような何かがあるのだろうか?生き残るために協力と共有に依存し、社会の間で食べ物をやり取りするルールを持つことが多かった古代の狩猟採集の社会とは異なり、ソーシャルメディアは脆弱な制度である。物理的に距離は離れ、比較的匿名性があり、悪行に対する罰則のリスクや評判の低下のリスクも殆どない。もしあなたが卑劣な行為をしても知っている人は誰も見ていない。


は社会における道徳的意思決定について調査研究をしているモリー・クロケットの心理学研究所を訪ねて雪の中を2ブロックばかり車で移動した。彼らが焦点を当てている分野の1つはオンライン上で社会的な情緒がどのように変化するかというもので、特に義憤に関するものだ。脳を映像的に見た研究では、人が義憤にかられて行動する時は脳内報酬系と呼ばれる部分が活動的になっている、つまり良い気分になっている。これがこの行動を強化するため、同じような行動を繰り返すことになりやすい。誰かが社会規範に反する行動をしているのを見た時、例えば飼い犬が遊び場を汚しているような場合に、その犯人である飼い主に公然と対峙するとその後で良い気分になるということだ。自身の地域の社会規範に違反した者に挑戦するには攻撃を受けるリスクも伴っているが、そのことも評判を高める要素になっている。

私たちの比較的平和な生活の中では許しがたい行為に出会うことは稀であり、私たちが義憤を表現することもまれである。TwitterやFacebookを開くと全く違った世界を見ることになる。最近の調査で、ソーシャルメディアでは道徳的な言葉と感情的な言葉が使われたものがより拡散されることが明らかにされている。道徳的か感情的な言葉を使うとリツイートされる可能性が20%高くなるのだという。

「怒りを呼び起こし怒りを表現する内容のものは共有され拡散される可能性がずっと高いのです」とクロケットは語る。私たちがオンラインに作り上げたものは「もっとも腹立たしい内容のものを選び出し、それに合わせて簡単に怒りを表現できるエコシステム」だったのだ。

現実の世界とは異なり、誰かと対峙したり、人に晒されたりする個人的な危険性は存在しない。ボタンを数回クリックするだけで、物理的に近くにいる必要もなく、オンラインには多くの怒りの表現が存在している。そしてそれは自己増殖していく。「もし規範に違反した誰かを罰することをすれば、他の人からより信頼されているように見え、怒りを露わにして社会規範の違反者を罰することによって自身の道徳的な個性を広く伝えることができるのです」とクロケットは言う。「人々は道徳と正義に基づいた怒りを表現することによって、自分の良さが広がるのだと信じているのです」

「オフラインの世界では何かが起きた時にその場にいた人から評判は広がるでしょうが、オンラインの世界では怒りを表現したご褒美が、ソーシャルネットワーク全体に劇的に増幅されて広がるのです」

この状況はソーシャルメディアで「良いね」やリツイートのような形で帰ってくる反応によって更に悪くなる。「私たちの仮説は、こうしたソーシャルメディアは怒りを表現することが習慣的になるような設計になっているということです。習慣というのは結果にとらわれずに実行してしまうもので、その次に起こることを気にしなくなります。それは単に刺激に対して盲目的に反応しているだけともいえます」とクロケットは説明する。

「巨大テクノロジー企業が利益を出すためにコントロールしているアルゴリズムの下に道徳を置きたいかどうかは、社会として議論する価値のあることだと思います」とクロケットは付け加えた。「私たちは皆、自分の道徳的な感情、考え、行動は自分の意識的なもので、スマートフォン会社が金を稼ぐために目の前に置いたものに反射的に反応しているのではないと信じたがっているのだと思います」

良い面を見ると、オンラインで怒りを表現する敷居が下がったことで、主流から外れて権力を持たない集団が伝統的に進展させにくかった問題を露わにすることができるようになった。地位の高い男性による女性への性的嫌がらせについて注目させることにソーシャルメディア上の義憤は重要な役割を果たした。そして2018年の2月、高校生たちがフロリダで起きた高校の銃撃事件についてソーシャルメディアで声を上げたことが世論を動かし、多くの大企業に全米ライフル協会の会員割引を廃止させることに繋がった。

「私はオンライン上でこのメリットを維持しなければならないと考えています」とクロケットは言う。「同時に、問題のある部分を取り除くために対話方法の再設計についてより慎重に考えています」


に雪の中を少し移動したところにあるイェール人間研究所のニコラス・クリスタキス所長はソーシャルネットワーク上の対話方法の設計について考察している。彼のチームは、私たちのソーシャルネットワーク上の立場がどのように行動に影響を与えるのか、そして、影響力のある個人がネットワーク全体の文化をどう劇的に変化させるのかを研究している。

この研究チームはこうした影響力のある個人を特定し彼らを地域の利益になる公衆衛生プログラムに参加させる方法を模索している。例えばホンジュラスでは彼らはこの方法を用いてワクチン接種や妊婦のケアなどに影響を与えている。オンラインではこうした人々が虐め文化を助け合いの文化に変化させる可能性がある。

企業には既にインスタグラムで影響力のある人を特定してブランドの広告に利用するシステムを使っているところもある。しかし、クリスタキスは単にその個人がどう人気があるのかだけではなく、ネットワーク内の立ち位置と、そのネットワークの形状についても調べている。孤立した小さな村のようなネットワークでは全ての人が密接に結びついており、パーティがあれば参加者全員を知っていることが多い。対象的に都市になれば人々は全体としてはより密接に生活しているかもしれないが、パーティがあっても参加者を全員知っている可能性は低い。ネットワークでどの程度相互接続が成り立っているかが、どのように行動と情報が広がるのかに影響を与えるのだとクリスタキスは説明する。

「炭素原子があるとして、それをある方法で組み合わせれば柔らかくて黒い黒鉛になります。同じ炭素原子を違った方法で組み合わせれば硬くて透明なダイヤモンドになるわけです。硬度と透明度は炭素原子の特性ではなく、炭素原子の集合体の特性で、炭素原子がお互いにどう結びついているかによるわけです」と彼は語る。「人間のグループにも同じことが言えます」

クリスタキスはオンライン上で一時的に人工的な社会を作り出すことによってこれを研究するためのソフトウェアを設計した。「人を配置してやり取りをさせ、どのように彼らが公共財ゲームをプレーするか、例えば、他の人々にどの程度親切であるかを調査します」

その上で彼はネットワークを操作する。「ある方法で彼らにやり取りをさせれば、非常に良い関係になり、一緒に働き健康で幸せな協力体制ができます。一方で、同じ人々でも別な方法でやり取りをさせると、彼らはお互いに卑劣になり、協力せず情報も共有せず親切さもなくなるのです」

ある実験では、無作為の見知らぬ人同士に公共財ゲームをさせた。最初のうちは約3分の2の人々が協力的であった。「しかし、やり取りした何人かが彼らを騙そうとします。選択肢は親切にするか離反するかしかありません。騙してきた人と関係していれば協力ではなく離反を選ぶことになります。そしてこの実験では最終的に全員が全員に対して愚かな態度をとるようになるのです」

クリスタキスはこの実験をそれぞれの人が各ラウンドの後に誰と接触するかを少しずつコントロールするだけで動かした。「彼らは2つの決断をしなければなりません。隣人に親切にするかどうか、そして、この隣人と付き合い続けるかどうかです」。それぞれの参加者が隣人について知っていたことは前のラウンドで協力したか離反したかということだけだった。「ここで見ることができたのは、人々が離反者との関係を断ち、協力的な人々との関係を作ったことです。そしてネットワークが再整備され、言わば黒鉛状のものからダイヤモンド状のものに変化したと言えます」。言い換えれば非協調的な構造に代わって、協調的な社会構造になったということだ。

オンラインで、より協調的なコミュニティを作り出すために、クリスタキスの研究チームは彼らの一時的な集団にボットを追加し始めた。彼は私をラップトップの前に連れていき、別のゲームを用意した。そのゲームではジレンマを解消するために匿名のプレイヤー同士が協力しなければならない。私たちそれぞれが3色のうちから1つの色を選ぶ、しかし直接繋がっているプレイヤー同士は異なる色を選択肢なければならない。もしこのパズルを時間内に解くことができれば賞金を得ることができるが、失敗すれば何も得られない。私は少なくとも30人の人々とプレーしている。プレイヤーは直接繋がっている人しか見ることができず、ネットワーク全体を見ることはできない。しかし勝つためには協力しなければならない。

私は2人の隣人と繋がっていて、彼らの色は緑と青であるから私は赤を選ぶ。左隣が赤に変わったので、私は素早く青に変える。ゲームが続くと私はますます緊張感が高まり、自分の反応の遅さに苛立ってきた。ネットワーク内の見えない変化に対応して頻繁に色を変えなければならない。私たちがパズルを解く前に時間切れになり、コメントボックスには他のプレイヤーの愚かさを非難する怒り心頭の反応が表示されていた。私はこのゲームが終わって、もう誰も私の不器用なゲーム技術にお金を稼ぐことを依存していないことに安堵した。

クリスタキスはネットワークのうちいくつかは複雑になりすぎていてこのパズルを時間内に解くことはできないのだと私に話した。しかし、私の安堵も束の間、私がプレーしていたものは解くことができるものだったそうだ。彼はゲームを最初の状態に戻し、ネットワーク全体を初めて私に見せてくれた。私はネットワークの中心からは離れた場所にいた。プレイヤーによっては1人としか繋がっていない人もいたが、殆どは3人かそれ以上と繋がっていた。世界中の数千人の人々がアマゾン・メカニカルターク上でこのゲームをプレーして少額の賞金を得ている。しかし私が今プレーしたゲームを見返しているうちに、クリスタキスは参加したプレーヤーのうち3人は用意されたボットなのだと話してくれた。「私たちはこれを『ダメAI』と呼んでいます」と彼は言う。

クリスタキスの研究チームは人類の認知に取って代わるような超高性能AIを発明することに興味はない。その代わり、賢い人類の中にダメロボットを潜入させて人類が自分たち自身を助けることを促そうと計画している。

「私たちはダメロボットを使って、人々が期待通りにいかない状況を作り、そこで人々が協調して調整できるかどうかを見たいのです。少しのアシストで本来の能力を発揮することができる状況にしたいのです」とクリスタキスは言う。彼はボットが完璧にプレーしてしまうことは人間の助けにはならないことを発見していた。しかし、ボットが多少失敗するようにするとグループの問題を解決するために人間は潜在能力を発揮するようになるという。

「ボットのいくつかは直感に反した選択をするように作られています。隣が全部緑でオレンジを選択するべきところで緑色を選ぶという具合です」。ボットがこうした行動をすると、緑だった隣人の1人はオレンジを選ぶことが可能になる。「ボットのこの行動が隣の人を解放するのです。彼は異なる色を選ぶことができるようになる、そして問題が解決されるのです」。ボットがいなかったら、人間のプレイヤーたちは全て緑で停滞してしまい、何が問題なのか認識できないだろう。「一時的に対立を増やすことで、隣人により良い選択をさせることができるのです」

ボットがシステムに少しのノイズを加えることで、ネットワークがより効率的に機能することを助けることになった。これを応用して、ニュースフィードに時折異なる視点を提供するものを浸透させることができれば、ソーシャルメディア上で人々をバブルから解放し、より全体に協調的なものにする助けになるかもしれない。


ンラインの多くの反社会的行動はインターネット上のやり取りの匿名性が原因になっている。悪行を働いた場合の評判低下に関するリスクは実生活の場合よりも圧倒的に少ない。ここでもボットが解決方法になるかもしれない。ある実験では白人のプロフィール画像を使ったボットアカウントを人種差別的なツイートに反応させることで黒人に対する人種差別的なツイートを劇的に減らすことができることが明らかにされている。人種差別的なツイートに対する反応の定型は「あなたがそのような言葉で嫌がらせをすれば、現実に傷つく人がいることを忘れないでください」というようなものだ。こうして人種差別的なツイートする人に単に共感を求めただけで、数週間でその手のツイートは殆ど見られなくなったという。

オンラインでの悪行について評判低下のリスクが低いことについて、もう一つの対処法は社会的制裁を画策することだ。ゲーム会社リーグ・オブ・レジェンズは迷惑なプレーをした人は他のプレイヤーから制裁を受ける「トリビューナル(裁判所)」という機能でそれを実現した。同社は1年間で28万のプレイヤーが「リフォームド」されたという。これはトリビューナルで制裁を受けて、コミュニティ内での振る舞いを改めたことを意味する。同社の開発者たちは同様に良い振る舞いには社会的報酬が与えられる仕組みも作っており、より協調的な関係を作り上げることを後押ししている。

研究者たちは既にやり取りが険悪なものに変わる瞬間を予測する方法を掴み始めている。この瞬間は先手を打って介入することが有効になる瞬間のことである。「トロールと呼ばれるような少数のオンライン社会病質者が全ての原因になっていると考えられているかもしれません」とコーネル大学情報科学部のクリスチャン・ダネスク=ニクレスク=ミジルが語る。「私たちが研究の中で実際に発見したのは、あなたや私のような普通の人たちが反社会的な行動に走っているという事実です。特定の時間だけ人はトロールになる。これは驚くべきことです」

これは警告でもある。私はわたし自身がフォロワーに面白いとか格好良いと思ってもらうために、いじめに加担していないことを願いながら最近の自分のツイートを見返すことになった。結局のところ、もし自分の周りの社会的なグループに印象を残そうと思った場合、遠くはなれたところから誰かを攻撃することは魅力的なものになり得るということだ。

ダネスク=ニクレスク=ミジルはオンライン記事のコメント欄の調査も実施している。彼は炎上のきっかけになる主な2つの要素を特定している。それは議論の内容(他のユーザーの行動の仕方)と気分である。「例えば、仮にその日が良くない日だった場合、あるいは月曜日には同じ状況でも攻撃的になりやすいと言えます」と彼は言う。「人は土曜日の朝の方がずっと快活でいられます」

ダネスク=ニクレスク=ミジルは過去に炎上行為に関わった人々も含むデータを収集した後、誰かがどのタイミングでオンラインで攻撃的になろうとしているのか、80%の確率で予測できるアルゴリズムを構築した。これによって、例えば、攻撃的になろうとしている人の反応を遅らせることができるようになる。攻撃的な何かを書く前に二度考えることができれば、対話の内容を改善することができる。こうして誰かの間違った行動を目にする機会が減れば、自分自身も間違った行動を取る可能性は下がる。

良いニュースは、私たちの多くが悍ましい行動をした経験があるにも関わらず、その多くは対話においては態度は良く協調的だということだ。正当化された義憤はヘイトスピーチを含むツイートに対応するのに有用ではある。最近の英国の研究ではTwitterで反ユダヤ主義的なツイートが見つかると、その反ユダヤ主義のツイートよりもそれを咎めるツイートの方が広く共有されるという。ヘイトツイートの多くは無視されるか、似たようなアカウントにより狭い範囲で共有されるに留まる。おそらく私たちは既にボットがやるべき仕事を自分たちで既に始めているのだ。

ダネスク=ニクレスク=ミジルが指摘するように、私たちは人と人とのやりとりに何千年もの経験を積み重ねているが、ソーシャルメディアはまだ20年に過ぎない。「オフラインでは私たちは顔の表情からボディランゲージまであらゆる要素を持っていますが、オンラインではテキストだけで議論することになります。オンラインで議論し協力し合う方法を見つけるのが極めて難しいということは驚くべきことではないのだと思います」

オンラインでの行動が発展するに連れて、私たちのオンラインでの円滑な議論を助けるために、微妙な合図、すなわち表情にあたるものがデジタル化されるかもしれない。その前にオンラインでの攻撃に対応するためのアドバイスとしては、自分の間違いではないので落ち着くこと。報復はしないで虐めはブロックして無視するか、その雰囲気を感じた時点で制止を伝える。家族や友人に起きたことを話して、助けてくれるよう頼む。スクリーンショットを撮って攻撃をソーシャルメディアサービスに報告する、そして物理的な脅威が含まれている場合は警察に通報することだ。

もし私たちが今知っているソーシャルメディアが今後も生き残るとしたら、そうした企業はプラットフォームの利用者が分断ではなく協調するようにし、攻撃よりも好ましい経験をさせるために、行動科学に基づいたアルゴリズムを用いて維持しなければならなくなるはずだ。ユーザー側としてもこの新しいコミュケーション環境について市民的、生産的なやり取りがオフラインと同じようにオンライでも普通にできるように学ぶことがあるかもしれない。

ダネスク=ニクレスク=ミジルは次のように言う「私は楽観しています。これは単に違うゲームだというだけです。私たちは進化しなければならないのです」

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