2018年5月8日火曜日

読書:日の名残り



カズオ・イシグロ 著
土屋政雄 訳

カズオ・イシグロの「日の名残り」を読んだ。カズオ・イシグロについてはノーベル文学賞を受賞した時まで知らなくて、その頃NHKで再放送していた講演を見たが、中々面白く、作家というのは複雑なことを考えるものだと感心した。

「日の名残り」は映画化もされた著者の代表作で、流石という面白い本だった。1989年の作なので、考えてみればおよそ30年前に書かれているわけでそれなりに古い。作品内の舞台は1950年代で、今2018年から1950年代を振り返っても遠い昔でしかないが、1989年当時から振り返れば、まだ感覚の残る時代だったかもしれない。

話としては、老年に差し掛かった(はっきりした年齢は書かれていないが60代半ばくらいだろうか)イギリスの由緒あるお屋敷、ダーリントン・ホールの執事が、思いがけずイギリス国内へ1人で自動車旅行に出かける。その旅の中で見たもの、出会った人などをきっかけに昔のことを思い出していく。

基本的にこの執事、ミスター・スティーブンスが1人で語っているだけなので、文章には彼の視点しか存在せず、彼の記憶、考察、自慢、誤解、言い訳などが特に批判なく書かれていることになる。彼は執事という職業になんとなく似つかわしく非常に慎重な人で、読んでいても彼の独善性に違和感を強く感じることはないが、むしろそこを読む側が考えないといけないのかもしれない。

ミスター・スティーブンスが説明不足だったり、旅で出会った人に間違ったことを言っているような時があるが、もちろん意図的なもので、読み手としても後で説明があるだろうという安心感がある。


ミスター・スティーブンスは戦後まで高名なイギリス貴族に仕えた執事で、今はそのお屋敷がアメリカ人の実業家に執事ごと売られたために、そのアメリカ人に仕えている。ミスター・スティーブンスは基本的に貴族が繁栄した過去のダーリントン・ホールとイギリスを懐かしんでいる。

執事という職業は私には中々実感のあるものではないが、他の小説にも度々出て来るものでどういう存在かはだいたいわかっている。アガサ・クリスティの「チムニーズ館の秘密」と、その舞台のその後が書かれた「7つの時計殺人事件」は時代的に戦前が舞台であるが、事情は似ている。「チムニーズ館」の方ではそのお屋敷で国際会議が開かれた時の騒動が話になっていて、その4年後の「7つの時計」の方では、お屋敷は時代の流れか新進気鋭の実業家に貸し出されている。

このチムニーズ館にはトレドウェルという名前の執事がいて「正しいことしか言わない」という人だが、お屋敷が貸し出されて雇い主が不在になってもお屋敷に残って借りている人の面倒を見ている。それは売り渡されてもおそらく同じで、執事というのは主人に仕えるというよりも、お屋敷をホテルとするなら総支配人のような立場の人である。お屋敷の持ち主は、ホテルのオーナーではなく、お客様にあたる。

ミスター・スティーブンスもそうした立場の人で、かつては世界の要人が参加した国際会議を仕切ってきたという自負を持っている。その執事が当時のイギリス社会の中でどういう地位の人として見られているか、というのは私にはわからないが、少なくとも一般市民にとっては一目置かれても良い存在ではないかという気はする。もちろん旅を続ける中で出会う人達は、そのように接してくれるのだが、それは「本人だけがそう思っている」というわけではないだろう。

ミスター・スティーブンスは過去を懐かしんでいるだけの人物ではなく、今のアメリカ人の(おそらく若い)実業家の持ち主も尊重していて、これから彼にどうサービスを提供しようかということを真剣に考えている人でもあるのが、過去の華やかだった時代を振り返ることが中心のこの本を読みやすくしている。


そのミスター・スティーブンスが1人で自動車に乗って旅行に出る。本人も言っているが、旅に出たことで気分が変わって、昔のことをよく思い出すようになりゆく先々で過去の話をする。

本の構成として自動車で行った場所毎に章が分かれていて、そこで今日自分が旅の中で遭遇したことと同時に、更にその昔のダーリントン・ホールでの思い出を語る、小過去と大過去が語られるような形になっている。基本的に誰か別な登場人物に対して語るのではなく、読者に対して行く先々で自分の経験を語る。その点でなんとなく「ガリバー旅行記」のようでもある。

ミスター・スティーブンスは過去を思い出しながら旅を続け目的を達するのだが、旅自体は必ずしも思い通りだったわけではなく、しかし悲しい結末だったわけでもなく、特に状況は変わらない中で夕暮れ時の橋を眺めている。そこで自分の人生について後悔を語り涙を流す。

その後悔の中に、第二次大戦時のナチス・ドイツへの協力の可能性が含まれているだけに、ことは簡単ではないのだが、そこまでの過程で彼が語ってきた、過去の実績、喜怒哀楽だけから考えてみれば、彼の人生自体は非常にバランスの良いもののように私には思えるし、羨ましくも思える。それは本人もそう思っているようで、未来を見据えて話は終わる。

人はどんな1日を過ごしても夕方にはなんとなく寂しい気分になるものなのだろう。きっとだから飲みたくなるのだ。

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