I feel guilty for surviving my suicide attempt https://t.co/vjoQaw5cnD pic.twitter.com/11gOwjwi3J— TONIC (@dailytonic) May 25, 2018
「私はあの時に死なずに生きていた、ということを自分のものとして残りの人生を過ごそうと思います」
TONIC
MacKenzie Reagan
Feb 24 2018
これを人に言うべきではないのかもしれませんが、私は一度自分自身を殺そうとしました。そして今、明らかに生きています。
これも言うべきではないのかもしれませんが、私はこの2つの事実両方に罪の意識を感じているのです。
臨床医はこのパラドックスを「サバイバーズ・ギルト(生存者の罪悪感)」と呼びます。この罪悪感は、戦争から帰ってきた兵士や伝染病を生き延びた人のように、多くの人々が生き残ることができなかった状況を生き延びた人が感じるものです。「サバイバーズ・ギルト」は、かつては精神障害の診断及び統計のマニュアルに独立した項目として記載されていましたが、再編されて外傷性ストレス障害(PTSD)の症状の1つとされています。
自殺を試みて生き延びた場合、あるいは自殺で死亡した場合のサバイバーズ・ギルトに関する研究の殆どは、自殺を試みた人の家族への影響に焦点をあてたものでした。例えば、自殺と生命への脅威をテーマにした雑誌に掲載された研究では、愛する人が自殺によって死亡したことを嘆いている人は、自然死によって誰かを失った人とは根本的な違いがあることを明らかにしています。生き残った友人や家族は無念の思いを経験し、心臓発作や他の明白な原因で誰かを失った人は抱く必要のない「何故」という疑問に直面することになるとされています。
しかし、自殺の試みがその本人の精神にどう影響するのかについての研究は殆ど存在していません。「自殺をしようとして生き残った人たちは、同時に汚名や恥辱を着せられて、長い間社会の片隅に追いやられて生きてきたことが知られています」とミシシッピ州立大学の睡眠・自殺・加齢研究所の所長、マイケル・ナドルフ氏は言います。「5年ほど前から生存の経験をもっと研究しようという動きがあるのですが、現実に追いつくには時間がかかるでしょう」
ナドルフ氏とは違って私は臨床情報を多く持っているわけではありませんが、2年半前の個人的な経験を持っています。2015年3月2日、私は自分自身の人生を終わらせる選択をしました。私は1人の友人にお別れの電話をしたのですが、彼は私に、私のルームメイトのところに行くように言い、ルームメイトが緊急通報したのでした。警察が来て私は救急車に運び込まれました。その後の数時間のことは少々ぼんやりとしています。
翌朝私が目覚めた時、自分が何処にいるのか思い出すのに時間がかかりました。自殺をしようとして生き延びてしまったことで、自分をバカだと感じることになりました。私は自分自身を殺すことすらできないのかと。そして、愛する人に心痛を感じさせてしまったことに気づき、再び自分をバカだと感じることになったのでした。
これは罪の意識のほんの始まりに過ぎませんでした。意識が戻って手首に巻かれた包帯を見た時、私は自分が実際どんなに死に近づいていたのかを見たのでした。包帯の上から手で撫でてみて、傷が深いことを感じ、如何に辛うじてで死を免れたのか実感したのです。通常なら救済の瞬間であるはずのものが、痛みを伴う反省の時間になってしまったのです。目を覚まして、ああ、なんてことだ、と。
医療病棟で1日過ごした後、私は精神病棟に移されました。四方を壁に囲まれた部屋で起こったことは公開するようなことではありませんが、とにかく私は常に巨岩のような罪の重さを感じていました。友人が来てくれた時の会話はいつも「申し訳ありませんでした」から始まるのでした。友人たちは皆、そんなことはないよと言ってくれるのでした。彼らは私に大丈夫かどうか尋ね、事件を聞いて直ぐに来たのだと言いました。彼らは私に、食べ物と、映画と、本と、抱擁と、笑顔を持ってきてくれたのです。
私が自殺を試みてから、2周年の記念日(これを記念日と言って良いかはわかりませんが)に、私は夜まで起きていて午後11時34分になるのを待っていました。私は何人かの友人たちに、あの日の夜に起きて病院に行かなければならないと思わせてしまったことを謝るメッセージを送りました。数ヶ月後、私は引っ越しをし、友人たちがいる場所から何時間もかかる場所に移りました。私は隠れて住むような形になりました、FacebookやTwitterは利用していましたが出来る限りそうしたのです。私は部分入院プログラムをスタートし、コミュニティ・カレッジで写真撮影の授業を受けることにしました。
何が起こったのか知っていたのは私のごく親しい人たちだけでした。数週間経って、私は彼らに私の話を聞いてもらいたい、私を理解してもらいたい、私が悪くないことを言ってもらいたい、という必要性を心の底から感じるようになりました。私は皆に会うことを切望するようになりましたが、皮肉なことにその時は私を抱擁するには遠くに離れ過ぎていました。
謝らなければならないという衝動は決して消えることはありません。私は多くを謝ったことについて謝りたいとすら思っていることに気づきました。「自殺を試みて生き延びた人の世間に対する感情と感覚は外部からの認知に依存しているのです」とニューヨークを拠点に活動する家族問題が専門のセラピストである、ポール・ホークマイヤーは話しています。「残念ながら、そうした人たちが求めるものが十分にあるとは言えません。結果として、彼らに自己嫌悪の苦痛に耐えることを強制させてしまっています」
罪悪感は邪悪なものです。それによって同情して貰う必要性を感じ、実際同情して貰うと、そのことに罪悪感を感じるようになるのです。私は友人たち、家族、たくさんの薬によって生きる意欲を断片的に取り戻しました。私はゆっくりと失っていた自意識も取り戻していました、ここで少し、あそこで少し、というように。仕事の依頼が来て、旅行の計画を立てています。レストランの新しい味、友人からのメッセージ。野球の試合、新しい恋人。私は普通であることの喜びを学びました、新聞を読むこと、食品を買うこと、忙しくしている喫茶店でカップを整理すること。こうしたことは私が生きていることを証明する些細なものたちです。時々は、まだ微妙な風向きによって奈落の底に戻されるように感じることはあるのですが、私は今、地にしっかりと足をつけてこの場に留まっています。
来月、私が自殺を試みてから3年になります。私はその日を自分でどう祝うことになるのかわかりません、祝うというと少々病的な感じになりますが。私は深刻な病気に光を当てるようなことはしたくありません、私の残りの人生に影響を与え続けるものは特にそうです。今だに目覚めなければ良かったと思う時があるのです。私は双極性障害を打ち負かすことはできないことを知っています。たくさんの薬を服用し、多くのCBT(認知行動療法)を行っていても、罪悪感を感じないことはもう無いし、死にたいと全く思わなくなることもないでしょう。
私は、私の脳があるべきと考えた時間よりもずっと長く生きることになりました。私は時々、そうならなかった人たちの全ての母親たちのことを考えて泣くことがあります。私はあの時に死なずに生きていた、ということを自分のものとして残りの人生を過ごそうと思います。私は「罪悪感(guilt)」という単語は、古い英語の「debt(負債)」という単語に由来しているということを学びました。私には、私を健康に戻すために出来る限り尽くしてくれた人々に負債があるのです。
人にそれがどんなものかと聞かれた時、私はお皿を落とすようなものだと答えることがあります。自分が間違いを犯したことは即座にわかり、損害を確認する前に固まってしまうかもしれません。接着剤を探してきて破片を元のように戻そうとしてみると、きっといくつかの破片は合わず、粉々になっているものもあります。十分な時間と忍耐があれば使えるものに戻すことができます。前と同じではないかもしれませんが、そうしなければならないのです。
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