2019年5月29日水曜日

ファシズムは如何にして機能するのか


イェール大学の哲学者ジェイソン・スタンリーにファシズム、真実、そしてドナルド・トランプについて話を聞いた。


Vox
Sean Illing
Dec 15, 2018

「ファシズム」という言葉を最近ではあちこちで耳にするようになった。大抵の場合は信頼できない政治家を描写する表現として使われている。

1つ大事なことは、この単語の正確な意味を誰もわかっていないということだ。リベラルな人たちはファシズムを保守的な思想の最も極まったところに位置するものだと考えていて、権威主義、国家主義、人種差別主義、こうしたものが一体化されて構成されるものだという。保守派の人たちにとっては、ファシズムとは過保護主義国家の形をとった全体主義なのだという。

イェール大学の哲学者であるジェイソン・スタンリーによる新著「How Fascism Works: The Politics of Us and Them(ファシズムは如何にして機能するか:私たちと彼らの政治)」は、ファシズムとは何か、そしてそれは現代の世界でどのように機能するのかを明らかにしようとした最新の努力の成果である。スタンリーはプロパガンダとレトリックについて焦点を当て、この本ではファシスト政治を喚起する比喩表現や修辞について詳しく説明している。

私はスタンリーと今日見られるファシズムについて話し合った。その中で、ファシスト運動が起こるためには真実の破壊が不可欠である理由、また、一部の人たちがドナルド・トランプ大統領をファシストだというのは正確な表現なのかどうか、こうしたことについて話を聞いた。

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ショーン・イリング:人が「ファシズム」という言葉を使う時、みんなそれぞれ異なる意味で使っているようです。あなたはどんな意味だと考えているでしょうか?

ジェイソン・スタンリー:私はファシズムというのは政治手法の1つだと考えています。権力を行使するための手段としてのレトリックです。ファシストのイデオロギーというのは権力を中心に置くもので、もちろんファシズムはそのイデオロギーに基づいています。ですが、実際にはファシズムというのは権力を握るための技法だと私は考えています。

「なんとかという政治家は本当にファシストなんですかね?」というようなことをよく聞かれますが、これは実際にはその人物が特定の信条やイデオロギーを持っているかどうかを尋ねているのです。繰り返しになりますが、私はファシストというのは何かしらの信条で決まるものではないと思っています。彼らは権力を握って維持するためにある種の技法を用いる人たちです。


ファシズムというのはイデオロギーで分類し難い、幅のあるものということでしょうか?

そうです。私の本ではファシストたちが採る傾向がある様々な技法を例示して、その人がどの程度政治的にファシスト寄りであるかを示しています。ファシスト政治の鍵となるものは以下のことです。敵を特定すること、何かしらの集団(多くの場合は多数派)に属していることをアピールすること、真実を否定して権力で塗り替えようとすることです。


その技法について掘り下げてみたいのですが、その前に私はあなたがファシズムはイデオロギーで特定することは難しいと仰る理由に興味があります。左寄りの人たちはファシズムというのは右翼思想の反動主義がもっとも極まったものだと考えています、右寄りの人たちはファシズムというのは過保護主義国家が全体主義化したものだと考えています。これは同時には起こりえないものですよね。

私はファシズムというのは右翼思想なのだと考えていますが、問題なのは「右」とか「左」とかいう話は騙し合いのようになりがちでどちらも極端化すれば危険なものになることに変わりはありません。ですが、私見ではファシズムというのは右翼思想が極度に偏ったものだと考えています。

政治思想を図表のようなもので表すとすれば、一般的な保守思想というのはその中のどこかに置くことが出来ますし、それはファシズムではありません。一般的な民主主義思想というのも同様で、それは共産主義とは違います。ですが、行き過ぎた共産主義というのは過剰な平等のために自由を抑圧するものです。それと同様に極右思想に基づく政治としてのファシズムは伝統と支配と権力を偏愛して自由を抑圧するのです。


あなたの専門はプロパガンダとレトリックで、本の中ではファシズムを比喩と修辞の集積であると表現しています。ファシズムを動かしているお話というのはどんなものなのでしょうか?

これまでの例を見ると、ファシスト政治というのはその文化の中で支配的な集団を対象にしてきました。その集団に属する人たちを被害者のように感じさせる、特定の敵によって本来得られるべき何かを失っているように感じさせることが目的です。その敵とされるのは多くの場合民族的少数派の人々や敵対する国家になります。

ファシズムというのは不安を抱えた時代に繁栄するのです。不安感はこの偽りの喪失に結びつけやすいからです。典型的な筋書きは、とある素晴らしかった社会がリベラリズムやフェミニズムやマルキシズムか何かによって破壊されているのだと、そして多数派の集団に属する人々に、自分たちの地位と力が不当に損なわれているという怒りと憤りを感じさせるというものです。ファシズムが現れる場合はほぼこの筋書きが反映されています。


ファシストが進める計画の中で重要なものとして「真実の破壊」が含まれるのは何故なのでしょうか?

真実というのは自由民主主義の心臓部にあたるものだからです。自由民主主義を象徴するものとして、自由と平等が挙げられます。個人の思想信条が嘘に基づいてしまえば、その人は自由ではなくなります。北朝鮮に住む人々を自由だと考える人がいないのは、彼らの行動は虚偽に基づいて統制されているからです。

真実というのは自由に行動するために必要なものです。自由は知識を必要とします。世界の中で自由に活動するためには、世界が何であるかを知り、自分が何をしているのかを知る必要があるのです。真実に近づくことができる時だけ自分がしていることを知ることができるのです。ですから、自由は真実を必要とし、自由を破壊するためには真実を破壊しなければならないのです。


哲学者のハンナ・アーレントが印象的な言葉を残しています。彼女は著書「全体主義の起源」の中で、ファシストというのは単に嘘をつくだけで満足はしないと述べています。彼らは自分の嘘を新しい事実に作り上げ、その作り出した偽事実を人々が信じるように説得しなければならない。そのことに成功すれば、人々に何でもさせることができるようになるのだと。

それは正しいと思いますね。ファシスト政治がすることの1つは人々を現実から剥離させることです。そして虚偽の現実に入り込ませるわけです。この虚偽の現実は大抵は国家主義的な修辞で、国家が衰退していて偉大さを取り戻すためには強力なリーダーが必要だというものです。安定させるために必要なものは周りの世界にある現実ではなく、強力なリーダーなのだということにするのです。


そのことは私がファシズムを反政治的なものだと考える一因になっています。ナチスのプロパガンダを担当していたヨーゼフ・ゲッベルスは、自分のしていることは政治というよりも芸術のようだと述べています。彼らの仕事は、平凡な自由民主主義政治の実現ではなく、ドイツ人たちを更に高揚させ希望を持たせる架空の現実を創造することだったわけです。そしてそれゆえにナチズムにとってマスメディアは非常に重要なものだったのです。

非常に面白い話ですね。人々は架空の偉大な過去を信じたがるという事実があります。ファシストたちは常に失われた過去の栄光を語り、そのノスタルジーを利用しようとします。真実というのは厄介で複雑なものです、そして架空のお話は常に明快で説得力があり面白いものです。事実を用いて架空の話を阻むのは簡単なことではありません。ですから、ファシズムと戦う場合には、片腕を後ろに縛られたような形になってしまいます。


それではそろそろ目立ったところに話を移させて下さい、ドナルド・トランプ大統領です。彼はファシストでしょうか?

本の中でも取り上げていますが、彼の行動はファシスト政治に則っています。ですが、そのことは彼の政権がファシスト政権だという意味ではありません。1つには、「ファシスト政権」とは何かということを説明するが非常に難しいという面があります。

もう1つは、ファシストの技法を用いる現代の政治家たち(ロシアのウラジミール・プーチン、トルコのレジェップ・タイイップ・エルドアン、ハンガリーのオルバーン・ヴィクトルなどです)はみんな民主主義的な体裁を守ろうとしていますが、彼らの最終的な目標は自身個人に対する崇拝に仕向けることです。

繰り返しますが、少なくとも今の所はトランプの政府はファシスト政権を体現してはいません、しかし、彼自身は明らかにファシストの技法を用いて自身の支持層を昂ぶらせ、民主主義機構を傷つけています。これは非常に困ったことです。

ですが、トランプ自身と同じくらい共和党に責任があると思います。党としてトランプに対して歯止めを利かせていれば何も問題にはならないからです。これまでのところ共和党は立法に対する忠誠心よりもトランプに対する忠誠心を選んでいます。


あなたは本の中でアメリカの政治について、本質的にファシスト的なものが内在している、あるいはファシストは常にアメリカの中に潜在していると書いています。少し詳しく説明して頂けますか。

クー・クラックス・クランはアドルフ・ヒトラーに深く影響を与えました。ヒトラーはアメリカの1924年移民法を利用できる参考として礼賛していました。この法律は各国からの移民の年間受け入れ上限数を厳しく制限したものです。

アメリカの1920年代から1930年代は極めてファシスト的な時代でした。家族は男性上位の価値観で、政治は恨み節で黒人の人々や他の少数派の人たちを内部の脅威と見做して標的にしていました。それがヨーロッパに波及したのです。

私たちにはネイティブアメリカンに対する虐殺行為や黒人の人々に対する差別、移民に対するヒステリーといったものに長い歴史があります。それと同時にアメリカ例外主義の軋みが存在しています。アメリカ例外主義は一種の神話的な歴史として現れ、アメリカ人たちに自分たちの国が「善」のための唯一無二の力を持っていると考えさせるものです。

こうしたことでアメリカがファシスト国家になっているというわけではありませんが、こうした全ての要素はファシスト政治に簡単に結びつけられるものです。


それでも同時に私たちを反対の方向に押しやる力も存在しています。それで、アメリカは自由民主主義と反動的ファシズムの間の永続的な緊張関係の間に存在しているということですね。

仰る通りです。アメリカは良い意味でも例外的な存在なのは事実です。

私たちは自由と平等への特殊な献身を持っています。それは私たちの社会の中で市民が権利のために奮闘してきたこと、そして、第2次世界大戦ではファシズムと戦ったことに体現されています。陳腐なことを言うようですが、私はアメリカは本当に素晴らしい時代を過ごして多くの発展を遂げてきたと考えています。

ですが、ファシストの脅威は常に潜んでいるので、私たちはそれに気づかなければなりません。


将来に向けてあなたの本が訴えていることは何でしょう?私たちが国内と国外からファシスト運動の実際の脅威に晒されることになるなら、市民と政府がそれに対してできることは何でしょうか?

アメリカ合衆国ホロコースト記念博物館に刻まれている詩の警告に耳を傾けるべきでしょう。

最初に彼らが社会主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった。私は社会主義者ではなかったから。
彼らが労働組合員を攻撃したとき、私は声をあげなかった。私は労働組合員ではなかったから。
彼らがユダヤ人たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった。私はユダヤ人ではなかったから。
そして、彼らが私を攻撃したとき、私のために声をあげる者は誰一人残っていなかった。

ある時点を過ぎれば手遅れになるということです。

この詩から最初に学ぶことができるのは誰が標的にされるのかということです。左翼活動家、民族的少数派、労働組合員、そしてファシストの修辞を賛美しない全ての人々、機関が標的にされるのです。そして、もし自分が標的にされた集団に属していなかったとしても、標的にされた人々を守らなければならない、それも早い段階からそうしなければならないのです。早い段階で勇気を出して行動することは、後になって不可能な対応を迫られる状況から自分を守ることになるでしょう。

誤解のないように、これは心配し過ぎということではありません。私たちはファシストに占拠される危機に瀕しているということではありませんが、このことを気にかけることには理由があり、常に警戒するべきなのです。それが歴史からの教訓です。私たちの武器は自由と平等への高い理想です、そして、私たちはアメリカの理想を保つために戦わなければならないのです。

私たちは幸運にも建国の時に織り込まれた理想としての自由と平等を享受しています。人々がこれらの理想を訴え続け、「私たちには同意できないことがたくさんあるかもしれないが、真実と自由と平等を支持することについては同意する」と言い続けてきた長い歴史があります。ですから、何が起ころうとも私たちは継続的にその理想を倍加していかなければならないのです。そしてそれが私たち自身を救うことになるのです。




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