2018年12月21日金曜日

過激主義に対する言説の解読


テロリズム(terrorism)、急進主義(radicalisation)、過激主義(extremism)、これらの言葉は人種的な緊張関係を作り出している。


Al Jazeera
Mohammad-Mahmoud
19 Dec 2018

2018年10月27日、反ユダヤ主義者ロバート・バウアーズがピッツバーグで「生命の樹」シナゴーグに押し入って銃を乱射し11人を殺害した時、CNNとBBCはこれを「銃乱射事件(mass shooting)」と呼び、ハフィントンポストは「虐殺事件(slaughter)」と表現した。

2017年6月19日、イスラム嫌悪主義者ダレン・オズボーンがロンドンのフィンズベリーパークのモスク付近で歩行者に自動車で突っ込んだ。この手法はその前にテロリストがロンドン、ベルリン、ニースで起こした事件の再現だったわけだが、それを伝えたのと同じニュース媒体は事件後数時間テロリズムという言葉の使用を控え「衝突(colision)」と表現していた。これと全く同じことが、同じ年の夏にバージニア州シャーロッツビルで白人至上主義者ジェームズ・アレックス・フィールズ・ジュニアがネオナチの集会に平和的に講義する人々の中に車で突っ込んだ時にも見られた。

過去数年間で定まったパターンが出来てきている。こうした事件が起こった場合、所謂西側の主要メディアは犯人がイスラム教徒ではない場合に「テロリスト」という言葉を使うことを明らかに避けている。だが、同様のケースでも攻撃者がイスラム教徒だった場合には、同じメディアとそのコメンテーターたちはその言葉を使うことに躊躇しない、というより自動的にそうなるようである。

テロリズムに当たる犯罪行為に対するダブルスタンダードと言える呼称は驚くには値しないものだ。国際社会はこうした権力の不公平が蔓延しており、私たち全てに影響する安全保障の問題ですら差別的な扱いが無いことを期待するのは浅はかであると言わざるを得ない。新たな人種差別はこうして広まっている。今日の安全保障の潮流によって差別自体を再発明している。人種差別は安全保障化の言説を推し進める言葉遣いに組み込まれて、今日のテロリズムに特定の(誤った)印象を与えることに成功している。

この分野に限らず、こうした表現手法は概念的にも実質としても擁護できない理不尽なものになっている。テロリズムの概念は歪んだ状態にある。9/11の攻撃がテロリズムの概念に与えた衝撃によって、この言葉は主として顔の見えない無名のイスラム教徒による西側の国家や社会に対する脅威を表す言葉としてほぼ独占的に使われるようになっている。

他の地域で起きたテロ事件も定期的に報道されるが、緊急に対処する必要がある現代の病理として公平に描写されている。実際、経済平和研究所(IEP)が年に1度発表している世界テロリズム指数によると、今年、昨年、一昨年のテロによる犠牲者の国籍の上位は、イラク、アフガニスタン、ナイジェリア、シリア、パキスタン、ソマリア、インド、イエメンとなっている。しかし、西側のメディアと政策分野で語られるテロリズムが表す中心はもっぱら西側に対する脅威についてである。

こうした状況の中で、2010年代の初めにテロリズム用語のバリエーションが提案され、暴力的過激主義対策(CVE)と暴力的過激主義防止(PVE)という言葉が広められ始めた。

こうしたアプローチ、特に「防止」とされるものは、テロリズム対応を非軍事化し、前段階を追跡して所謂「根本原因」に対処することでテロリズムとの戦いを「人道的」にすることを目的としたものだ。しかし、実際にはこうした視点は9/11後の論説の基本的な教義から殆ど変わっておらず、実際に懸念対象となっているのは過激主義や急進主義に関わっている圧倒的多数の人々、即ちアメリカの極右勢力やドイツの反移民勢力のようなものではなく、主に保守的なイスラム教徒か、そう見える人が対象になっている。

警察官、社会福祉事業家、学校教員、その他公的の機関の人々を呼び集めて(問題のある形で定義された)急進主義や過激主義に染まりやすそうな人を報告させるような当局による取り組みは、アフリカ系アメリカ人、アラブ系アメリカ人、イギリスやフランスのイスラム教徒たちのような特定の地域社会に対する偏見をしばしば助長し疎外を招いている。

急進主義、暴力的過激主義対策の名を借りた明らかな民族主義と小手先の誤魔化しは定形として広がっていて、対象にされた人々は文化的又は宗教的な苦境に立たされ囚われているように見える。そのため彼らは身についた暴力と事態の悪化から脱するために和解を迫られ、そうでなければ民族主義的な脱急進化の言説が続くことになる。

こうした社会活動の武器化、教育の好戦化、監視社会の心理の育成が先進国で社会の基本構造を食い潰してしまっていることで、発展途上各国での民主主義の状況は更に良くないことになる。テロとの戦いという名目で多数派を味方につけたエジプトのアブドルファッターフ・アッ=シーシ、シリアのバッシャール・アル=アサド、サウジアラビアのムハンマド・ビン・サルマーンのような多くの発展途上国の新権威主義者のリーダーたちは、過激主義者に対する戦いの一環として抑圧的で強権的な政治の再構築を達成してきている。

権力は、テロリズム、急進化、過激主義という、有無を言わさず緊急で疑問を挟む余地のない言葉を使ってそれ自体を覆っている。世界中で紛争が起こり西側の中心都市でも人々が不満を募らせている中で、捉えにくく科学的には不正確な流動的な(決定論的に宗教を標的にした)用語が、政治による暴力の利用についての議論を支配するようになってきている。

この問題の多い呼応の大きな背景には、豊かさとポストモダンの変化の中で現代の過激主義の問題を理解するための文化的一貫性と政治的公平性を持った知的な枠組みが欠けていることがあることを忘れてはならない。

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