2018年12月15日土曜日

何故10分で済むことを10日も先延ばしにしてしまうのか?


日々の雑用は最悪だ


The Atlantic
AMANDA MULL
Dec 14 2018

私は自分が割ときちんとした人間であるということを証明するために新たな理論を組み立てようとしている。だがあまり上手くいっていない。私は自宅アパートの階下のゴミ置き場に歩いて行く1ヶ月に1回の2分間のことを苦にしている。私は壊れかかったゴミ箱と炭酸水の空き缶を見るのは嫌いだ。しかし研究によると、人間は長期的な目標の方を即時の満足感よりも優先するのが苦手なのだという。つまり私は即時の満足感を得られる何かを見つけていることになる。

なぜ私が食事の後片付けのようなことをしたがらないのかを説明するために科学者を連れてくる必要はない。皿洗いのようなものは厄介で面倒なことで、それをして得られる報酬は将来的にまた利用できるようになることだけだ。それでも、こうした仕事をしなかったことの不安感は、最初に済ませておくことの面倒臭さをある時点で上回ることになる。これは予想できる習慣の繰り返しだ。多くの生産的な人々は日々の単純な家事を放置しておけば後になって負担になることをわかっている。一方で私は10分で完了させれば良い気分になれるものを放置して数日か数週間ストレスとして抱え続けている。

こうした行動がなぜこうも頻繁に起こるのか理解するのは難しい。この主題は、独自の理論を展開する偉ぶった人が「モチベーション」を与えると言って空虚な言葉を振り回す格好の題材になっている。だが、根本的な原因は複雑なものだ。感情的なものと心理的なものが奇妙に混ざり合った陰謀によって、私の寝具は来週も汚れたままになろうとしているのである。

デポール大学で心理学の教授を務めるジョセフ・フェラーリによると、面倒な家事を習慣的にその場で済ませることに問題を抱える人には2種類の全く異なるタイプがあるという。タスク・ディレイヤー(task delayers)と慢性的プロクラスティネーター(chronic procrastinators)とに分けられる。この2つの科学的な分類は不明瞭に見えるが広く浸透したものである。家事に対する気の進まなさに圧倒されている、ということだけでは慢性的な問題を抱えているというためには不十分である。フェラーリによれば、あらゆる人は何かしら先延ばしにすることがあるが、慢性的プロクラスティネーターは人生のあらゆる分野でそれが起こり、そのことが健康と人間関係に悪影響を与えている「忌避のライフスタイル」が確立されているのだという。

フェラーリの研究では、人々の約20%がこれに当て嵌まるのだという。単純なタスク・ディレイヤーはそれよりも更に一般的な存在だが慢性的な人に比べて良い習慣を確立するのがずっと簡単である。これは家事を先延ばしする程度のことが主な問題の人にとっては良いニュースだ。私たちはそれほど悪くはない!

タスク・ディレイヤーが悪い習慣に陥る最初の理由は、雑用が頻繁に発生する日や週といったタイミングの問題の可能性がある。「雑事を片付けるにはいくらかの自制心が必要です、もしその日することに多くの選択肢があるなら自制するのはより難しくなります」と社会心理学者でフロリダ州立大学の教授であるロイ・バウマイスターが言う。バウマイスターは多少議論のある「決断疲れ」という理論を参照している。これは人々が通常仕事中には制限を受けた中で決断力を発揮し続ける必要があるために脳が疲れてしまうことを言う。もし職場の机に座って一日中好みのゲームをしているだけなら、家に帰った時に食事の後片付けをすることは厄介なものには思えないのかもしれない。

雑事を先延ばしにしてしまう人なら誰でも知っているように、何かを後ですると決断した所で話が終わるわけではない。マサチューセッツ州の看護師であるグロリア・フレイザーはそれこそが始まりなのだという。彼女は仕事の上では素早く能率的な人間であると自身でも考えている。しかし、家事についての感情的な負担が個人的な雑用をより困難にしているという。「私の頭の中で、何かをしなければならない、なぜ悪いことが起きるまで待っているのか、というネガティブな音声が鳴り続けているのです」と彼女は言う。「それが積み上がっていって実行するのではなく、終わらせておくべきだったと考えることに終始しています。雑事を済ませる代わりにやっていないこと自体についてある種の緊張病のような状態になっているのです」

先延ばしをする人が汚れた食器を避けたい気持ちをより大きな道徳的失敗として内面化し始めると、罪悪感と羞恥心は先延ばしの大きな部分を占めるようになる。「私たちはやるべきことそのものの他に別なものも持ち込んでしまいます。自分で自分に、もしやるべきことに取り組んで既に終わらせていたら自分はどうなっていたのかについての話をすることになるのです」と生活指導をしているリズ・サムナーは話す。彼女は高齢の女性たちに悪い習慣を脱して生産的になるための支援を行っている。彼女はするべき雑事を細かく管理しやすい手順に分割することを推奨している。しかし、こうした努力も、その人自身が自分は簡単に変化したり進歩したりはしないのではないかと心配している場合には依然として妨げられてしまうことがある。

「大きな問題は、人々が自分の行動ではなく自分そのものを責めてしまうことです」とフェラーリは言う。タスク・ディレイヤーが掃除やゴミ捨て等に対する嫌悪感を自身の人格とは切り離して考えることができれば、良くない行動を悪い習慣に固着させてしまったという羞恥心のサイクルから離れて合理的に評価する機会を持つことができるようになるはずだとフェラーリは信じている。

問題を理解することができれば、おそらく改善することも可能なはずだ。シリコンバレーのマーケティング専門家で神経科学研究者であるベッツィー・バローズは自宅をきれいにしておくことに苦労していたという。「常に大惨事でした」と彼女は語る。「ですがある時、仮に誰かが家に来ることになれば私は掃除をするだろうし、それだけでなく掃除を楽しむこともできると気づいたのです」。彼女の解決策はサンフランシスコの自宅で月に1回会話サロンを開催することだった。彼女はこれを既に12年続けている。自分で定期的なイベントを主催するのは多くの人にとっては極端過ぎるかもしれないが、嫌いなものを認識してそれを何か好ましいものとして再定義する手法は殆どの雑事に応用できるものだ。

自身の習慣を意識することは先延ばしをすることに影響を与えているようだが、それは私が最初に仮定したよりも複雑な方法によるものだ。2011年にスタンフォード大学の研究者キャロル・ドゥウェックが発表した研究では「決断疲れ」は元々意志が弱いと自認している人により影響があることが示唆されている。言い換えれば、自分自身が失敗しそうだと考える人は最終的に失敗に終わる可能性が高くなるということである。タスク・ディレイヤーを傷つけている「悪い」という前提を単に止めれば、家庭内の雑事の状況を改善することができるかもしれない。先延ばしについての研究者たちは全て直ぐにメールに返事をくれるようだということは言っておくべきだろう。

それでもある程度の先延ばしは人間の脳が避けられないものなのかもしれない、それが扱いにくい仕事である場合は特にそうだ。フェラーリにタスク・ディレイヤーと慢性的プロクラスティネーターの境目は何処なのかと尋ねたところ、彼はそれは複雑な質問だと答えた。「先延ばしを研究している研究者たちは2年に1回国際会議を開催します。私たちはこれを20年続けてきました」と彼は言う。「この会議の後毎回私たちは、人々に遅延(delaying)と先延ばし(procrastination)との違いを理解してもらわなければならないと言い合っています」。彼らはまだ回答に到達していない。おそらく私のゴミの日と同じように直ぐにその時が来ることになるだろう。

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