2019年8月28日水曜日

アルコールは悪行の言い訳にはならない


酔っ払っていてもその人であることに変わりはない。


The Conversation
Kathryn Francis
August 23, 2019

前の晩に飲みすぎてしまって、朝目覚めたら頭痛がする上に、昨晩何を話したのか思い出せない、なんて経験を多くの人がしているだろう。そして突然記憶が鮮やかに戻ってくることもある。

アルコールは自身を抑制から解放して、普段は心に包み隠しているようなことを言わせ、行動をさせる。人々はアルコールの力を借りた勇気を必要とする場合に飲むことも多い。ブラインドデートに参加する場合や多くの人と会うイベントがある場でアルコールが欲しくなるのは理解できることで、緊張を落ち着かせて自信を取り戻すのに役立ってくれる。アルコールには抑鬱の効果もあり、よりリラックスさせてくれる。

もちろん、アルコールの効果は良いものだけではない。アルコールを飲んだ時には「幸せな酔っぱらい」になることもあるだろうが、すべて間違った行動を取る「攻撃的な酔っぱらい」になってしまうこともあるだろう。

アルコールと反社会的な行動との関係は経験的な話としてだけでなく研究からも立証されている。誰かが飲みすぎた場合に議論や喧嘩が起こる。私たちは酔っ払うと社会的状況を誤って解釈して共感の感覚を失うために、そのようなことが起きるのだと科学者たちは説明している。要するに、酔っ払って言葉がうまく出てこなくなると、他の人の感情を理解したり共有したりする能力もなくなってしまうのだ。


酔っ払った上での判断


酒の上でなにか間違ったことをしてしまった場合、私たちはそのことに関して説明責任を果たすのではなく、むしろそれを「免罪符」として提示しようとする傾向がある。そして、その言い訳を自分自身に対しても拡張しようとする。

だが、私たちは研究で、アルコールの摂取と共感、道徳的行動がどのように関係しているのかを明確にすることを試みてきた。その結果明らかになったことは、アルコールを摂取することは共感する能力に影響を与えると同時に、他の人の感情や反応に対して不適切な返答をするようになることだ。これは必ずしも、私たちの道徳基準、何が正しくて何が間違っているのかを判断する基準がアルコールによって変化しているという意味ではない。

最近の実験で、私たちは被験者たちにウォッカを飲んでもらい、彼らの共感する能力と道徳的な判断について測定を試みた。被験者には様々な人が感情を表現している画像が見せられる。ウォッカを大量に接種した後、被験者たちは画像で示される感情に対して不適切な反応をするようになる。悲しい顔の画像に対して肯定的に感じ、幸せそうな顔の画像に対して否定的に感じたりすると報告された。酔っ払えば酔っ払うほど共感する能力は損なわれる。つまり、酒を飲むと他人の感情を理解して共有する能力が低下するのだ。

では道徳基準への影響についてはどうだろうか?

私たちは被験者たちに道徳的ジレンマに陥った時にどうするかを示してもらった。また、ヴァーチャル・リアリティ(VR)を用いてシミュレーションを行って、実際にどうするかを観察した。以下の状況になった場合どうするかを考えてほしい。

暴走した貨物列車がそれに気づいていない5人の作業員の方に向かって進んでゆく。あなたは近づいてくるその列車と作業員たちの間にある歩道橋の上に立っていて、目の前には非常に大柄な見知らぬ人がいる。仮にあなたがその見知らぬ人を下の線路に突き落とせば、彼の大きな体で列車を止めることができるだろう。この1人の人は死ぬだろうが、5人の作業員は助かる。どうしますか?

アルコールは被験者たちの共感する能力を低下させたが、道徳的にどう判断してどう行動するかということについては影響を与えなかった。シラフのときにより多くの命を助けるために歩道橋から人を突き落とすことを選択した人は、酔っ払ったときにも同じ方を選択した。結果に関係なく、殺人は間違いであるとして突き落とす選択をしなかった人は、酔っ払ったときにも同じ選択をした。

このことは、アルコールが私たちの人格を変えてしまうのではないことを明らかにした。あなたは酔っ払っていても同じあなたであり、道徳的な感覚はそのまま残っているのだ。なので、アルコールは他の人の感情を読み取って理解する能力には影響を与えるものの、私たちは自身の不道徳的な行いをアルコールのせいにはできないのである。

人は酔っ払っていても同じ道徳的指針を持っている。つまり、酔っ払っていようといまいと、あなたにはあなたの道徳的、不道徳的な行動に責任があるのだ。

0 件のコメント:

コメントを投稿