The Guardian view on Gamergate: when hatred escaped | Editorial https://t.co/SZ3ftrKOhk— Guardian Opinion (@guardianopinion) August 20, 2019
5年前、男性たちの怒りを基にして起こった運動は、私たちの政治や日常生活にも破壊的な影響を齎している。
The Guardian
Tue 20 Aug 2019
5年前、ある若い女性がボーイフレンドと別れることになった。そのボーイフレンドはインターネット上に、10,000語にも及ぶ惨めな自己弁護を投稿し、これが「ゲーマーゲート論争」と呼ばれる運動の発端になった。この女性本人だけでなく、彼女を弁護する人たちに対しても、匿名の人々による強姦と殺人の脅迫が及んだ。インテルのように彼女の側に立つサイトに広告を出していた企業は、広告を取り下げるように圧力がかけられた。
全体として、その最初のきっかけになった女性、ゾーイ・クイン氏が自身の開発したゲームに高評価を与えてもらうために、ジャーナリストと寝ていたという虚偽の主張が含まれていたのは確かだが、この不快な攻撃の理由は多岐にわたり一貫したものではなくなっていた。しかし、その背後にある感情は一貫していた。これは、自分がコンピューターの前に座っている以外の時には、常に自分自身は軽蔑され、搾取されていると感じている男性たちに伝染した憤怒だった。
この毒性の要素はマス・コミュニケーションの暁から醸成されてきたものだ。見知らぬ人々の喜びのために、誰かのプライベートな事情の詳細を持ち出して公の場で叩く手法はタブロイド紙によって切り拓かれた。しかし、ゲーマーゲート論争は「いじめ」の力がインターネットによって再分配されていることを明らかにした。なので、かつては嫌がらせを受けるのは一般的には有名人だけに限定されたものだったが、今ではあらゆる人が嫌がらせの対象になる可能性がある。この新種のムーブメントは暴徒の様にリーダーを定めずに自己組織化していった。誰もが解き放たれた怒りを鎮めることはできず、怒りを滾らせた人々は4chanや8chanのような掲示板が提供する匿名の陰に隠れていた。この怒りは炎のように燃え広がり、多くの人を火傷させた。
ここから現れた第2の恐怖は、特定の種類の敵意が男らしさにされてしまったことだ。女性に対する攻撃が、このムーブメントの始まりであり最大の懸念であり続けた。「フェミニストが俺の人生を台無しにした、だから俺は復讐するつもりだ。それは俺自身のために、そして不当な扱いを受けてきたすべての人々のためにだ」とある若い男性は投稿し、もし、ゲーマーゲートに関するある女性による主張が取り下げられなかった場合には、大学で銃乱射事件を起こすと脅迫した。
こうした毒性の影響は現在では政治の主流にも及んでいる。極右の間では、彼らがイスラム過激派を嫌うのと同様にミソジニー(女性嫌悪)も極右思想文化の一部として成立している。民族浄化暴力への幻想も同様だ。プロパガンダに最適なメディアとして、TwitterとYouTubeを利用することも当たり前のことになっている。こうしたプラットフォームを所有する広告駆動の会社が、この種の脅威を真剣に受け止めるまで大きな変化は起こりそうもない。
ゲーマーゲート論争の元々の憤怒は、ゲームが想像上の敵を撃ち落とす単純な喜びよりも遥かに多くのことを伝えることができる文化的形態としての存在になっていて、多様な人々を新たに数多く惹きつけ始めていたことが原因の1つになっていた。このプロセスは今でも継続している。もはや10代の白人少年であっても、ゲームを所有することがサブカルチャーであるという認識はない。この解放が憤怒の源であり、それは今も残存している。しかし、5年が経った今、それは将来に希望を持つ理由としても見られるべきなのかもしれない。
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