2019年4月1日月曜日

五感の中で最も優れているのは?


依然として科学者たちがこれについて争っている。


The Conversation
Harriet Dempsey-Jones
March 28, 2019

Twitterから教わったことを1つ挙げるなら、世界の人々はバカげたように聞こえる疑問に深遠で興味深い解答があることが好きだということだ。例えば、地球が突然ブルーベリーになったらどうなるか、という質問に物理学的な解答がつけられたことや、写真のドレスの色は何色か?というものもあった。

最近、これと同じように知覚科学者たちがTwitter上で「最良の感覚とはどれか?そしてその理由は?」という取るに足らなそうな質問に答えようと争っている。この議論は驚くほど深遠な疑問の扉を開くことになった。何が感覚の価値を左右するのだろう?そして、私たちを人たらしめるには感覚のどれかが重要だということがあり得るのだろうか?

この質問ではアンケートも行われた。多くの人は「視覚(vision)」が勝利すると考えていたが、最も得票したのは「体性感覚(somatosensation)」であった。体性感覚は通常は「触覚(touch)」と言うが、専門的に体が感じるあらゆる感覚を含んだものを言う。科学的な証拠に基づいてこの投票結果は説得力のあるものだろうか?



体の感覚を失う


私たちが体を上手く動かすには体性感覚が必要である、この場合は視覚よりも必要そうだ。これは重要な主張で、この感覚を失うごく稀なケースによって裏付けられている。「求心路遮断(Deafferented)」になっている患者は、四肢の位置を感知する能力(固有受容性感覚)や動きを感知する能力(運動感覚)と共に殆ど(あるいは全て)の触覚を失っている。これは何らかの感染後の自己免疫反応として自身の体が体性感覚の神経回路を攻撃するために起こると考えられているが、多くの場合原因は不明である。

こうした患者は運動系に直接の機能障害が無い場合でも、多くの場合最も基本的な動作もできなくなる。これは脳が適切な運動計画を作り上げるためには体の今いる位置を感知しなければならず、その計画が適切に実行されたかどうかフィードバックを感じ取る必要があることが原因になっている。

こうした障害にも関わらず、通称「IW」と呼ばれる患者は再び歩くことができるようになり医療関係者に衝撃を与えた。彼は動き出す前にどの順番にどの筋肉を収縮させるかを周到に計画することでこの偉業を成し遂げた。この成功の後を追うために彼の手足に注目することになった。だが、この戦略は極めて高い認知的な要求に答える必要があり、一般に車椅子に座っている多くの患者に適用できるものではない。

食べることに熱心な人なら、味覚を感覚の最上位に投票したいと考えるかもしれない。しかし、歯医者で麻酔をされた後に食事をしたことがある人なら、体性感覚なしに食べることの危険性と困難さを理解できるだろう。このことは「GL」と呼ばれる求心路遮断患者の挑戦によって文献になっている。

体性感覚を副次的に構成しているのは前庭器系であり、これは私たちを直立状態に保つために重要な役割を持っている。乗り物酔いになったことがあれば、この重要な系が機能不全を起こした時に何が起こるかある程度はわかるはずだ。簡単に言うと目は脳に対して人が動いていることを伝えるが、前庭器系はそうではないと伝える。この不一致が、目眩、吐き気、バランス感覚の喪失に繋がる。

痛みや温度の感知も体性感覚に集約されるもので、他のどの感覚にも収まるものではない。生まれつき痛みの感覚が無い状態であるという事例は極めて稀であり(文献上45件の事例がある)、非常に危険なことだ。こうした場合、患者は記録されるほど長く生き残れないために発症率が過小評価されている可能性を指摘する専門家もいる。痛みによって何か体に直接悪いことが起きていて早く対応した方が良いことがわかる。痛みの感覚が無ければ、気づかない切り傷による感染症を防ぐために毎日何度も確認しなければならない。

触覚は私たちの人間性の中核を形成している。触覚は子宮の中にいる胎児で最初に発達する感覚であり、体に関係した感覚の統合が私たちの自意識の根幹を形成していると考える人もいる。

また、接触することによって赤ちゃんに対して、不安を軽減し、行動に影響を与え、脳の発達を促し、痛みに対する脳の反応を軽減することができる。私たちには「社会的」あるいは「情動的」な接触を優先的に処理するために専用の神経群すら備わっている。


視覚 vs 触覚


一方で、神経科学の観点からすると、この投票で視覚が大きく得票した理由は簡単に見えてくる。脳は視覚に焦点を合わせている。視覚刺激を処理する脳の領域である視覚野は他のどの感覚の領域よりも大きな場所を占めている。この膨大な処理能力によって、視覚は私たちが持っている中で最も鋭い感覚になっている。

視覚が高い信頼性を持っているということは、仮に2つの感覚に矛盾がある場合には、視覚による情報と一致するように最終判断が引きつけられることになる。有名な「ゴムの手を自分と感じる錯覚」では、本物そっくりのゴム製の手をその人の手のような場所に置いて、本物の手は隠しておき、両方を同時に撫でると、視覚が触覚を乗っ取って見えているゴム製の手の方を自分の手だと感じるようになる。聴覚が視覚と矛盾した場合にも同様のことが起きる

視覚は読むことや書くこと、芸術活動も可能にする。愛する人の顔や遠くから近づいてくる危険なものも見ることができる。私たちが視覚をとても重要だと思っているのは、それが常に私たちの経験の最前線に置かれているからだ。オレゴン健康科学大学で神経科学の助教授を務めるケヴィン・ライト(Twitterで今回のアンケートを実施したのは彼である)は、「私たちは体性感覚機能についてとは対照的に、視覚を強く意識している」ので、多くの人は視力の喪失をより人生に影響を与えるものとして認識するのかもしれないと述べている。


そして残りは…


それではその他の感覚は本当に重要性が落ちるのだろうか?私たちの嗅覚はとても古く、そして複雑なものである。もし、順序が何かを表すのであれば、嗅覚は私たちの初期の多細胞生物である祖先が進化させた最初の「感覚」であると考えられている化学受容である。嗅覚だけが脳内の感覚のリレーシステムを迂回して、処理のための皮質に直接届いている。

嗅覚は味覚と共に腐ったものや毒性のある食べ物を食べないように機能している。また、嗅覚は自伝的記憶と強く関係していおり、私たちがアイデンティティを維持するのに必要な処理の中心の一部になっている。そして、聴覚は背後から迫る危険を察知するためには触覚や視覚よりも優れている。そしてもちろん、暗闇の中でも視覚よりも優れている。聴覚がなければ音楽を楽しむこともできない。

結局私はこのアンケートでは体性感覚に一票を投じたい。これは他のものよりも、私を直立させ、動かし、活力を与えてくれるものだからだ。しかし、未来を見据えた時、感覚代替技術が私たちの感覚についての重要度評価をどのように変化させるのかを考えると非常に興味深い。例えば、適切な機器を用いれば、接触音声を目で見ることが出来るようになることが既に明らかにされている。

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