2019年4月7日日曜日

目の前でイチャつかれるのはなぜ不愉快なのか


PDA(Public Display of Affection:人前でイチャつくこと)にどのくらい耐性があるかは人によって違う。


TONIC
Misha Gajewski
Jan 10 2019

あなたが仕事のことについて考えながらバス停に立っているとき、近くでカップルがキスをしている、それどころかそのままセックスでもしそうな勢いだ。あなたは目を逸らすが、彼らの唇の音が聞こえる、まるで老人がトウガラシを食べる時のような音だ。あなたの体は嫌悪感で萎縮してしまう。「若者の愛だなあ!」と感心するのではなく、完全な不快感に襲われる。

そしてお昼ご飯を食べながら、あなたはまだ考えている。公共の場でイチャついている(PDA)人たちを見るとまるで両親のセックスを目撃したような不快感に襲われるのは何故だろう。自分はカマトトぶってるんだろうか?それとも自分が独り身なので幸せに愛し合っている人たちを見て悔しいのだろうか?

これはあなたにだけ起こることではない、だが全ての人に起こることでもない。他人によるPDAに対する反応は様々だとカレン・ブレアー助教授は言う。彼女はカナダの聖フランシスコ・ザビエル大学で心理学を研究し、KLB調査研究所を主催している。「素晴らしいと思う人もいれば、気持ち悪いと思う人もいますし、気付きもしない人もいます」と彼女は言う。

注目されるべきはPDAは比較的新しい現象だということだ。少し前までは激しく弄り合ったり抱き合ったりすることは影でする行為だった。映画でキスシーンが初めて登場したのは1896年のことで、手をつなぐ以上の行為をスキャンダルだと考えなくなったのは20世紀になってからのことだ。PDAはタブーであり、違法なことだった(罰金、拘禁、場合によっては死刑の可能性すらあった)。こうした貞操の観念は現代の私たちの思考や行動にも影響を与え続けている。

例えば、職業倫理と性規範についての見解を調査したある学生の研究によれば、職業やセックスについての伝統的な清教徒の価値観は今日のアメリカ人にも依然として影響を与えている。周辺状況も関わりがあるとブレアーは言う。適切な状況で行われるPDAは周囲の人に受け入れられやすくなる。例えば、お互いに出会いや別れの挨拶をするような場所では、多くの人がPDAに対して高い耐性を持つとブレアーは説明する。

「空港ではPDAが頻発しています。そして実際他の場所で行われるよりも無害なものに見えていて、周囲の人が否定的な反応を示すことはないようです。空港のような場所では大切な愛する人に出会いや別れの挨拶をする過程が共感を得ます。ですから、愛情表現についても受け入れられやすくなるのです」とブレアーは言う。

ウィッティア大学の心理学教授チャールズ・ヒルは、1980年代のニューヨーク・タイムズの記事で、PDAが一般的になっていない場所で受け入れられない理由の1つは、周囲の人々に望まない観客になることを強制し、そのことが不快にさせるのだと書いている。

また別な要素としてキスをしているのがどんな人かというものがある。2014年の研究によると、異性愛者の95%が男性と女性が頬にキスをしているのを良いものと評価したが、同性のカップルが頬にキスをすることについては55%しか良い評価が得られなかった。ブレアーが同僚たちと実施した研究によると、同性愛者に対して偏見を持っている男性ほど男性同士のPDAを「不愉快なもの」と評価する可能性が高くなる。

「この同性愛者に対し偏見を持っている同じ男性たちは、男性同士が手を繋いでいる映像に反応して軽蔑の表情を示し、男性同士がキスをしている映像には嫌悪の表情を示す可能性が高いことが明らかになりました」とブレアーが説明する。このことは同性のカップルが公の場で愛情表現を見せる頻度が低いことの理由になっているかもしれない。

しかし、社会的あるいは文化的な影響や同性愛嫌悪や人種差別的な評価を抜きにしても、PDAに対してどういう反応を示すかはその個人の性格も大きく関わっている。オルブライト大学の心理学教授グウェンドリン・シードマンによれば、私たちはそれぞれに嫌悪に耐えられる許容範囲を持っているのだという。

「嫌悪を感じるレベルは人によって異なります。嫌悪を感じる範囲がそれぞれにあるのです」と彼女は言う。あるもの、例えば体液のようなものに不快感を感じる人は、他のもの、昆虫、腐った食べ物、性的禁忌などにも不快感を感じる可能性が高い。「ですから、嫌悪の感覚が敏感な人はPDAについても特に不快感を持つはずです」

一方でブレアーは自分が人間関係をどう行動に反映させるかという愛情表現についての方法論もPDAに対する感じ方に影響を与えている可能性があると考えている。「愛情表現にどのような方法論を持つかは自身の人間関係についての感じ方に関係していますが、他人同士の関係をどう感じるかにも影響を与えているのかもしれません」。したがって、自身の愛情表現にあまり積極的でない人はカップルが目の前でイチャついていることに良い印象を持つ可能性は低く、不要な行為でやり過ぎだと考えるのだという。

同様に、シードマンも似たような状況における自分自身の行動の仕方がPDAに対する考え方に影響しているという。「人は他人を評価するときの比較の基準として自分を用いるものです」と彼女は言う。「自分自身に基づいて他人を判断するのです」。つまり、自分が公共のバスの中で恋人とイチャイチャしたりしないタイプの人である場合は、他人のそうした行為について厳しく評価することになる。そのカップルの愛情表現が過剰だと考えるなら尚更のことだ。

ノースウェスタン大学心理学部の大学院生リディア・エメリは「こうしたことが問題になるのは、PDAが多発しすぎていることがあるようです」という。彼女は調査で、Facebookの投稿で恋人同士の関係を過剰に表現しすぎると周囲の人たちから見苦しいものとして見られるようになることを明らかにした。同じことが現実の公共の場で恋人たちに起こっているのかもしれない。だが、FacebookのTMI(Too Much Information:知りたくない情報)投稿が嫌われることと現実世界の大胆なPDAが嫌われることが同じことであると主張するにはもう少し調査が必要だろう。

なぜ過剰なPDAは嫌われやすいのかということについて、エメリはカップルの下心が感じられるから、という仮説を立てている。カンザス大学の研究によると、人が公共の場でイチャつくのには多くの理由がある。この調査では349人の大学生にPDAを実行する理由について尋ねている。その中で一番多かった返答は「特別な人とイチャつくことができるということを示すことで、自身の印象や立場を向上させる」というものだった。

「人は、誰かが自慢げに振る舞ったり見せびらかしたりすること、あるいは少なくともそう見えるものを嫌うものです」とシードマンは話している。また、エメリは別な調査で、人は恋人の気持ちについて不安を感じている時にこそ、2人の関係についてより多くの情報をソーシャルメディアで共有しようとすることを発見している。そうした、不安感の表れとしての偽りの愛情表現について周囲の人は否定的な反応を示すのかもしれない。しかしいずれにせよ更に調査が必要だとエメリは強調している。

前向きな話としては、PDAを嫌うことについては、その人自身の人間関係の状態とはあまり関係がないようだ。「Facebook上では、独り身の人も恋人がいる人もPDAを嫌う程度に差異はありません」とエメリは言う。目の前のPDAを不愉快と思うかどうかはともかく、カップルがイチャつこうと思うほどに快適だと感じられる場所に自分もいることをとりあえず幸運だと思ってみるべきだろう。バスでは近くに座らないようにして、ヘッドフォンを使うのも良いかもしれない。

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