Is it worthwhile to watch the same movie or read the same book more than once? @jpinsk on new research about the trade-off between the novel and the familiar: https://t.co/bT6FJYly1r— The Atlantic (@TheAtlantic) April 18, 2019
同じことの繰り返しは怠惰な活動の結果として見られているが、研究によると慣れたことを繰り返すことで予想外の楽しみを得られることがあるという。
The Atlantic
JOE PINSKER
2019 Apr 18
リビングルームのささやかな選択として、あるカップルが見る映画を選んでいる。選択肢の2つうち1つはまだ見ていないわくわくするようなもので、もう1つは既に一度見たもの。ここに議論の余地はないように見える。
しかし、新しい研究によると、一度経験した(読んだ、した、訪れた)ことをもう一度経験することを自動的に選択肢から排除してしまうのは間違いかもしれないという。この研究の著者であり、シカゴ大学ブース校の行動科学教授エド・オブライエンは、何かを繰り返すことは「考えられているほど単調なことではない」と述べている。
オブライエンと彼の研究チームは、シカゴ科学産業博物館に遺伝子についての展示を見に来た人たちに話を聞き、この展示をどのくらい楽しんだか、そしてもう一度来ることがあればどの程度楽しめると思うかを尋ねた。多くの人が二度目に来たときは一回目ほどは楽しめないと予想する傾向がある一方で、研究チームの要請で二回目に訪れた人たちは最初のときと同じくらい楽しいと評価していた。別な言い方をすると、博物館を訪れる人達は全体として、同じことを二度することについて過小評価していることになる。
この研究でオブライエンが明らかにしようとしている、見慣れたものには期待していたよりも満足感がある理由について博物館は扱いやすい事例だ。論文の中でオブライエンは、博物館のケースで起こった一度来た場所に関する満足感の過小評価は、最初の訪問では博物館の展示が手に余ると感じていた人が、二度目には扱いきれるようになったことから来ているのではないかと書いている。あるいは、一度目のときには何かを見落としていた人もいたのかもしれない。オブライエンはこの後者の考えを支持する根拠を見つけている。人は既に十分経験したと考えているものに潜在している目新しさを過小評価するのである。
別な実験では、オブライエンのチームは実験の参加者たちにネットフリックスで今まで見たことがなくて、楽しめそうに見える映画を選んで見てもらった。そのうちの一部の人にはその次の日の夜に同じ映画を再度見てもらった。二晩目に映画を見ていないグループの人たちは、この映画をもう一度見た場合に楽しめそうな程度を7点満点で約3.5点と評価し、一度目についての5.3点より低く評価した。しかし、二度映画を見たグループは、二度目の鑑賞を4.5点と評価している。
これらの差異はオブライエンの発見をよく表している。初めてある映画を見て、24時間以内に同じその映画をもう一度見た場合には最初の時と同じくらい楽めるというわけではない、それはおそらくそうだろう。しかし、考えていたよりは楽しめる可能性が高い。
一般的に心理学と行動経済学の研究によると、人は何か楽しみを求めて決断するときには、慣れ親しんでいない経験(新しい本を読む、見ていない映画を見る、行ったことのない場所に旅行にいく)を優先的に採用することが多い。そうすることは間違いではなく、人間は一般的に慣れ親しんでしまったものは楽しめなくなるものだ。オブライエンは「人が目新しいものを選択しようとするのは、新しいものに特別に良いものを期待しているからではなく、古いものに単調さを感じるからではないだろうか」と書いている。そしてときにはその単調さが過度に強調されているようである。
この意味で未知の期待感が時に現実から逸脱することがあることを知っておくと、余暇の過ごし方について決めるのに役立つかもしれない。オブライエンはメールで「この発見の最大の価値は、人が繰り返しの選択肢よりも新しい選択肢を優先しがちである理由を多くの人に知ってもらうことです」と書いてくれた。このことで時間が節約され、人を幸せにすることがあるかもしれない。「『この近所で最高のタコス』を探すために1時間もGoogleで探し回るよりも、昨日も行った美味しいタコス屋さんに行って新しいメニューを試してみることの価値を検討することに役立つのではないでしょうか」と彼は書いている。
オブライエンはこの調査を行ったことで、彼自身の日常的な決断についての方法論に変化があったと話している。「多少リラックスしたいと思うとき、私は(おそらく何か良さそうな)新しいものを探すことに時間の半分を浪費するよりも、自分が好んでいることが既にわかっている何かと時間を過ごそうと考えることが多くなりました」。
その経験の種類によっては、この考え方はよりよく当てはまるかもしれない。オブライエンが論文に記しているように「ペンキが乾くのを見ていても新しい色が現れるわけではない」。例えば、複雑さが関係しているかもしれない。本や広大な博物館のような「一回の経験では処理しきれない情報を内包したもの」は繰り返しの経験が良いものになる可能性が高い(ストーリーに捻りが加えられた小説を再読して全ての手がかりを解明することは楽しいことのはずだ)。
小さな子どもたちはこの考え方を採用している。彼らの多くは、喜んで同じ映画を見て、同じ本を読み、同じコマーシャルソングを無限に歌い続ける。「小さな子どもたちは、大人に備わっている複雑化する情報環境を処理するのに役立つように設計された能力がまだ発達していないのかもしれない」とオブライエンは論文の中で推測している。子どもたちは目新しいものの価値を正確に評価する方法をまだ持っていないのかもしれない。あるいは、彼らは慣れ親しんだものの価値を正確に評価していて、繰り返しが停滞と単調さを象徴していると考えるほど社会化されていないというだけのことかもしれない。
おそらく子どもたちは完全な正確性を持っていないのだろう。子どもたちは50回目に「アナと雪の女王」を見たときでも、1回目と同じかそれ以上に楽しむことができるが、両親は同じようには感じない。しかし、子どもたちの行動の中には学ぶべき知恵が示唆されているかもしれない。現在の文化的背景は、私たちが目新しいものの魅力に抵抗することを困難にしている。高品質のTV番組は消費される可能性よりも速いペースで制作されている(映画、本、その他のエンターテイメント製品も同様である)。Googleによって、そのほぼ全ての中から最良のもののリストを簡単に見つけることができ、ソーシャルメディアでは自分がまだ試していない素晴らしいものを友人たちが経験している一例を示してくれる。この状況は人々を圧倒するものであり、多くの人に「一度きり」のメンタリティを植え付けている可能性がある。オブライエンが論文の中で指摘する「認知的な負荷を軽減するための歓迎すべき適応」は、私たちが次の目新しいものに進むのを正当化するものになっている。しかし、人が先に進むことを選択した時、既に目の前にあるものについて過小評価している可能性がある。
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