2019年10月3日木曜日

Twitter依存とその理由


私たちがハマってしまう理由と、その習慣を打破するにはどうしたら良いのか


Psychology Today
Judson Brewer
Feb 06, 2019

Twitterの流れに逆らうのは難しい。止まらないツイートの流れの中を泳いでいて息継ぎしようと思って一番上に戻ると、そこにはまた新たな波が押し寄せていて流れの中に引き戻されてしまう。沈んでしまわないようにするために私たちは、更新して、スワイプして、クリックして、ツイートして、リツイートして、更新して、という作業を延々と続けることになる。

Twitterが掲げる使命は「全ての人が邪魔されること無くアイディアや情報を即座に創造して共有できる力を与える」というものだ。

私たちが何か良いことを考えつけば、すぐにそれを共有することができる、何にも邪魔されることはない。私たちが何かニュース性のあるものを目撃した時には、私たちはそのことをすぐに世界に向けて発信できる。そして、私たちは時々宝くじに当たるようなことがあり、とある自分のツイートがバイラルになって世界中に広く拡散されたり、あるいは有名人に対したツイートに、その有名人が返答してくれることがある。こんな形で私たちはTwitterを頻繁にチェックすることに躍起になっている。夜中の3時に寝ている時ですらも。


Twitterは如何にして私たちの脳をハックしているのか


心理学的な視点で見ると、Twitterは報酬を基礎とした私たちにとって自然な学習プロセスを利用している。きっかけ、行動、報酬、が基本になっている(これについては私のTED talkをどうぞ)。私たちが何か面白いことを思いつく(きっかけ)、それをツイートする(行動)、「良いね」や「リツイート」を受ける(報酬)。この学習プロセスは脳の中心で報酬を司る側坐核にドーパミンの分泌を起こす。

これを繰り返せば繰り返すほどこの活動は強化されてゆく。私たちの脳は現在、生き残るために食べ物がどこにあるのかを記憶するために進化してきたプロセスに基づいて、生き残るための新しい習慣を学んでいる。フォロワーの数やツイートのインプレッションの「関連性」を数字として追跡することすらしている。


Twitterの暗黒面


Twitterの有害な側面も同じ構造から生み出されている。私たちが誰かのツイートに怒りを感じた場合、私たちの脳は「何かをしろ」と叫びだす。そして私たちは、そのツイートした人に@を付けて怒りに満ちたツイートをすることになる。これも基礎的な学習プロセスだが報酬は2つの形で現れる。(1)自己正義の証明:「よし、言ってやったぜ!」、(2)賛同:「よく言った!」という意味で誰かが「良いね」や「リツイート」をしてくれる。この場合も同様に脳の報酬系にドーパミンが分泌される。

だが、それだけではない。多くのフォロワーを持っていて(フォロワーは価値観や世界観を共有している場合が多い)、そして特定の人物を攻撃の標的にしたい場合、その人に悪意のあるツイートをしてフォロワーを巻き込んで熱狂的な「トロール」攻撃を行い、標的になった人物を壊滅させることができる。この方法で数えきれない人数の人々がソーシャルメディア(Twitterだけではない)で攻撃を受けている。

私たちはTwitterのこの負の側面について、真剣に次のように問いかける必要がある。人間としてなぜそこまで憎しみに満ちたもので「報酬」を得ることができるのだろう? そして、私たち本当にそれを好んでいるのだろうか?


社会の背後にある科学


この質問を科学的な観点から見ると、報酬を基礎とした学習というのは学習プロセスの中で最も古典的なものであることがわかっている。わずか20,000個の脳細胞しか持たない(人間は大凡86,000,000,000個である)ウミウシでも私たちと同じ学習プロセスを経験し、同じ様に正と負を強化する繰り返しが機能している。しかし、ソーシャルメディアではこのプロセスに重要な部分が欠けている(若しくは無視しやすくできている)。欠けているのは、負のフィードバック(反応)である。

私たちは、正と負のフィードバックを通して最善を学ぶ。フィードバックによって私たちは正しい道を維持できる。重要なのは、こうしたフィードバックの多くは必ずしも言語化されたものではないということだ。どれだけのことを言語以外から学んでいるかについては議論の余地がある。古い研究結果では言葉は対話の要素の7%に過ぎないとも言われる。

私たちは人と面と向かう時、自分の行動に対する相手の反応を相手の身振り手振りと声のトーンで確認する。そして、このフィードバックはとても明快であり、私たちは相手を傷つけてしまったかどうかすぐにわかる。これは非常に重要なことだ。倫理に関する実験によると、私たちは個人的に関与していると感じている場合と、知らない人に「何処かで」何かをする、あるいは自分の行動が誰かにどう影響するか見ることができない場合とでは異なる行動をとることが繰り返し示されている。

簡単に言えば、やった後に気分が悪くなることはしなくなるということだ。アブラハム・リンカーンはそれを次のように言っている。「良いことをすれば良い気分になる、悪いことをすれば悪い気分になる。それが私の信条だ」

私たちはこの信条を失ってしまったのだろうか? あるいはソーシャルメディアが私たちのフィードバックの循環を歪ませてしまったのだろうか?

ソーシャルメディア上では、私たちは自分の行動に対する反応を即座に確認することはできない。それ故にそのフィードバックは自分たち自身からのもの(そしておそらくは煽り立てるようなもの)だけということになる。私たちは自分でしたツイートを頭の中で反芻し、溢れ出るドーパミンで自己強化する良い感触を得ながら行動を正当化して合理的なものだと思い込む。そして、この歪んだフィードバックのサイクルによって私たちは人を傷つけることと喜びを関連付けることを学んでしまった。


サイクルを打破するために


では、私たちが怒りのツイートに攻撃を仕掛けていたり、誰かが自分たちについてツイートした何かが頭から離れないことに自分で気づいた時はどうすれば良いのだろう? プロセスを理解するができれば戦いの半分は終わる。私たちの脳がどのように機能しているかを知ることは、私たちが育ててしまった習慣を特定することに役立ち、それが悪循環から抜け出す助けになるはずだ。

マインドフルネス(瞑想)のような意識向上の訓練を実践することも、自分の行動の結果に注意を向けるようになる助けになる。自分のツイートの対角にいる人の立場にたって考えることだ。私だったらこのツイートをどう受け止めるだろう? それは私にどんな感じを与えるだろう?

このことでTwitterに内在するフィードバックの欠如を補うことができる。自分の「素晴らしいTwitterアカウント」を解放するという一見制御不能な衝動を感じてしまった時に、それを増幅させない空間を開けておくことができるようになる。そしてこのことは報酬の動作を替える可能性もある。独善的に自己正義を実現させるのではなく、我慢することがどのようなものか気づくことになる。実際他人に対して良く当たることは過大評価されてはいない。それは実際に素晴らしい感触を得られるものなのだ。

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