"French whiteness is in crisis"— Al Jazeera English (@AJEnglish) October 10, 2019
One day, French society is going to run out of excuses to avoid having a real discussion about race https://t.co/q91dITz4J1 — writes Rokhaya Diallo for #AJOpinion pic.twitter.com/3J5S5mHNEq
リリアン・テュラムの白人至上主義に関する当たり前の分析がフランスで物議の嵐を起こした理由。
Al Jazeera
Rokhaya Diallo
10 Oct 2019
先月末、フランスの極右マリオン・マレシャルがフランスで最も保守的な論客をパリに集めてカンファレンスを開催した。国民連合の党首マリーヌ・ル・ペンの姪に当たる29才のマリオンは、数百人の参加者の前で熱狂的な演説を行い、フランス人が「祖先の地で少数派になってしまう」危険性を主張し、大量移民による「イスラム化」によって、彼女が言うところの「大置換(great replacement)」が起こる可能性から欧州の白人文化を守るための支持を求めた。
右翼系ジャーナリストで人種差別扇動で二度有罪になっているエリック・ゼムールは、このイベントで基調講演を行った。彼は、この暴力的な講演でフランスの白人が直面していると考えられる別な脅威について言及していた。それは白人の異性愛者が戦争に巻き込まれているというものだ。この講演は直ぐにフランス語圏の極右界隈で急速に広まった。この公演でゼムールは、何の皮肉も仄めかさずに、イスラム教徒、フェミニスト、LGBTQ活動家、その他マイノリティを支持するグループは「異性愛者の白人を根絶する」ための壮大な陰謀の一部であると主張した。
マレシャルやゼムールの言葉を人種差別主義者を奮い立たせるために作られた根拠のない戯言だと切り捨てるのは簡単だが、彼らの言葉は実際にフランス人の集団的な想像力に深く根ざした恐怖を反映したものでもある。この恐怖は、先月フランスの黒人の国民的象徴が世界中の人にとって明らかなことを敢えて口にしたことで更に顕著になった。彼は、フランスからイタリアまで、一般的にヨーロッパで人種差別は白人文化の一部であると述べたのだった。
逆人種差別の茶番
9月4日、黒人のベルギー人ストライカー、ロメル・ルカクがサルディーニャで開催されたインテル・ミラノ対カリアリの試合で観客から差別的なモンキー・チャントを受けた直後に、元フランス代表のサッカー選手リリアン・テュラムはイタリアのスポーツ紙コリエレ・デッロ・スポルトのインタビューに応え、白人至上主義の文化は近年のヨーロッパサッカー界を荒廃させてきた人種差別的な事件の根本的な原因になっていると述べた。
サッカーフランス代表の歴史の中で最も多くの出場回数を記録する選手であるテュラムは、サッカー界が人種差別的であるという意味ではないが、「イタリア人、フランス人、ヨーロッパ人、そしてより一般的に白人文化」としてそうであることを述べた。
「白人たちは自分たちが黒人たちよりも優れていて、黒人たちに対してなんでもできるのだと結論づけたのです」と彼は言う。「残念ながらこれは何世紀にも渡って続けられてきたことであり、文化を変えるのは容易なことではありません」
テュラムの事もなげな分析はフランス全土で物議の嵐を巻き起こした。人種差別は白人文化の一部であるという彼の主張にまず反応したのは極右系の思想を持つ一般層だった。彼らは怒りをソーシャルメディアにぶち撒けて、称賛される反人種差別活動家であるテュラムに対し、彼こそが人種差別主義者なのだと非難した。
その後この論争は主要メディアで展開され、政治的に様々な立場の人からテュラムがおそらく人種として総じて「白人」という言葉を使用したことについて、そして彼の「反白人人種差別」について競い合って非難を始めた。保守系雑誌 Valeurs Actuelles の「反白人の人種差別主義者たち」という表題の記事にテュラムの顔が掲載されたりもした。
突如としてサッカー界に於ける人種差別というのが、フランスの著名な社会及び政治に関する批評家たちの最優先の議題になった。だが、誰も黒人選手たちが人種差別的なチャントを受けたり、バナナを投げつけられたりすることには触れようとしなかった。そして誰も、肌の色のために彼らがソーシャルメディアで晒されている言葉による暴力と煽り行為について触れようとはしなかった。その代わりに、フランスでは国家を挙げて、黒人一般そして特に反人種差別活動家の黒人によって白人が受ける苦しみについて話を続けていた。
白人の人々の中には、白人こそがサッカー界に於ける人種差別の真の被害者であると主張する人すらいた。例えば、著名なサッカー評論家でTV司会者のピエール・メネスはスポーツ界の最大の問題は反白人の人種差別であると信じていると公然と主張したのだった。
メネスはテレビで放送された議論の中で、サッカー界の反白人の人種差別の存在に疑問を呈する人はみんなパリ近辺で試合を見に行くべきだと主張した。「試合を見に行ってフィールド上の白人の数を数えてみろ」と彼は言い、「通常ゴールキーパーと右サイドバックだけが白人だ」と続けた。メネスは彼自身でサッカーの「才能はない」と認める自分の息子にサッカーをやらせようとしたが、黒人選手たちから差別されたために、止めざるを得なくなったと付け加えた。
メネスの議論は珍奇なもので、結局大量の反発を受け、誤解を与えてしまったことについて Twitter で謝罪をすることになった。しかしながら、こうしたものは明らかにフランスの白人主義の脆弱さを反映している。
フランスに於ける白人の脆弱さ
フランスでは人種についての話題は禁忌であり、「色盲国家」を標榜している。したがって、フランスの白人の大部分は人種や人種差別について率直な会話をすることに慣れていない。彼らはこの話題について話すことを迫られると、黒人が敢えてフランスその他の白人至上主義の蔓延について言及することによって自分たちが傷ついているという話に巧みに転じようとする。
彼らは「色は見ない」ことを強調し、「あらゆる形の差別に反対する」と述べ、「人種を手札として利用している」として有色人種たちを非難しようとする。彼らは「白人」であることが「アイデンティティ」ではなく「標準」であると信じ込んでいるために、白人至上主義が自国の社会構造の中心にあることが見えていない。それ故に、テュラムに向けられたような、白人に対する人種差別のような主張は対処として現れただけのものだ。自分たちの特権と、白人至上主義に基づいて構築されたシステムの中で耐えている人の役割を認めることを拒否する人たちは、そうする代わりに自分が被害者なのだと主張しようとする。
もちろん、白人に対する人種差別のようなものは存在しない。人種差別というのは孤立した行動の集積ではあり得ないが故に、フランスのように白人が多数を占める国家で白人に対する人種差別というのは存在し得ないのだ。今日のフランスで黒人たちが経験していることは、奴隷制度と植民地主義に端を発する支配の歴史の結果である。フランスの黒人たちは、遠い昔に作られた黒人たちを抑圧し、黙らせ、脅迫するためのシステムの中に存在している。黒人たちは医療、教育、住宅、警察による暴力行為など、様々な形で自分たちの日常生活に影響を与える制度的な差別を経験している。
このシステム内に於いても、白人がヘイトに晒される可能性はもちろんあるし、イジメや暴行を受けることすらある。そうした行為は非難されるべきことだ。だが、白人はそのことを人種を理由にした機構的な抑圧であると主張することはできない。フランスに於いて白人であることは社会的にも政治的にもハンデキャップではなく特権である。だから、フランスに於けるマイノリティに対してのシステム的かつ機構的な人種差別を白人の個人が経験した差別や虐待と同じ文脈で比較することはできない。
今日、フランスの白人主義は危機の中にある。この危機はフランスのマイノリティがついに主流メディアに懸念や不満の声を上げることができる地位を確保しつつあること、そして彼らは人種について誠実で率直な対話をするように国家に圧力をかけていることによる。
マレシャルやゼムールが語る「反白人人種差別(anti-white racism)」や「白人の戦争(the war on white people)」と言った有害な思想は、今や様々な政治的立場の人に広がりを見せている。彼らはこの問題で自分たちの特権そのものと、社会における彼らの支配的な立場は何世紀も昔の不正義の結果であることに向き合わされることを怖れている。彼らは「白人」であることが「褐色人」や「黒人」と同じアイデンティティであり、全ての「他」とは異なる普遍的な「自己」ではないと受け入れることを怖れている。
リリアン・テュラムが標的にされたのは、彼が間違ったことや新しいことを主張したためではないが、彼は敏感なところに触れてしまった。私は近い将来、さらに多くの反人種差別活動家が同じように怒りの矛先を向けられることになるのではないかと考えている。しかし、いつの日かフランス社会は人種についての本質的な議論を避けるための言い訳を使い果たす時が来る。私たちは反白人人種差別のようなでっち上げられた問題について話すのは止めて、この国を分断させ不自由にしている真の問題に取り組まなければならない。現在、人種と白人至上主義に関する些細なコメントがいちいちパニックに繋がっていることは、私はその審判の日が近づいているからだと信じている。
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