2019年3月18日月曜日

人を欲深くする脳内の化学物質


ドーパミンが単なる快楽の物質だと言われるのはよくある誤解である。


TONIC
Shayla Love
Aug 14 2018

神経科学者のヴォーン・ベルはドーパミンを「神経伝達物質界のキム・カーダシアン」と呼んだ。他の内気なグルタミン酸やγアミノ酪酸(GABA)の中にあってドーパミンはスキャンダラスなセレブリティのように見える、と言いたかったのだろう。行動神経科学者ベサニー・ブルックシャーはドーパミンを「全ての不道徳な行いや秘めた欲求の背後にある物質」だと表現している

もちろん、ベルとブルックシャーの真意はドーパミンについてよく言われる表現が単純すぎるということである。神経伝達物質は脳内の神経細胞がお互いに通信するために使われ、ドーパミンはドラッグやセックスへの依存を引き起こす以外にも脳内で多くの機能を持っている。基礎的な運動神経の手助けもしている(脳内の特定の場所で脳細胞がドーパミンを失うとパーキンソン病を発症する)し、母乳生成の抑制にも関係している。ドーパミンが神経伝達物質界のキム・Kだったとしても、脳内が真空では機能しない。それは行動を生み出す複雑なネットワークであり、ドーパミンの存在は他のプロセスと常に混同されている。

ドーパミンが引き起こす状態を理解することによって、私たちに沸き起こる衝動と私たちが感覚を経験する方法について学ぶことができる。

ジョージ・ワシントン大学の精神医学の教授で行動科学者のダニエル・Z・リーバーマンとジョージタウン大学の教授でスピーチライターであるマイケル・E・ロングは「The Molecule of More(”もっと”の分子)」という本を出版した。2人にドーパミンが支配している日常生活の中の出来事について解説してもらった。

ロングとリーバーマンはドーパミンの機能についての定義を改めたいと考えている。ドーパミンは単純に快楽を与えるもの(よくある誤解)というよりも、常にもっと欲しがる化学物質と理解したほうがより正確だ。2人の著者によれば、私たちはモノに執着するがそれを手に入れると興味を失う、情熱的な関係も結局は生ぬるいものになってしまう、その理由にドーパミンが関係しているという。

ドーパミンの概念を単なる快楽から欲求の考えへと拡張することについて、そして、創造性、精神疾患、仕事中毒、そしてFacebookのような関係なさそうに見えるものにどう利用されているのか、2人に話を聞いた。

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ドーパミンは私たちに快楽を感じさせてくれるものとして語られることが多いものです。ですが、この本ではそれは正しくないと書かれています。なぜ私たちはドーパミンについてそう考えているのでしょう、そしてドーパミンが脳内で活動する瞬間をよりよく理解するにはどうすれば良いでしょうか?

マイケル・E・ロング(ML):ドーパミンに注目して行われた初期段階の実験で、何か喜ばしいことが起こっている時にドーパミンが急増することが発見されました。それですぐさま、それがドーパミンの役割であり、快楽の物質だということになったのです。しかし、実験を繰り返した後に面白いことが起きました。ドーパミンの値は下がり始め、消え始めたのです。ラットやサルに与えた食べ物がどれだけ美味しいものでも、その日にテストしていたものが何であれドーパミンは減少したのです。ドーパミンが跳ね上がるのは何か新しいことをする場合であることが明らかになったのです。何か新鮮で珍しいことをする機会にです。一度それに慣れてしまうとドーパミンは消え始めます。ですから、最初は確かに快楽に関係した何かとして始まったわけですが、実際には何か新しくて斬新で役に立つ可能性のあるものに関係していたのです。

ダニエル・Z・リーバーマン(DL):このことを理解するのは重要なことです。人は何か快楽を与えてくれる新しいことをしようとします、それを繰り返していると快楽が薄れていくことに驚きます。そしてそれを取り戻そうとして更に続けようとします。実際に快楽を与えていたのは目新しさと新しい経験であったというのは重要です。もし同じ快楽を再度得ようと思うなら、同じ古いものをただ続けているだけでは上手くいきません。

ML:最初のデートの前にどんな感覚だったか考えてみると良いでしょう。期待してわくわくしていた感覚は2回目、3回目、4回目となるうちに消えていきます。最初の興奮を再び感じるのはどんな時でしょう?別な人との最初のデートの時です。物事の善し悪しとは関係なく新しさがドーパミンの急増を引き起こします。それに関連して全く異なる感覚が起こるのです。

DL:別な例としてショッピングがあります。何かを手に入れるまで、私たちはそれについてあらゆる種類の空想をしてあらゆる種類の素晴らしい期待を持っています。私たちはこれこそが人生を変え、長期間の幸福を与えてくれるものだという考えに至ります。そして購入して現実になるとそれは考えていたような人生を変えるようなものではないのです。これは、何かを期待して欲求している時には素晴らしい気分にさせてくれるドーパミンが増えているからです。そしてそれを手に入れてしまうともはや期待ではなくなります。それは現実であり、ドーパミンは消えていきます。もちろん、私たちの本能は「もうちょっと買い物をする必要がある、そうすれば問題は解決される」となります。


なるほど。ですが、新しいものや斬新なものがなくても快楽を感じることはあります。こうした快楽とドーパミンによって経験する快楽とでは何が違うのでしょう?

DL:脳は大きく異なる2つの種類の情報を処理する上で分けられています。1つは現在起きていることであり、それは主として感覚的なものです。聞くこと、匂いを嗅ぐこと、味わうこと、触ること、そして情緒的なことも含めて実際に起こっているに関わることです。もう1つは将来に起こることです。これは可能性になります。これはまだ存在していないものについての抽象概念です。ドーパミンが引き起こす快楽に導くのはこの未来の抽象的な可能性の方です。これは私たちを興奮させ、熱狂させて活気を与えてくれます。ですが、あなたが仰った別な快楽というのは「今ここ」の快楽です。現実にそこにある何かを享受する快楽です。私たちはこれについて幸福、歓喜、満足、あるいは至福などと表現します。これは全く異なる種類の経験であり、より経験する機会が少ないものです。何かを持って満足して至福を感じることよりも、何かに欲求を感じて興奮する方がずっと簡単なのです。

ML:これは期待(anticipation)と評価(appreciation)の違いです。クリスマスを楽しみにしていることと既に手におもちゃを持っていることとの違いです。「今ここ」とそれを調整する化学物質は感覚的な経験に関するものです。ドーパミンはあるかもしれないものに関係しています。


ドーパミン作動性の人格(dopaminergic personality)というのはどういうものなのでしょうか?出会った時に「うわっ、この人たちは本当にドーパミン作動性の衝動によって動かされているな」と思うような人を説明して下さい。

DL:ドーパミン作動性の人格にもいくつか種類がありますが、共通しているのは絶え間なく未来に焦点を合わせていて、現在のものを享受して評価することを排除する傾向があることでしょうか。種類を3つに分類するなら次のようになります。

1つ目は常により多くの快楽を追い求めている快楽主義者(ヘドニスト)です。彼らはより多くの食べ物、より多くのドラッグ、より多くの性的なパートナーを求めます。この種の人たちは満足することがありません。おそらく高価なレストランの食事を楽しみにはしますが、そこに行くとすぐに、そして食べ物が出されるとすぐに、食事の後に行きたいクラブについて考えているのです。

2つ目は他のことが目に入らない仕事中毒の人です。彼らはリラックスすることができず、労働の成果を享受することもできません。常に野望のハシゴの次の段に登って次の段階を成し遂げようと試みています。彼らは何か良いもののために一生懸命働いているわけですが、立ち止まってそれを楽しむようなことは決してありません。

3つ目はアーティストやその他の創造性があるタイプの人で現実の世界について本当に興味を持っていない人です。この人たちは自分の頭の中にあるアイディアについてだけ情熱を注ぎ、そのアイディアを表に出して現実にしようとするのです。彼らは世界を変えたいという考えを持っているので、シャワーを浴びて靴下を履いて、というような日常の世界には全く興味を持たないのです。

社会的なレベルで洗練された対話の能力というのは、「今ここ」に関する化学物質によって仲介されています。誰かの頭の中で起こっていることを共感して理解するためには、現在の瞬間を捉えなければなりません。ドーパミン作動性の個性を持った人はドーパミンに偏っていて「ここ」と「今」に対して弱いのです。こうした人々は社会的な交流が苦手であることが知られています。特に仕事中毒の人や芸術家は付き合いにくく、駄々っ子のようだとよく言われます。

ML:こうした人たちが共通しているのは、感覚的な経験ではない抽象的なものや手にしていないものについて幸せに対応しているということです。例えば、「個々の人々」よりも「人間性」についてずっとよく考えることができます。実践よりも理論に興味があるのです。


ドーパミンと欲求との関係とは何でしょう?ドーパミンは抽象的にものを求めるようにさせます、これは何かを欲求することと何かを好むことの間には違いがあるということでしょうか?ドーパミンはどちらかには影響を与えるがどちらかにはそうではないということでしょうか?

ML:求めることと好むことの違いとは期待と経験の違いです。例えば、ドーナッツを凄く欲しているが、体重を気にしているので本当はドーナッツを食べたくないという場合があります。それでもドーナッツを食べれば味を楽しむかもしませんが、それはドーナッツに期待している感覚とは異なるものです。

DL:私たちの脳はドーパミンと「今ここ」の化学物質とを統合できた時に最もよく働くのですが、問題はそれらがお互いに抑制し合う傾向があることです。それゆえに、片方が活動的な時はもう片方は多かれ少なかれ休息状態にあります。だからこそ私たちは現実を引き込んでいわば花の香を実際に嗅ぐために特別な努力をする必要があるのです。

素晴らしいディナーの前に座った時は、その後の予定のことは考えないようにします。その時食べているものの味、匂い、造形、そうしたものを楽しむためにその瞬間に集中するようにします。もし仕事がどうなっているのかや家で子供の面倒を見る必要があること、あるいは友人のことなどを考えていると眼の前の現実の知覚的な経験を楽しむことができなくなります。

このことは別な意味でも通用します。良い友達と楽しい会話をしていて、あなたがその瞬間に集中していれば、将来についての懸念や心配事は溶けてしまいます。これは、良さ、幸福、満足を感じさせる「今ここ」の化学物質がドーパミンを抑えているからです。


欲望の話になりましたが、性的にオーガズムを感じた時にドーパミンには何が起こっているのでしょう?これは「期待」と「今ここ」のどちらかに関わるものでしょうか?

DL:性的な経験は段階がいくつかに別れています。最初の段階は性的興奮で、これは高いレベルのドーパミン活性によって特徴づけられるもので、将来の期待を見据えた状態です。次に起こることに興奮しているわけです。一方でオーガズムというのは非常に「今ここ」的なものです。時に人がオーガズムに関して問題を抱える場合があるのは、コントロールが困難で「この状況をコントロールしていることを確実にするために私は何をしているのでしょう?」とは言えないからです。オーガズムが起こった時には、人間関係に親密さを感じさせるオキシトシン、脳内のモルヒネにあたるエンドルフィン、脳内のマリファナとも言うべきエンドカンナビノイド、これらが極限まで活性化されてドーパミンを抑えます。そのため意識的な思考の感覚は遮断され、全てを超越した状態になります。


今お話されたのは脳内に自然に備わっているドラッグ(薬物)のようなものですね。それでは実際のドラッグは脳内でドーパミンの活動にどういう影響を与えるでしょうか?ドーパミンが体にどう作用するかを理解すれば中毒性のあるドラッグの作用も理解することができるでしょうか?

DL:オピオイドやマリファナのような薬物は両方のシステムを刺激します、ドーパミンと「今ここ」に使われる化学物質の両方です。ですが、依存症の観点から見ると私たちはドーパミンの回路に焦点を合わせる必要があります。先程、目新しくなくなったものに対してはドーパミン活性が消えるという話をしました。ドラッグはこれを回避するのです。

ドーパミンシステムが存在する本質的な目的の1つは私たちを生き残らせることです。新しいものに対してのみ活性化するのは、主な目的が将来的な資源を最大化することにあるからです。今私が食べ慣れている食べ物というのは、進化論的な視点からするとあまり面白いものではありません。面白いのはまだ見ぬ食べ物です。それに挑戦する時にモチベーションとエネルギーを与えてくれるのがドーパミンなのです。

薬物の乱用によって人工的にドーパミンシステムが刺激されると、ドーパミンは薬物がその人が進化して生き残るために最も重要なものであるというメッセージを送ります。食べ物よりも重要で、競争に勝つことよりも、生殖に必要なパートナーよりも重要ということになります。だからこそ、私たちが依存症の観点から本に書いたように、薬物を使用するというのは、本人が自分の人生を破壊していることは明らかなのですが、内側から見ると合理的なことをしているのです。それは私が平日に映画を見に行かずに仕事に行こうと決断するのと同じくらい合理的です。仕事に行くことは私の将来的な身の安全を最大にすることになるからです。薬物は脳を騙して食べ物、セックス、仕事、その他の何よりも強い刺激でドーパミンを急増させます。「あなたの未来の安全と成功のためにはこの薬物が他の何よりも重要」という誤ったメッセージを送っているのです。

ML:原始的な人間にとって重要な点は生き残ることですから、これは完全に理に適っています。なので、脳内で自然にドーパミンが機能すれば人間が持っている中で、最も優秀で、最も魅力的で、最も刺激的な感覚を与えてくれます。事実上どうしようもなく強いものになる場合もあるでしょう。仮にこれを薬物乱用で歪めてしまえば薬物が生存に必要不可欠なものになってしまいます。これが私が伝えたいことです。


既に薬物中毒になってしまっている人を助けるために、現在わかっているドーパミンシステムについての知識を活かす方法はあるでしょうか?認知行動療法(CBT)は薬を使うわけではありませんし、ドーパミンシステムや神経回路を直接操作するわけでもありません。どのように深い中毒に陥っている人を助けることができるのでしょうか?

DL:脳内には2種類の別なドーパミンシステムがあります。1つは短期的なもの、そしてもう1つは長期的な未来を見据えものです。この短期回路の方を私たちは欲望ドーパミン回路と呼んでいます。これによって人は物を欲するようになります。即座に満足を感じ、短期的な快楽を求めるようにするものです。そしてこれは人を衝動的に行動させます。当然ながら、薬物はこの回路を真似しようとします。

しかし、この欲望回路をある程度制御できる別な回路が存在します、それをドーパミン制御回路と呼びます。これはより遠い将来を見据えています。「次の30秒でどんな快楽を与えてくれるの?」とは言いません。「今後10年で私の人生を良くするものは何だろう?」と言うのです。

中毒患者にとって最も難しいのは渇望に対処することです。私たちはみんな渇望がどれだけ大変なことか知ることができます。ダイエット中の時に職場の誰かがケーキを持ってきてくれた時、あるいは、朝早く運動するために起きようと思って、目覚ましが鳴った時にスヌーズボタンを押したくなる気持ち。こうしたものは私たちが意志で選択する能力を完全に奪うわけではありませんが、確実に妨げにはなります。長期的なドーパミン制御回路によって可能なことは、これは人を強くするというよりは賢くすることに役立つのです。この場合の最終的な目標としては、意志の力で渇望の感覚に抗うことです。意志の力は筋肉のようなもので、疲労すれば道を譲ってしまいます。私たちは賢くなりたいわけです、戦略的にならないといけません。

CBTで私たちは、薬を思い出させるものは全て家から出してもらうように言います。思い出すものは何でも渇望のきっかけになるからです。制御回路を使って欲望回路ができる範囲よりも少し遠い未来を見るようにして、自分の環境をコントロールして渇望が起こらないようにできる限りのことをしています。


脳内のドーパミンについて、欲望と制御がどうして同時に可能なのでしょう?これらは反対のことのように思えます。

ML:その背後には共通性があるのです。欲望でも制御でもドーパミンは抽象性に関わっていることを思い出してください。制御というのは計算や数値に関する考えを助けるもので、欲望というのは私たちがしたいもの、欲しがるものです。どちらもペリパーソナルスペース(身体近傍空間)には存在しないものに焦点を当てています。これらは想像上のものか、私たちからは距離があるものです。ですから、私たちが自分が持っていないものを欲しがるという話でも、持っていない何かを操作するという話でも、私たちは抽象的な考えについて話していることに変わりはありません。状況に応じて、片方が少し実用的になるのです。

DL:マイクが言ったように、将来的な資源を最大化することに共通性があって、そこに至るまでに異なる方法を採っているということになります。ドーパミンをロケットの燃料だと考えてみると、エンジンが燃料を使ってロケットを前進させますし、同じようにエンジンでロケットの向きを変えることができますし、速度を緩めることもできます。これは非常に洗練されたシステムでアクセルもブレーキも備えているのです。ちょうど車のアクセルやブレーキと同じように極めて高い精度で制御することができます。ドーパミンは洗練されたものです、しかし、常に1つのことに集中しています。将来の資源を最大化するには現在の瞬間を楽しむことを犠牲にすることになります。


お二人の本を読んで「これは私のことだ」と思う人に何かメッセージをお願いします。ドーパミンと「今ここ」の分子を利用するバランスを取るにはどうしたら良いでしょうか?

DL:自分を変える方法についてお話する前に、まず自身を受け入れることが重要だということを言うべきでしょう。「今ここ」で上手くやっていける人というのは幸福で満足していて、多くの友人を持っている傾向があります。彼らにとっては生活に満足することは簡単なことなのです。一方でドーパミン側に寄っている人たちはこの本のタイトル(「The Molecule of More」)のように継続的に何かをもっと欲しています。彼らは強い向上心を持っている傾向もあります。アーティストというのは物凄くドーパミン側に寄っている人でしょう。優秀な法律家、数学者、科学者、作家たちは非常に良質な抽象概念を持っています。彼らは社会を前進させている人たちです。彼らは何か素晴らしいものを発見していますが、それでも満足しない傾向があります。

私たち自身もドーパミン作動型の人間だと認識しなければならないでしょう。私たちは大志を持っていますし、偉大なことを成し遂げる能力もあります。そして決して満足しないので、大志を抱かない友人たちよりも幸せではないことを受け入れなければならないでしょう。ですから、最初にするべきことは私たちは全てを持つことはできないのだと受け入れることです。私たちは社会にとって非常に良い存在です。私たちは文化やテクノロジーの世界に新しく素晴らしいものを提供します。私たちは私たち自身にとってよりも社会にとって良い存在なのです。人間には色んな人がいるということです。

そうは言っても、私たちがもう少し「今ここ」について何かを成し遂げたいと思うなら、今現在起こっている経験に注意を向ける過程であるマインドフルネスは有用なものです。マインドフルネス瞑想は「今ここ」の回路を強化するには非常に良い訓練になります。1日10分しかかかりませんし、やれば大きな違いがあり、現在の瞬間を生きるのに役立つはずです。通りを歩く時に、建物を見る、樹木を見る、空気の匂いを嗅ぐ、風を感じるのです。自分自身の世界に入って次の記事を書こうとか締切間近の仕事に取り組むことを考えるのではありません。私たちの感覚、つまり視覚、聴覚、嗅覚、触覚、味覚によって現実から得られるたくさんの情報について真剣に考えることです。ここに集中できるようになればきっと役に立つはずです。


この本の大きな部分でドーパミンが精神疾患に及ぼす影響と、そしてその影響がその関係の中でどういう役割をするのかについて触れられています。これについてどう理解したら良いでしょうか?

DL:ドーパミンは生存するために存在します。生き続けることが成功なのです。その生存の観点からすると、精神疾患については最も直接関係のある事柄ということになります。最もドーパミンを刺激するものが、私個人として最も興味深いものです。私たちはそれをサリエンシーと呼んでいます。個人的なサリエンシーです。それが私にとって重要なのです。現在ドーパミン回路に不全を抱えた人がいます。彼らのドーパミンは周囲の条件とは何の関係もなしに不定期に活性化します。ドーパミンが活性化した時は、それがドーパミン回路がそうなっているわけですから、そう信じることになるわけです。

例えば、ニュースを見ていてキャスターがCIAの監視行為について話している時に突然ドーパミン回路が活性化したとします。彼は「私は新事実を掴んだ。CIAは私を監視している」と言い出します。これが統合失調症などの病気に見られる誇大妄想の原因になっています。この妄想を治療するための戦略としては、実際にドーパミンシステムの機能を低下させる薬を処方することで、この種の妄想を抑えることにかなりの成功を収めています。

他のドーパミンに関係した疾患には注意欠陥多動性障害(ADHD)があります。これはドーパミンが多すぎるのではなく少なすぎることが原因になっています。具体的には制御回路の方で少なすぎるのです。脳の前頭葉の制御回路にドーパミンが少なすぎると人間は1つのことに集中することが難しくなります。長期的な視野で人生を考えることが難しくなり、飛び跳ねる傾向もあります。何か新しいもの、何か新しいもの、何か新しいもの、何か次のもの。こうした人たちについては、私たちは統合失調症の人とは反対のアプローチを採り、脳内でドーパミンの活動を活性化させる薬を処方します。


先程、ドーパミン作動性の人格を持つ人は、常に次のことに向かって取り組んでいき多くのものを作り出し多くを著述して、社会に多くの素晴らしいものをもたらすというお話がありました。これは常に次のものが欲しくなるという欲望についての非常に楽観的な見方だと思います。これは他の人々を支配するための戦略でもあるわけですから、常にもっと欲しいという個性は社会に対して悪いことをもたらす可能性もあると思います。私たちの今の時代に、ドーパミン作動性の人格を持つ人が指導者になることは楽観的に見るべきでしょうか、悲観的に見るべきでしょうか?

ML:私は楽観的に見ています。人類がスライムから進化して以来ドーパミン作動性の個性は存在していたわけですから。私たちは単純に人の注意を惹きたがるもので、それは人間性が変化したわけではありません。この観点からすると、私たちはソーシャルメディアやオンライン空間によってドーパミンが絶えず引き出される時代に住んでいるわけで、そう見れば楽観的に考えられると思います。ですが、そうした人たちが悪影響を与えることを学んでいないということは、そうしないという意味にはなりません。一般に、ドーパミン作動性の個性を持つ人たちは創造性に富んだ人たちであるはずです。彼らは確かに物議を醸すようなことをするかもしれませんが、いくつかの分野で機会を得る人は社会全体としてより多くの成功に遭遇するということを私たちは歴史を通して見ていると思います。

DL:私はもう少し悲観的な見方を話したいと思います。人類の脳は慢性的に資源が不足した環境の中で進化してきました。もっと求めるように進化してきたのです。それが私たちが生き続けるための唯一の方法だったわけです。花の香を嗅ぎ過ぎるくらい嗅いで生活していたら、そのように進化はしなかったでしょう。このことは現代社会ではうまく機能しないのではないでしょうか。特に少なくともこの国では物資の不足はあまり問題にはなっていません。そこで起こっていることは、私たちのドーパミンシステムがオーバードライブしてフル稼働しているのです。私たちに製品を販売している人たち、特に新しいメディアの人たちはドーパミンを操作する方法を非常によく知っています。だからこそ、Facebook等に対する依存症ということが話題になり始めているのです。

WEBでスクロールしていっても終わりが来ないインターフェイスを見たことがあると思います。いくらスクロールしていっても記事がいつまでもあります。これを見ているとドーパミン回路が「もう1つ見よう」と言うのでこれを止めるのは非常に難しいのです。何故でしょう?自分個人に関係がある記事があるかもしれない。自分にとって重要な情報があるかもしれない。もし見なければ大事なことを見逃すことになるかもしれない。ですから、私たちがドーパミンによる欲求を満足させるための更に強力なツールを開発することで、私たちは更にバランスを失うリスクに晒されることになるのだと思います。

ですが、私は楽観的です。マイクが話したように、人類は機知に富んでいます。そして、ドーパミンが常にあなたの人生のために有効ではないことに気づき始めています。多くの人がメディエーション(瞑想)やマインドフルネスに注意を向けています。人生に対して純粋に物質主義的なアプローチを採ることに疑問を持ち始めているのです。そしておそらく私たちは人生の最終目標に焦点を合わせる必要があるでしょう、それは幸福であり、単にモノを手に入れることに集中するのではなく、前向きな感情のために努力するべきなのです。

ですから、私は楽観的になれる理由があると思っています。ですが、私たちは欲望の適切なバランスを手に入れるために、多少優先順位を変える必要があるかもしれません。

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