2019年2月17日日曜日

インドのヒンドゥー・ナショナリズムの信奉者たちがイスラエルの国民国家体制を崇拝する理由


「インドの世俗主義者たちはヒンドゥー・ナショナリストたちはインドをヒンドゥー教バージョンのパキスタンに変えたがっているのだと常々主張している。これは間違いではない」


The Conversation
Sumantra Bose
February 14, 2019

インドのヒンドゥー・ナショナリスト(ヒンドゥー民族主義者)たちとイスラエルの右派はお互いに注目すべき類似性を持っている。2017年、イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相はインドのナレンドラ・モディ首相をイスラエルに迎えて次のように述べている。「モディ首相、私たちはあなたのことを長い間お待ちしていました、約70年もの間です… 私たちはあなたを同志だと思っています」

共に2019年の春に選挙を控える両首相は温かい信頼関係を築き、ツイッターでは頻繁にお互いを「親友ナレンドラ」「親友ビビ」と呼び合っている。

このモディ=ビビの親密さは個人的な相性の良さや、イスラエルの軍需産業がインドにとって重要な役割を果たしていること以上のものに基づいている。ヒンドゥー・ナショナリストたちは何代にも渡って心からシオニズムを敬服していて、その産物であるイスラエルの国民国家体制をインドで再現しようと模索している。首相同士の親密さはこのことに根ざしたものである。

インドの世俗主義者たちはヒンドゥー・ナショナリストたちはインドをヒンドゥー教バージョンのパキスタンに変えたがっているのだと常々主張している。これは間違いではない。パキスタンの初代総督ムハンマド・アリー・ジンナーは宗教、国民、国家を融合させた。ヒンドゥー・ナショナリストたちは、1920年代に生まれたヒンドゥー・ナショナリズムの中心概念「ヒンドゥトヴァ」に基づいて同じことをしたがっているというのである。

だが、パキスタンとの類似性は限定的なものだ。パキスタンは60年以上にも渡って軍事政権に支配されている。インドは高度に民主化された国だ。パキスタンを1977年から1988年までの間支配していたイスラム教徒の軍事独裁者ジア=ウル=ハクのような人物がインドに登場して国家の「ヒンドゥー化」を推し進めるようなことがあるとは考えられない。したがって、ヒンドゥー・ナショナリズムがインドを再構成して目的を果たすためには、民主的な政治と両立する方法で追求され達成される必要がある。

民主主義と優越論を両立させている国には既に雛形が存在する、イスラエルである。イスラエルは2018年の7月まで自国を「ユダヤ人の民主的な国」だと表現していたが、選挙で右翼勢力が僅差ながら議会の多数を占めイスラエルのアイデンティティは「ユダヤの人々の国民国家であり、全ての市民の権利を尊重する」というより強化されたものになった。この改訂はイスラエルの政治に於ける強硬派と過激派の優位を反映している。


イスラエルとシオニズムに対する親近感


ヒンドゥトヴァの概念を作り上げたヴィナーヤク・ダーモーダル・サーヴァルカル (1883-1966)から始まり、今日のモディにまで続くヒンドゥー・ナショナリストたちはイスラエルに対する深い親近感を明言している。サーヴァルカルは1920年代に「シオニストの夢が実現すれば、つまりパレスチナがユダヤ人の国家になれば、私たちはユダヤの友人たちと同じくらい喜ぶだろう」と書いている。

1947年に国連総会でインドの代表がパレスチナについてアラブとユダヤの公平な2国を主張し、大きなユダヤ国家と小さなアラブ国家に分割する案に反対票を投じた時には、サーヴァルカルは激しく動揺した。

独立後のインドでヒンドゥー・ナショナリズム運動を指揮していたマダフ・サダシフ・ゴールワルカール(1906-73)は、1930年代に自主活動組織である民族義勇団(RSS)の長として、シオニスト運動はインドに対して「5つの団結」の模範を示していると書いている。「ユダヤ人たちは人種、宗教、文化、言語を保ち続けてきており、彼らは彼らの国家を樹立するための自然な土地だけを求めているのだ」


民族民主主義という共有された理想


イスラエルのユダヤ人学者たちは自分たちの国の事例を用いて「民族民主主義」という理論を説明してきた。そうした学者の1人であるサミー・スムーハは民族民主主義を「単一民族国家かそれに準じた国における民主的な国家の非市民的な形態の選択肢」であると定義している。彼はこの「最良の例がイスラエルによって示されている」とし、「ユダヤ人とシオニストの支配を基盤にし、少数派のアラブ人を構造的に劣位に置いている」ことを述べている。現在イスラエルにおけるアラブ人の人口は20%程度である。スムーハはこの構造を推進することはイデオロギーであり「国家民族のメンバーと非メンバーの間を決定的に区別する」と話している。国家民族に当てはまらない人は、社会にとって厄介者であり脅威と見做され、生物学的な希薄化、人口統計学的な沈降、文化的な退廃の原因であり、安全保障上のリスク、あるいは敵国のスパイであるとさえ見られることになる。

これは典型的なヒンドゥー・ナショナリストがインドのイスラム教徒の人々を見る見方と一致する。インドのイスラム教徒は人口の15%以下だが、最大の宗教的少数派である。

国家のメンバーと非メンバーを区別することは、2016年以来モディのインド人民党(BJP)政権によって強力に推進され、物議を醸しているインドの市民権法の修正議論の根底に置かれている。提案されている法案では、インド近隣のイスラム教を多数派とする3つの国家(バングラデシュ、パキスタン、アフガニスタン)で宗教的少数派に属する人々(ヒンドゥー教徒、シーク教徒、キリスト教徒、仏教徒、ジャイナ教徒、ゾロアスター教徒)が法的地位なしにインドに定住した場合にインドの市民権を授与するとされている。

これによれば、ヒンドゥー教徒とその他のイスラム教以外の宗教の信徒たちは簡単にインドの市民権を獲得することができるようになる。彼らは宗教的に迫害を受けている犠牲者だという議論になっている。実際の法案はより限定された領域になっていて、世界中のユダヤ人がイスラエルに移住することを推奨するイスラエルの政策と類似している。この政策からは、誰が市民として優先され誰が歓迎されていないのかという誤り様のないメッセージが発されている。


インドはイスラエルのクローンになるのか?


民族民主主義は望ましくないと見做されている市民を完全に排除したり権利を剥奪したりするものではない。イスラエルに住むアラブ人たちは文化的にも宗教的にも権利を認められている。アラビア語は公式に認められており(2018年7月の法改正でヘブライ語の優位が明言されたが)、通常クネセトの議員の10%程度はイスラエルのアラブ人である。それでも、この政策に於いては公式にも非公式にもアラブ人のコミュニティは恵まれない土地に閉じ込められ、実質的な二級市民に追いやられることが確実になっている。

イスラエルは民族民主主義の唯一の例ではない。スリランカは植民地時代後1956年からシンハラ仏教ナショナリズムによる多数派支配が続けられている。クロアチアは2013年にEUに加盟したが、1991年の独立宣言では「クロアチア人による国民国家であり、その他の国の人々や少数派の市民たちの国である」と述べている。

民族民主主義で起こることは、事実上のしかし極めて現実的な階層構造を市民の間に作り出すことである。一部は全てを満たす第一級市民であり、それ以外はいくら頑張っても二級市民ということになる。現在のヒンドゥー・ナショナリスト運動は80年前にその先駆者であるサーヴァルカルとゴールワルカールによって定められたイデオロギーに極めて忠実なものになっている。1938年サーヴァルカルは「ヒンドゥー教徒はインドの国民であり、イスラム教徒は少数派の共同体である」と宣言し、それは「トルコ人がトルコの国民であり、アラブ人やアルメニア人は少数派の共同体である」のと同じことだという。ゴールワルカールは1938年に次のように記している「ヒンドゥー教徒が多数を占める国に於いては、非ヒンドゥー教徒の人々はヒンドゥー教徒に完全に従属してこそその国に滞在することが許される」

パキスタンではなくイスラエルに代表される「民主主義」国家のあり方が、民族義勇団を中心にしたヒンドゥー・ナショナリスト運動のインドの変革の理想である。しかし、この理想像は成就するだろうか?人口13億を擁し、文化的に複数のアイデンティティを持ち政治的には分断を横断する形で定義されるこの強国が、イスラエル、クロアチア、スリランカの巨大版に変化することができるかどうかは定かではない。

0 件のコメント:

コメントを投稿