America puts more people in jail and prison than any other country in the world. Although the country has managed to slightly reduce its prison population in recent years, mass incarceration remains a fact of the US criminal justice system. https://t.co/6RjKbfsDK9— Vox (@voxdotcom) February 18, 2019
アメリカの拘禁刑判決の刑期は長すぎる。何か対応するべき時が来ている。
Vox
German Lopez
Feb 12, 2019
アメリカは世界中のどんな国よりも多くの人を刑務所に入れている。近年僅かながら刑務所内の人口を減少させてきているが、それでも大量収監がアメリカの刑事司法制度の現状である。
この大量収監の現状を覆すことができる抜本的なアイディアを提示する時だ。全ての判決で刑期を20年以下にするということを提案したい。これは極端で危険な提案にすら見えるかもしれないが、アメリカの治安を悪化させずに収監者の人数を減らす助けになると信じる正当な理由がある。
米当局は1980年代と1990年代にこの国は犯罪危機の渦中にあり、拘禁刑の刑期が短すぎると考えていた。当局は新しく刑期に最短期間を設定し、仮釈放を制限することで刑期を長くした。今日では犯罪率は減少傾向にあり、アメリカの市民たちが判決に下される刑期が長すぎることを問題視する条件は揃っている。黒人と褐色人種の人々は白人よりも収監される可能性が高く、マイノリティを不当に苦しめていることも理由の1つになるだろう。
現在の大量収監の影響を考えると、国家としてアメリカはここまで多くの人々を収監するべきではないという強力な論拠が存在する。
アメリカの拘禁刑の刑期の長さを知ることは大量収監を覆すための一歩になる。実証的な調査によると、人々を長期間に渡って収監しておくことは犯罪抑止には殆ど効果がないことが明らかにされている。また、人を長い時間監獄で過ごさせることは、公正な経験を積む時間を喪失させる上、犯罪の世界に染まった人々と一緒に収監されることで実質的には犯罪を増やすことに繋がっている可能性すらある。
刑期を最大20年に制限するべきだと信じる理由は他にもある。研究では多くの人は30代後半から40代で犯罪から足を洗う。仮にある人が21歳の時に強盗や殺人で逮捕収監されたとすると、41歳で釈放された時には同じ犯罪に手を染めなくなる機会を与えることができる。
他の国々ではこれが機能している。欧州各国は概してアメリカよりも刑期が短い傾向があり、収監されている人数も少なく、犯罪率は大凡同等か低くなっている。特にノルウェーではほぼ全ての判決で刑期を21年に制限しており、暴力的な犯罪の再犯率はアメリカよりも低い(この制限にはいくつか例外があるが、それは後で説明する)。
刑期に上限をつけることはそれ自体で大量収監をを終わらせることにはならないかもしれない。だが、仮に遡及的に適用されることがあれば、少なくとも現在収監されている数万の人々が恩恵をうけることになる。そして、州政府や連邦政府がこれを採用することになれば、将来さらに多くの人々が恩恵を受けることになる。
私は無邪気にこの主張をしているわけではない。この政策が採用される可能性は極めて極めて低いことはよくわかっている。そして、仮に採用されたとしてもいくつかの難しい問題に対応する必要があることもよくわかっている。
だが、いずれにせよこの考えを推し進めるのは良いことだと思っている。このことでそもそも何のために刑務所はあるのかという議論をすることができる。公共の治安のため?収監者の更生のため?純粋に復讐のため?もし、社会として私たちの答えが最後の1つではなく最初の2つにあるならば、刑期の上限について考えるべきだ。
この種の議論を始めることによって、私たちは大量収監を最初に導いて可能にした根本にある文化的、社会的な支配力に辿り着くことになる。この議論によってのみ、世界でも最も過酷な刑罰の1つとなっているアメリカの刑事司法制度の現実を解明することができる。
20年の刑期上限はどのように機能するのか
刑期の上限を20年にするという考えを私が最初に聞いたのは非営利団体センテンシング・プロジェクトのディレクターであるマーク・マウアーからだった。そしてこれは何十万もの人々生活に影響を与える可能性のある、本当に理に適った政策変更である。
アメリカで収監されている人の数は、1980年の33万人から2016年には150万人に激増している(2009年からは減少に転じてはいる)。このうち少なくとも数十万人は刑務所で十年以上を過ごしている可能性が高い。
マウアーとアシュリー・ネリスによる著書「The Meaning of Life: The Case for Abolishing Life Sentences(生きる意味:終身刑を廃止した場合)」によると、終身刑を言い渡された人の数は1984年には34,000人だったが、2016年には162,000人に増えている。マウアーとネリスは「終身刑について2016の国を跨いだ包括的な分析によると、アメリカで終身刑で服役している人の数は、調査した他の113カ国を合計した人数よりも多かった」と記している。
上限を設けるというのは単純なことだ。誰も(強盗、強姦、殺人でも)20年を超える判決を受けることはない。ノルウェーがやっているように裁判所の判断で無期限に5年ずつ刑期を延長することができるような例外を設定する必要はあるが、ただし、それはその人が依然として公共の安全の脅威になっているという証明がある場合に限られる。
ほとんどの人にとってこの提案はバカげたものに聞こえるだろう。殺人や強姦でも20年?犯罪の重さと釣り合っていない。
しかしここで刑事司法の目的について更に掘り下げて議論したい。刑事司法は刑罰のためにあるのか?公共の治安のためか?犯罪者の更生のためか?これらのこと全てだろうか?あるいは全く別なことだろうか?
思うに、刑務所は犯罪者を罰する場所だと考える人にとっては刑期に上限を設けるというのは受け入れ難い話のはずだ。この変更で恩恵を受ける殆どの人は悪行を働いた暴力的な犯罪者である。そのことは否定できないし、殆どのアメリカ人はそうした人々は苦しむべきだと考えているだろう。
しかし、私は再考する必要があると思っている。上限を設けなくても、刑務所にいる殆どの人はいずれ解放されて社会に戻る時が来る。文字通り囚われた人々がいて、彼らが出てくる時に生産的な社会の一員となることができるようにする機会を与えない理由があるだろうか?もし、大なり小なり更生の可能性があるなら、人生の可能性を無駄にしてしまう理由はあるだろうか?
そして、20年の刑期というのはそれでも非常に長いものであり、上限の刑期を言い渡された人は依然として刑に苦しむことになる。マウアーはこのように長い刑期がどのようなものであるのかを多くの人に考えてほしいと話している。
「10年前の生活を思い出してください」と彼は言う。「何が起こりましたか?その後の10年で何を経験したでしょうか?結婚したかあるいは離婚したかもしれません、親になった、転職した、健康に問題を抱えた人もいるかもしれません。人生で起こったことを通して考えてみて下さい、そのことが拘禁刑とは何かを考える第一歩になるのです」
私はこの刑罰は適切なものだと考えているが、それでも恐ろしいものであるように思える。
公共の治安を傷つけずにこの政策を機能させられる理由:人は年とともに犯罪から離れる
拘禁刑の刑期に上限を設けた場合の公共の治安についてはどうだろうか?殺人犯、強姦犯、強盗犯だった人々は解放されれば更なる犠牲者を出すのではないだろうか?
この心配は真実のものではあるが、人間は人生を通して犯罪を犯し続けるものであると誤解している。全ての殺人犯がシリアルキラー(連続殺人犯)なわけではないし、特に数十年経過した後なら殺人を繰り返す可能性は極めて低くなる。他の犯罪にも同じことが言える。
その根拠は「年齢犯罪曲線(age-crime curve)」として知られるグラフである。これによると人々は年齢とともに犯罪から離れていく。犯罪に手を染める人は30代や特に40代以降よりも、10代半ばから20代の前半までの人が圧倒的に多い。
以下はマウアーとネリスの本に掲載されている2014年の強盗犯の年齢である。
このグラフは人が犯罪(この場合は強盗)を働く傾向が最も高くなるのは20歳前後であることを明らかにしている。しかし、そこから急激に減少する。30代は20歳の4分の1程度であり、40代は8分の1程度である。60代になると殆どいなくなる。
これには例外があって、人生を通した連続殺人犯である。しかし、彼らの数は少なく、上限20年の例外として対応することが可能なはずだ。
事実上、犯罪学界では誰もこの年齢犯罪曲線に異議を唱えていない。シンクタンクであるアーバン・インスティテュートの法務政策担当副社長ナンシー・ラヴィーンはこれについて「極めて文字通りに確立されたもの」だと述べている。
殆どの人たち、特に30代、40代以上の人たちはこのことに驚くべきではない。自分が10代の頃、未成年飲酒、違法薬物、万引き、喧嘩などで如何に法律を破る可能性が高かったかを思い出して欲しい。そして、今現在、または今よりも歳をとった時に同じことをする可能性を考えてみて欲しい。10代の時に逮捕された経験があるかどうかには関係なく、一般的に人は年齢犯罪曲線を具現している。
フォーダム大学の刑事司法の専門家であり、「Locked In: The True Causes of Mass Incarceration—and How to Achieve Real Reform(拘禁:大量収監の真の原因と現実の改革を達成する方法)」の著者であるジョン・ファフが年齢犯罪曲線が現れる理由のいくつかを説明してくれた。
「1つには身体的なホルモン上の理由があります。テストステロンの分泌量が多くなって暴力性が上がります、テストステロンの分泌量が少なくなって暴力性が下がります。また、純粋に身体的な原因もあります。私は今44歳ですが、仮に今の私が20歳の頃と同様に攻撃的な人間だったとしても、動作は遅くなっているし、痛みも少し強く感じます」と彼は説明する。「ですが、理由のいくつかには社会的なものもあります。結婚することや適切な仕事を見つけることは犯罪からの出口になります。ですから、刑務所に入っている時間が長くなればなるほど、その人が成熟して年齢とともに犯罪から離れていく道を傷つける可能性が高くなるのです」
これを裏付ける証拠は他にもある。2017年、オープン・フィランソロピー・プロジェクトのデヴィッド・ルードマンは長期の拘禁刑についての詳細な調査を実施した。彼は「より厳しい刑罰を課すことが犯罪を抑止することは殆どなく、収監された人々は刑務所の壁の外で犯罪を働くことを一次的に阻止された形になるが、収監されることは同時に釈放後の犯罪性を増加させる傾向もある。結果として『犯罪に厳しい』政策は短期的には犯罪を減らすことができるが、長期的にはそれを相殺する損害の原因になる」と結論付けている。
大量の人々を収監するという試みはアメリカをより安全にするためにあまり貢献できていないという証拠も存在する。1990年代からの犯罪件数の減少について、一部の研究者は収監者を増やした厳罰化の抑止効果が10〜25%を占めていると推定しているが、ブレナン・センターの試算ではその効果は0〜7%に過ぎないとしている。
その間、アメリカは国として刑務所に多大な費用を要している。人々を刑務所に入れるためには実際の経済的なコストがかかり、その数字はシンクタンクであるプリソン・ポリシー・イニシアティヴの試算によると2017年には1,820億ドルとされている。家族やコミュニティから引き裂かれる人々の社会的なコストも存在する。一例として、ニューヨーク・タイムズは生存していて刑務所に収監されていない黒人女性100人毎に対して同じ立場の黒人男性は83人しかいないという試算を出している。これは、子供、家族、コミュニティのためにその場にいられず「行方不明」になっている黒人男性が150万人いることに相当するとしている。
暴力的な犯罪者に対して軽い刑罰を課すことには良い効果がある
アメリカで刑期に20年の上限を設定してそれが本当に影響力を発揮するためには、この政策が複数の州で採用される必要がある。アメリカの囚人の約87%が州の施設に収容されている。もちろん、この政策変更は連邦レベルでも可能であり、連邦が州に対して経済的なインセンティブを使ってこれを奨励する可能性はある(ただし、これまでは似たような取り組みはあまり成功してはいない)。
しかし、州の刑務所に収監されている人の大多数は暴力的な犯罪者である。2015年を見ると、州刑務所に収監されている人の54.5%が暴力的な罪を犯した人であり、15.2%が薬物関連の犯罪者だった。
今までの刑事司法改革の取り組みでは、低レベルの非暴力的な犯罪者について刑期を短くすることに焦点が当てられてきた。しかし、20年に上限を設けることは高いレベルの暴力的な犯罪者が恩恵を受けることになる。これに良い効果がある可能性がある。
こうした暴力的な犯罪者たちは全てが常習的な殺人者なわけではない、というよりも殆どの人はそうではない。武器を持って強盗を遂行したかもしれないが、誰も傷つけていない人。逃走用の車を運転していただけの人。虐待してくる人物を殺してしまった女性。アルコールやドラッグの影響を受けて友達や家族と喧嘩になった人は、その影響さえなければ暴力的な犯罪を働く可能性は全く無い人である可能性もある。
そして全体として州の刑務所に収監されている人の大半が暴力的な犯罪者である。
このことが、ファフも著書の中で指摘しているように、アメリカが国として本当に大量収監を是正する意志があるならば、暴力的な犯罪者の扱いについてどこかの時点で直面しなければならないと刑事司法改革運動家や学者たちが主張する理由になっている。
アメリカで収監されている人の割合は、人口10万人につき655人になる。この数字は権威主義的な国家よりも大きく、キューバは510、ロシアは389、中国は118である。民主的な先進国では更に低く、カナダは114、ドイツは76、日本は41である。
マウアーとネリスの著書では、世界中の終身刑で収監されている人の40%をアメリカが占めていることを示す調査結果が紹介されている。
アメリカは命に関わる犯罪が起こる率が他の先進国よりも高いため(その大部分は銃が簡単に手に入ることによる)、他の先進国よりも低い収監率になる可能性は全く無い。それでも、刑務所に収監されている人の数が今の5分の1だった1980年代のような、アメリカの歴史的な傾向を取り戻したいのであれば、改善の余地はたくさんある。だが、そのためには少なくとも一部の暴力的な犯罪者たちを今よりも早めに釈放する必要がある。
上限を設けることによって刑務所を更生施設として考えることになる
刑務所を単に刑罰を与える施設か、公共の治安を守るための施設以上の何かとして見るためには大きく考え方を転換する必要がある。私たちは刑務所が収監された人々を更生させることができる場所であり得る(であるべきである)という考えを持つ必要がある。
現在でもアメリカで収監されている人たちの大多数はいつかの時点で釈放される。ここで私たちは酷い仕事をしていることを認識することになる。アメリカは犯罪者の更生と社会復帰の事業に十分な予算を充てていないことで悪名高い。このせいで釈放から3年以内に3分の2以上の人々が再び逮捕され、5年以内に4分の3以上の人々が再び逮捕される(軽犯罪で逮捕される場合もあるため、全ての逮捕が再収監に繋がるわけではない)。
しかし、アメリカ全土の刑務所が20年という刑期の上限を設けることになれば、新しい現実を認識せざるを得なくなる。刑務所に収監されているほぼ全員がいつかの時点で釈放されることになるのだ。そうなれば、そうした人々が通常の生活に戻ることができるようにするためのプログラムがかなりの頻度で必要になるはずだ。
これはノルウェーでは長い間の現実であり、それは殆どの判決で刑期が21年以下に制限される前からそうだった(テロリズムと大量虐殺には長い上限がある)。かつてノルウェーの法務省に勤務していて、現在はコレクショナル(矯正)・サービス大学で研究を続けているラグナー・クリストファーセンは「ノルウェーには人を一生収監しておく伝統はありません」と語っている。
その結果、ノルウェーの刑務所機構はアメリカの標準から見ると極めて寛容なものに見える(この件について更に知りたければ、ジェシカ・ベンコによるニューヨーク・タイムズの記事を読むことをお勧めする)。独房は比較的快適なものである。更生プログラムが広く利用され、実際に収監者は日中に少なくとも1つのプログラムを受けることが求められる、職業訓練か性犯罪者更生プログラムのようなものである。看守は収監者を尊重して扱い更生を促すことができるように、最低でも大学で2年の訓練を積むことが求められている。
ノルウェーでは刑務所から出た後の支援も手厚く、アメリカよりも強力な社会保障制度があり、それには医療と教育に関する保証も含まれている。「人々は何かを手にして出ていくのです」とクリストファーセンは話している。
ノルウェーにとってこれは純粋な罰としての刑務所のあり方に深く文化的に抵抗するものになっている。「何故でしょう?何故判決を下すのですか?何故刑罰を与えるのでしょう?それがもし復讐のためというなら、その復讐はいつ十分ということになるのでしょう?」とベリット・ヨンセンが話している。彼もコレクショナル・サービス大学の研究者である。
ノルウェーの刑務所が誰でも行きたくなるような素晴らしい場所だと言いたいわけではない。クリストファーセンとヨンセンは、異なる伝え方をするメディアもあるかもしれないが、ノルウェーでも刑務所にいることは不快なことであることを強調している。収監された人々は殆ど全ての自由を失う。彼らは、友人、家族、コミュニティから引き離される。ヨンセンが言うように「なんといっても刑務所です。誰も行きたい所ではありません」
ノルウェーの制度がアメリカの制度と比較してどれだけ効果的であるかは明らかではない。ニューヨーク・タイムズでベンコが指摘しているように、アメリカの再犯率(釈放された人が再び収監される確率)は、2年以内で29%であり、この数字はノルウェーの25%よりもほんの少し高いだけである。しかし、ノルウェーはそれでも上手くいっていると言える。暴力的な犯罪や殺人犯罪が起こる確率は遥かに優れた数字になっている。このことは、刑期に上限を設定することは少なくとも犯罪を引き起こすことにはならないことを示唆している。
上限設定はアメリカの大量収監を解決するには程遠いが、目的とするには良いモデルである
もし、アメリカが拘禁刑に20年の上限を設定したとしても大量収監が終わりになることはない。過去に遡って適用したとしても、現在刑務所にいる210万人のうちせいぜい数十万人の収監者が早期に釈放されることになるだけだ。
この上限は210万人のうちの大多数の人、つまり万引きでも暴力的な犯罪でも20年以下の判決を受けている人には適用されない。
また、上限を設けても新たに刑務所に入ってくる人への対応にはならない。アメリカの収監率が長年に渡って増加してきたことの理由の1つは長期間収監されるようになっていることだが、概してより多くの人が収監されるようになっていることも事実である。この問題に対処するには、他の変化が必要になる。一部の犯罪を完全に外してしまい、刑務所に送り込むことがないようにする(例えば、薬物所持を非犯罪化する)ことや、刑務所行きになる犯罪の基準を引き上げる(例えば、盗んで刑務所行きになる金額を引き上げる)ことが考えられる。
上限を設定することは、死刑制度や多くの刑務所内の劣悪な状況、犯罪歴に着せられる汚名など、他の刑事司法制度の問題に対処することにはならない。特に死刑制度については、上限が設定されて終身刑が廃止された場合には裁判官や陪審員に死刑を選択することを強く動機づける可能性があり、深刻な問題になるかもしれない。そのため、上限を設定する場合には死刑は廃止されている必要がある。
20年の上限を超えて延長する例外を設定するとしても、可能性は低いが裁判所が誤った判断をする場合はあり、釈放されるべきでない人が釈放されてしまうケースはあり得る。しかし、これは現在の仮釈放制度の問題と同じであり、より適切で公正な制度になると考えるならこのリスクは受け入れることになる。大量収監こそが私たちが脱したい苦境であるなら、一部の収監者を解放する必要があり、私たちはそのリスクを取らなければならない。完璧な解決策は存在しない。
私は拘禁刑の刑期に上限を設定することは、私たちが社会として刑務所についてどう考えるのかをリセットすることができる大胆な考えであり、目指すべき良いモデルであると考えている。このことは更に体系的な疑問に繋がっていく。殺人罪の刑期の上限が20年になった場合、強盗や薬物のために10年や5年というのは正当なのだろうか?最終的に刑務所から釈放されるのであれば、私たちはその人が安全に社会復帰できるように刑務所内外両方から支援を得られるようにするべきではないか?刑務所が犯罪抑止のための最終的な結論になり得ないのなら、私たちは他の手段を真剣に考えるべきではないか?
私はこれを少しも軽い気持ちで書いてはいない。そこには心地よくない質問が付き纏うことをよくわかっている。私たちは釈放されたばかりの殺人者が隣に住んでいたり、同じオフィスで一緒に働いて欲しいと本当に思っているのか?何故私たちは恐ろしい行為に手を染めた誰かに休息を与えるべきなのか?強盗を働くような人は人生に二度目のチャンスを与えるに値するのだろうか?こうしたこと全ては特に、この政策によって直接恩恵を受ける種類の人々から直接の被害を受けている犯罪被害者の人たちに対した時に困難な問題になる。
これらは道徳的、抽象的な質問であり私が決定的な答えを出すことができるものではない。しかし、証拠と統計に基づいて、大量収監から脱したいなら、私たちが社会として考えて乗り越えなければならないハードルだ。今回私が話した改革を支持する人々は20年の上限は有望な方法であることを主張しているが、そのうちの何人かはより長い刑期の判決を下すことができる何らかの例外の必要性を強調していた(一部の人はこの方針に則った上で、判決に上限を明記するのではなく、15年か20年毎に再評価が必要になるとする「セカンドルック」規定を好んでいた)。
では、これは政治的に実行可能なのだろうか?おそらく現在はそうではない。2016年のVoxの調査によると、再犯の可能性が低い場合でも、暴力的な罪を犯した人に対する罰を減刑することは殆ど支持が得られていない。
しかし刑事司法制度に対する見方が変化し、単一支払者制度の医療保険から大学無料化まであらゆることに議論が進められている今の時代には、刑期に20年の上限を設定することは、進歩的な人々には受け入れることができ、そうするべきものであるように思える。
何はともあれ、人々を長期間幽閉しておくことがアメリカを安全にするためにはそれほど効果的でないことには証拠によって強く示唆されている。何か新しいことを試す時が来ている。
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