2019年6月6日木曜日

インターネットを保守派が支配する理由


なぜインターネットはリベラル派よりも保守派に利するのか。


Vox
Sean Illing
Jun 3, 2019

多くの人たちがインターネットは民主主義世界に役立つものだと考えていた。

より多くの個人や団体が様々な情報にアクセスするようになり、草の根的な運動は次第に中央の力を弱めることになるだろう、と少なくとも最初の頃は考えられていた。

しかし現実は全く違ったものになった。インターネットは世界の民主主義を強化するのではなく不安定化させ、新たな分断を作り出して同時に権力構造を強化することになったのだった。

このストーリーは社会学者のジェン・シュレーディが新著「The Revolution That Wasn’t(それは革命、ではなかった)」の中で紹介しているものだ。テクノロジーは活動家たちが利用するフィールドを公平にできなかっただけでなく、更に悪いことに実際には「デジタル上の政治活動にギャップを作り出した」のだとシュレ―ディは指摘している。この権力と組織の中にある差異は、労働者階級の政治活動を弱体化させ、権威主義的な集団を勢いづかせることに繋がったとのだという。

私はシュレ―ディと話し合い、インターネットは私たちの社会の中では単なる権力者の政治的な武器になってしまったと彼女が考える理由について詳細を聞いた。

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ショーン・イリング:今でも多くの人がインターネットやソーシャルメディアは中立的なもので、政治活動をする上では全ての立場の人に開かれたものだと考えていると思います。それは間違いなのでしょうか?

ジェン・シュレーディ:インターネットはただの道具で中立的な印象を与えています。ですが、既存のコミュニケーションツールと同じで、権力、資産、組織的な強さ、を持っている人がより有効に使えるものです。

例えばテレビについて考えてみましょう。理論上はライセンスの制度がありますが、十分にお金がある人は誰でもテレビ局を持つことが出来るわけで、実際まともに機能していません。

インターネットについては中立性にもっと真実味があります。それはテレビやラジオなどの他のコミュニケーションツールと比較すると情報を配信するためのコストが圧倒的に小さいからです。

しかしながら、インターネットを徹底して利用するにはそれ相当の資産と時間と動機が必要です。それが出来る余裕のある人というのはデジタル戦略に投資出来る人ということになり、そのことが大きな不均衡を作り出しています。


いわゆるデジタル革命というものが政治的に危険なものだということが明らかになったのはいつ頃のことなのでしょう?

重要な転換点が2回ありました。2006年は重要な年です。当時、私たちはまだインターネットに理想をもっていました。この年、Time誌は「パーソン・オブ・ザ・イヤー」に「You(あなた)」を選んでいます。その表紙はコンピューターの画面に鏡を映したもので、それで「あなた」を表していました。個人がオンラインで力を発揮して新しく公の領域に踏み込んでいくことができるのだということです。

この頃に多くのソーシャルメディアが立ち上げられて広まっていきました。Facebookはこの年に一般公開されています。この年はインターネットに理想を持っていた人々にとって重要な年なのです。

2011年にはまた別な形で動きがありました。この年はアラブの春と呼ばれる運動が起こり、Twitterによる革命、Facebookによる革命というのが話題になりました。同時にスペインでは「怒れる者たち(indignados)運動」が起こり、アメリカでは「ウォール街を占拠せよ」という運動が起こりました。インターネットはこうした運動に大きな役割を果たしています。

その後に崩壊が始まるのです。ゲーマーゲート論争と性差別や虐待の爆発が起こり、エドワード・スノーデンが地球規模に広がる大衆監視システムを暴露します。そして、2016年のブレクジット選挙やドナルド・トランプの当選という出来事に繋がるわけです。

私が2014年にデジタル上の政治運動を調査しているときには、当時の人々が何を考えていたかは別として、いわゆる保守派や権力構造が既にデジタル領域を統制下に置いていたのは明らかでした。


なぜそうなったのでしょう?インターネット上では保守主義が優勢になる理由が何かあるのでしょうか?あるいは、単にそのためにつぎ込んだ資産の差ということでしょうか?

簡単に言えば、保守派の人たちはより多くの資産を持っているのでその意味で有利です。もう1つは彼らはオンラインで政治運動を促進しやすくなるような階層的な構造を持っている可能性が高いということです。別な言い方をすると、彼らはよりトップダウンの組織を形成する傾向があって、そのことは労働力を分配して主張を広めるために効果的だということです。

このことはイデオロギーそのものを表しています。私は保守主義というのは本質的にオンラインで振興を目論むのに向いたものなのだと考えています。保守主義者は特に自由の概念に於いて単純で明確な主張をします。その点で左派は一般的に公平の概念を強調する傾向があります。

保守派の人々は何かを攻撃する場合にも一枚岩になります、オバマケアに対するものを思い出してください。左派的な人々は多様性を重視して、様々な人たちや様々な問題について多く取り込みたがるので、結果として主張が混乱し、わかりにくいものになります。


保守派の人々はある種の迫害マニアのような人たちからも利益を受けていると思います。そうした人々は主流メディアの反対側に自身を形成して、自身が政治的に正しい時代の「真実の語り部」を自称している。オンラインだと彼らの主張は速く広まります。それがオルタナティブニュースサイトとして機能しているように見えます。

正直に言って、彼らの主張を展開する手腕は素晴らしいと思います。そして、それは重要なポイントだと思います。


左派と右派ではインターネットの使い方が根本的に異なっているのでしょうか?コミュニケーションの手段が異なっているのでしょうか?組織化する方法が違うのでしょうか?

保守主義者もリベラル主義者もそれぞれのフィルターバブルを持っていますが、それが大きく異なる性質を持っているでことがわかってきました。左派は多くの人々を巻き込んで参加型で組織化することに興味を持っています。多くの人々や団体が集合した写真などがよく見られます。例えば、労働組合の会合で拳を突き上げているようなものです。

右派の人々は一般的に言って国家全体に関わる問題、ミーム、記事にコメントすることに興味を持っています。草の根運動的なものには興味が薄いのです。それが大きな違いです。

例えば、ノースカロライナで見られるティーパーティー運動やその他の極右団体について私は多くの調査を行っています。彼らは地元で起こっている問題よりも、国全体の政治のことに集中しています。彼らは当地で組織化されたにもかかわらず、より広範な全国的保守系メディアのエコシステムに参加することに夢中になっていました。


デジタル時代の政治運動というのは、直接大衆に主張を届けて動かすことができるようになったことで楽になった一方で、参入する障壁がなくなってその意味で全てが些末なものになってしまったように思います。

ハッシュタグ・アクティビズムというのはそれ自体は限定的なものです。インターネットの利用に関係なく、社会運動を作り出して広めていくには多大な努力を要します。ハッシュタグが爆発的に広まる場合にも、通常はその背後には多大な努力があります。

#MeToo やその他の社会運動について自分たちが話し合っているかどうかに関わらず、それに関連した心を捉えるようなツイートがリツイートされてくることがあります。そうしたものは多くの場合何かしらの地位がある人や有名人によるものです。そこまで到達するには努力が必要です。

そして、有名人の参加が見込めなかったり強力な権力を持っていない状態で政治運動を始める場合には、ハッシュタグを広めるためにはボランティア部隊、そしておそらくはボット部隊が必要です。実際にオンラインで運動を広めるためには、オフラインでの組織化が必要なのです。

繰り返しになりますが、これは多くの資金と人的資源が必要な種類の努力になります。


インターネットは民主主義に対する既にある脅威だと考えていますか?

卓越した質問ですね。私はインターネットは既にあるかどうかに関わらず民主主義に対する脅威だとは考えていません。インターネットはあくまで道具で、良いことにも悪いことにも使えるものです。


ですが、制御可能な道具でしょうか?

仰りたいことはわかります。インターネットは広範な私たちの社会の中で起きていることを映し出す道具なのだと思います。最終的には道具の問題ではなく、一部の人が他の人よりも有利な立場にいるという社会の中の不平等についての問題になるのです。この不平等はインターネットであろうとなかろうと、それ自身で常に現れてくるものです。ですから、私はこの道具自体に大きすぎる力を想定することには若干躊躇があります。


バーチャル世界の政治活動の未来はどのようなものになるのでしょうか?私たちはどこに向かっているのでしょう?

そうですね、デジタルテクノロジーが不平等を助長する構造について真剣に考えずに平等な空間を作り出すものだと想定し続けるなら、私たちが抱える問題は更に悪化してデジタル上の政治活動は更にギャップが大きくなると思います。

Facebookが勧めている改革は良いことだと思いますし、私たちが非営利でオープンソースのFacebookに代わるソーシャルメディアを構築できれば素晴らしいことだと思います。私はそれに喜んで参加したいですし、ずっと良い状態になると思います。

ですが、最終的に私たちがデジタルテクノロジーを手中に置いて利用したいと思うのであれば、社会階級の不平等に対処しなければなりません。不平等は更なる不平等に繋がるものです。私たちはまずそれを解決しなければなりません。

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