2019年6月20日木曜日

バカげた陰謀論ほど反駁が困難な理由


「民主主義には市民同士に最低限の相互信頼が必要なのですが、陰謀主義はそれを破壊してしまいます」


Vox
Sean Illing
Updated Apr 21, 2019

私たちは陰謀論の黄金時代に暮らしているのだろうか?

ハーバード大学で政治学の教授を務めるナンシー・L・ローゼンブラムが新しい著書「A Lot of People Are Saying.(みんながそう言っている)」の中でこのことについて論じている。そして、陰謀論は単に繁栄を続けているだけではなく、更にバカげて本質から外れたものになり、反駁が困難なものになっているという。

ローゼンブラムと共著者ラッセル・ミュアヘッドによるこの著書によると、私たちが今目にしているものは「陰謀主義」とも言うべきもので「論」と言えなくなってきている。そして、陰謀論というのは、もはや現実を説明しようとしたり、世界についての何かしらの理論を提示するというものではなく、公人や公共機関の信頼感を損ねることが目的になっている。

彼女はピザゲート陰謀論を完璧な例として挙げている。この事件はヒラリー・クリントンとその元選挙責任者のジョン・ボデスタがワシントンDCのピザ店を拠点にして児童虐待に関与しているというフェイクニュースに端を発したものだった。この話は完全な創作だが、オンラインに広く流布され、最終的にはライフルを持った男がピザ店に現れて発砲する事件になった。

ローゼンブラムはこうした新しい形の陰謀論は自由民主主義の土台と、彼女が「知識生産機関」と呼ぶ機関に対する直接の攻撃になっていると考えている。陰謀主義が私たちの政治の基盤に食い込んできていることで、人々は国の進むべき方向について熟慮することができなくなっていて、最終的には民主主義自体が維持不可能になると彼女は述べている。

ローゼンブラムに、現代の陰謀論の性質と、そしてそれがどのように民主主義社会の現実の脅威として発展するのか話を聞いた。

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ショーン・イリング:なぜ今、陰謀論に関する本をお書きになったのでしょう?

ナンシー・ローゼンブラム:過去2年くらいの間に、陰謀論の問題が私たちの公共生活の中で有害なものになったこと、そして私たちの政治を本当の意味で侵食し始めていると考えたからです。ですが、共著者と私を震撼させたのは、現在侵食を始めている陰謀主義というのは、従来の陰謀論とは根本的に異なるものだと考えられるということです

何かしらの陰謀主義者の言説を聞かない日はありません、選挙に関するフェイクニュースやピザゲートのような不条理なものなどです。そして、陰謀論問題に関わっている登場人物たちは、衝動的な陰謀主義者である大統領や議員たちにまで及んでいます。こうした人たちは陰謀主義者の言説を支持するか、黙認するかして選ばれた人たちです。そして陰謀を生み出す人とその信者たちという構造があります。

彼らは私たちの人口の中で無視できない数になっていますし、既に公共生活の一分になっています。


陰謀論というものをどのように定義していますか?

陰謀論というのは出来事についての説明だと思います。そうでないと説明できない、証明できないように見える出来事に対するものです。そしてその説明は、理解できないように見えることの裏には何かしらの陰謀か秘密の筋書きがあるというものです。時には陰謀論は正しいことがありますし、そうでない時もあります。その違いを見分けることは難しいことが多いのですが、全てのケースで言えるのは複雑な出来事を何かしら合理的に説明しようとするものだということでしょう。


では、陰謀論であるが故に間違っているというわけではないのですね。ですが、間違っていることが多いのは複雑な出来事を取り上げて、その理論をより広い枠組みに当てはめようとするせいでしょうか?

その通りですね。あなたがそう言ってくれて嬉しく思います。実際、Wikipediaでは陰謀論について、陰謀論による誤報の脅威として定義されています、それは正しくありません。真実だっただけでなく、アメリカの民主主義を発展させるのに貢献した進歩的な陰謀論というのも存在しますし、純粋に作り出された完全な創作もあります。


真実だった陰謀論と完全に創作された陰謀論の例を挙げて頂けますか?

完全な創作の方の例は「月面着陸は捏造」(スタンリー・キューブリックがスタジオで撮影したものだった)とか、ルース・ベイダー・ギンズバーグ裁判官は実は亡くなっている(民主党はドナルド・トランプ大統領が最高裁の彼女の椅子を埋めることになることを妨ぐためにその死を隠している)といったものでしょうか。先程挙げたピザゲート陰謀論もその例になるでしょう。

役に立った進歩的な陰謀論の例としては、学術的な努力が挙げられるでしょう。ナオミ・オレスケスは、たばこ業界と石油業界が気象科学に懐疑論を投げかけるために行っていた陰謀を文書化し、世界中の科学者たちは人類が引き起こす壊滅的な地球温暖化についての報告書を作成するように賄賂を受け取っているというデマを実質的に否定することになりました。

あるいは、20世紀の初めに起こった、企業の役員会議室やタバコの煙が充満した政治家たちの密室を民主主義に対する潜在的な障害として捉えた進歩主義運動があります。「マックレーキング」と呼ばれる汚職についての報告の結果、直接民主主義や国民投票制度のように現在もある形の民主主義の再構築が齎されました。


私は陰謀論者というのは、自分が合わせられない世界を拒絶した人たちなのだと考えています。陰謀論事態が問題を反転させて合理性を確保する方法を提供している。言い換えると、自分が不幸であったり疎外されているのは私の失敗ではないのだ、それは私に反対する闇の勢力の仕業であると。さらに、そのことは陰謀論者に権力の感覚を与えています。誰も気づいていない方法で真実を理解しているのだという感覚です。

それがおそらく陰謀論的思考についての最も一般的な社会心理学的な説明でしょう。世間に馴染めない人が不公平や疎外感を感じて、誰かしらエリートや専門家のせいにする。そして、なぜ自分にそういうことが起こっているのかを合理的に説明する筋書きを持つようになる。一種のスケープゴートです。

自分たちだけが真の現実を見ることができていて、他の全ての人が妄想に陥っていると信じることは信じられないような力を与えます。陰謀主義者を見てみると、例えばQアノンのような奇妙なものについて書いている人たちでも、彼らは自分たちを真実を知る者だと考えています。彼らは自分たちは世界が実際に機能する仕組みを理解していて、他の人たちが洗脳されているのだと考えているのです。

繰り返しますが、陰謀論の中には真実が含まれるものもあり、何が起こっているのか説明するために誠実な努力をしている人がいることも注意として付け加えておきたいと思います。


陰謀主義の心理というのは教養のある人からそうでもない人まで幅広く訴えるところがあるように見えます。これは何故でしょうか?

認知心理学者や政治心理学者は、認知的な苦悩が最も悪質で最も熱狂的な種類の陰謀論に結びつくのはよくあることだと言うでしょうし、それはよくわかります。人は偶然や意図しない結果によって何かが起きたということよりも、何者かによって行われたと考えるのを好みますし、原因と結果は比例する関係にあると考えがちなので、結果が大きければ原因を説明するために行き過ぎる場合があるのです。

ですが、何が起きているのかを熱心に知りたがっている人と陰謀主義者的な思考を持っている人との間には隔たりがあります。後者は、その視点で世界全体を見ようとする傾向があります。説明が必要な出来事だけでなく、世界を敵の存在という観点から見ようとするのです。


著書の中であなたは陰謀論は変質してきていると書いています。もはや論ではなくなって陰謀主義になっていると。これはどういう意味でしょうか?

今日の陰謀論は説明の負担がなくなった形で広められているということです。実際、ピザゲート事件の時を考えれば、説明する必要のあるものが全く存在せず、真実や事実に対する実際の要求が存在していませんでした。全体像を形成するために繋げていくための要素となる点が全く存在しないのです。

陰謀論は新しい形で問題になってきています、何の根拠もなくそのまま主張されるのです。世界で起こったことを説明しようと試みるのではなく、それ自体が陰謀主義の理由となるような筋書きを作り上げることになったのです。そしてそれは異なる方法で広まります。

例えば、今日の陰謀主義の多くは仄めかしによって伝わっています。「もっと知りたいだけです、質問しているだけです」というようなセリフをよく聞くでしょう。あるいはトランプ大統領は「多くの人が言っているように…」という言い方を好んで使います。これはなんの理論もないただの陰謀です。信念を強化する誤った言説を繰り返すことによって、既にある信念を確認しているだけです。

ですから、単にヒラリー・クリントンは候補者として無価値だと考えているところから、彼女が子供の人身売買に関わっている物語を作り上げなければならないことになるわけです。そして、このことを繰り返して同意を得ることによって、一種の集団的な仲間意識を強化しているのです。かくして理論のない陰謀は政治参加の一形態となっています。


あなたは今日の陰謀主義というのは説明することではなく、合法性を否定することが目的になっていることを強調されています。この違いは何故決定的なものなのでしょうか?

何かの合法性が否定されていること自体が知りたいことの全てになっているのです。最近では、多くの人が何かが本当に真実なのかどうかあまり気にしなくなってきているという状況をよく目にするのではないでしょうか。そうした人たちは既にある信念を正当化するのに十分な疑惑を生じさせるような何か当てに出来るものを探しているだけなのです。そして同時に冷笑主義的になります。

私たちはこうした陰謀主義というものは自身だけの現実を持とうとする試みだと考えています。トランプは1つの典型で、彼は国家に課されるものについては現実的な妥協の感覚を持っていますが、自身の大統領就任式の群衆の大きさでは嘘をついたりしています。

この種の不正直さに囚われた陰謀主義者は議論や証拠には関心を示しません。このことは彼らは自分たち自身の世界観を確信して、そもそも真実を報道する責任を負っている機関を弱体化させることに繋がります。自分の知る方法だけが信頼できるもので、他の人たちは洗脳されているのだということになるのです。

私たちはこれを「認識の分極化」と呼んでいます。議論したりお互いを説得したりする場はなく、意見の違いすらないのです。これは党派的な分極化より深く、橋渡し不可能なものであると思います。


今日の陰謀主義というのの殆どが右派側に現れる現象なのは何故でしょうか?

合法性を否定するという話に戻ります。右派というのは極端に言えば政府機関やあらゆる知識生産機関の合法性を否定したいと考えているわけです。ですから、彼らが陰謀的思考を広めることに利益があるのは自然なことです。一方で左派は一般的には政府組織を好んでいてそれを改善したいとう立場なので、陰謀論を受け入れる理由が薄いということになります。

はっきりさせておきますが、左派の側にも山のように陰謀論は存在します。例えば、ジェーン・メイヤーの著書「ダーク・マネー」や上院議員のエリザベス・ウォーレンがウォール・ストリートのビジネスモデルは不正操作されているという言説も技術的には陰謀論といえるでしょう。私個人は彼女たちの言うことは正しいと思っています。この違いは彼女たちは何が起こっているのかを説明しようとしていることです。これは私が今話している陰謀主義のようなものではありません。


ここまであなたに挙げていただいた左派の陰謀論の例は、誠実に真実を探求しようとしているものに見えます。一方で右派の側からのものは、制度に対する信頼の破壊を試みるような訳のわからないものであるように見えます。逆に、左派の側に真に妄想的であるか、少なくとも真剣に真実を探求しようというものでない例はあるでしょうか?そして、反対に右派の側に真実であった本当の陰謀を明らかにしたようなものは存在しているでしょうか?

左派の陰謀論として奇妙なものはいくつか思いつきます。9・11の真実というのがあります。政府は事前に攻撃を知っていて、それを起こさせた、あるいは自作自演だという説まであります。イラクに対する戦争を正当化して、市民の自由を制限して愛国者法を推進させるためにということです。左派にはブッシュとチェイニーが純粋に石油のためだけにイラクに戦争を仕掛けたと信じる要素もあります。私の見解とは違いますが、友人たちの中にはこれを支持する人もいます。

ですが、右派による陰謀主義が後に正しいことが判明したという例は考えつきません。今日の陰謀主義というのは右派の間で独自の進化を遂げているように思いますが、そこに真実の破片でも見つけることは困難なことです。結局の所、それは世界で起きていることを説明しているのではなく、現実を再構成しようとしている試みだからです。

私が左派ではなく右派について関心を持っている理由は、被害を騒ぎ立てて、屈辱の原因になった敵を特定するのに熱心な作業をしているのが左派ではなく右派だからです。それは大統領が右派になっても続いています。陰謀主義者のアレックス・ジョーンズはサンディフック小学校銃乱射事件のとき、銃規制を訴えた親たちは、銃規制法を推進させるために雇われた俳優だったとまで主張しました。

そうは言ってもおそらくは、伝統的な陰謀論を主張する習慣は左右に存在しています。その殆どは政府や公的機関による調査に対して過激な疑念を持つことです。そしてそれは毎四半期散発的に起こっていることです。


現代の世界で私たちが情報をやり取りしたり取得したりする方法に陰謀論の基準を下げるような何かが起こったということでしょうか?

あなたは新しいメディア技術についての著書も書かれていますから、わたしよりもよくわかっているでしょう。あえて私から言うなら、既存メディアの衰退、インターネットとソーシャルメディアの振興によってあらゆる障壁が取り除かれました。現在は情報が急速かつ安価に広まるために抑え込むことは不可能です。そして、アルゴリズムで収集されたニュースフィードは人々を深く自己確認の泡の中に沈めています。

古典的な陰謀論者と新興の陰謀主義者の間の違いの1つは、前者は常に「インターネット」を使っているということです。「インターネット」には彼らが自分の論理に結びつけて考える事ができるデータや情報が無数に存在しているからです。しかし、新しい陰謀主義者たちは基本的にソーシャルメディアの中にしかいません。彼らがやっていることはお互いを肯定し合うということだけです。ツイートしてリツイートして、共有して、良いね、して、自分たちの同類の部族を作り上げるのです。


著書の中であなたはこの新しい陰謀主義は民主主義社会の土台に対する直接の驚異になると仰っています。理由を簡単に説明して頂けますか?

多数の「知識生産機関」がなければ民主主義を機能させることは出来ません。大学、科学者、政府機関などが必要だということです。更に、それらの機関が市民たちから信頼されていない場合、そして、それらの機関が生み出す知識に頼らずに政策を立てることができると多くの人が考えている場合には、政府は機能不全になります。そして、機能不全になればなるほど、多くの人にとって不適切なものになります。

同時に、あらゆるこうした陰謀主義というのは公的機関だけでなく、仲間の市民同士の信頼も傷つけるものです。私たちがお互いの信頼感、そして政治的な競争に対する信頼感を失うことは民主主義の基盤への直接の攻撃になります。自由民主主義の実現には、市民同士の間に最低限の信頼関係が求められるのですが、陰謀主義はそれを破壊します。


私たちはどうやって陰謀主義者を見分ければ良いのでしょうか?あるいは陰謀主義の影響を確認する方法はどういうものでしょう?

誰かを陰謀主義者だと推測するようなことはないと思います。これはシステム上閉じられたものです。そして彼らは頑なな人たちです。私たちは彼らに対して真実を語らなければならないとは思いますが、それは彼らの陰謀主義者としての考えを改めさせるという意味ではありません。そして、私たちは陰謀主義を広めることを助ける機関に対して特に批判的にならなければなりません。

ですが、私見ではこれに対処することができるのは有権者と党派的な繋がりがある選挙で選ばれた政治家たちのはずで、彼らは真実でないことや起きていないことをはっきりと指摘して説明しなければならないのです。私たちが今目にしている悲劇は、日和見主義的な理由によって、政治家たちがその責任を取ることに失敗していることです。

もし、選挙で選ばれた政治家たちがこのことに立ち向かう勇気を持つことができなければ、私たちは困った立場になります。そして、アメリカの大統領であり、二大政党のうちの片方のリーダーが陰謀主義者であるということは明らかに非常に悪い兆候です。

最後にもう一言だけ注意的な話をしても良いでしょうか?


どうぞ。

私はこの仕事を続ける中で驚くべきことを学びました。それはこの陰謀主義というのが思っていたよりもずっと破壊的なものであるということです。制度を不安定化させ、人々の尊厳を傷つけ、そして、私たちの民主制度を、相殺するような創造的な衝動を全く伴うことなしに破壊するものです。

私が言いたいのは民主主義にとって極めて危険な時代にあるということです。民主主義を破壊するために他の政治的イデオロギーが採用されるということではありません、共産主義や権威主義、ファシズムなどが採用されるということではないのです。陰謀主義はそれ自身で民主主義を破壊することが出来るのです。そして私たちは今その危険から目を背けています。

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