2019年6月23日日曜日

歴史の精神


ヘーゲルが歴史における普遍のパターンを探し求めたことである矛盾が顕になった。自由は生ずるものだが保証されることはない。


aeon
Terry Pinkard
13 June, 2019

歴史、少なくとも学問としての歴史学は昨今あまり芳しい状況ではない。ほとんど全ての人が歴史を学ぶことは重要であることには同意してくれるだろうが、アメリカでは一部のエリート学校を別にすれば状況は歯止め無く落ちこんでいる。私たちの時代は「歴史が私たちに教えてくれる唯一のことは、誰も歴史から学んでいないということだ」というドイツの哲学者ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル(1770-1831)の言葉を体現しているようにも見える。何故だろう?現在は常に新しく、未来は試されていないものだ、それと比べて歴史とは多かれ少なかれごまかしであるという、アメリカのビジネスマン、ヘンリー・フォードの発言は多くの共感を得ている。それでもヘーゲルはそれと同じようなことを言いながら、物事は常に前例のないことのように見えているが、歴史は実際に私たちに最終結果についての手がかりを与えてくれるのだと述べている。

私たち人類は奇妙な種である。生物としてどうあるべきかということが常に私たちの問題になっている。それは、ある意味では私たち自身が私たち自身をそのような生物にしているからで、私たちは個人的にも集団的にも人生の中でそのことを探求しているからである。歴史を学ぶということは物語を語ったり、事実を積み重ねたりするだけのことではない。より大きな枠組みの中では、それは、人類が実験的に各々の日常生活を形作るあらゆる手段を通して自分自身を理解しようと探求を続けてきたことを説明することだ。ヘーゲルが1822年から1830年にかけての一連の講義でこのことについて、「私たち」は特殊な存在であり、歴史を哲学的に学ぶことは私たちが時間とともにどのように形を変えてきたのかを知ることなのだと話している。

ヘーゲル以上に洗練した形で動的に哲学史を捉えた人は誰もいない。彼のシステムは3つの考え方を基礎にして構築されている。1つは、人間の営みの鍵となるのは自己意識であるということ。人が本当の意味で人間的感覚の中で何かをしているということは、それをしている時に自分たちがしていることを知ることである。これはしていることを明確に考えていない場合にも当てはまる。簡単な例を考えてみよう。あなたがこの記事を読んでいる間に友達からテキストメッセージが届いたとする「何してる?」。あなたはすぐに返信をする「ヘーゲルについての記事を読んでる」。あなたはわざわざそれについて思考したり意識を引き出したりしなくても自分が何をしているかを知っていたのだ。深く考えなくてもスカイダイビングをしていないことを知っていたし、オフロに入ってはいないことを知っていたし、庭いじりやクロスワードパズルをやってはいないことを知っていた。あたりを見回したり、証拠を探し回ったりもしていない。特別な自己観察も必要としなかった。事実、ヘーゲル学派では、あなたが何かをしていて何をしているかを全くわかっていない時は、あなたは実際には全く何もしていないことになる。その代わり、ただ物事が起こっている。確かに、私たちは自分がしていることについては漠然としか意識していないことがある。しかし、よくあるように更に思慮から離れた自己意識でさえも、より深い認識というだけであって、ヘーゲル学派によれば明確に自己と関係している。そこでは全ての意識は自己意識なのである。

2つ目は、ヘーゲルは、自己意識とは常に「私」と「私たち」の社会的空間のような場所の中に自分自身を見つけるという問題だと考えていることだ。「私」と言ったり「私たち」と言ったりするのは、同じ弁証法コインを両面から見ているだけである。多くの場合、「私たち」というのは「私が思う」とか「私がする」という事例の多数を合計したものに見えるが、最も基礎的な感覚の中では「私たち」は「私」と同じくらい基本的なものになる。個人それぞれの自己意識は基本的に社会的なものである。「私たち」の大半は私たち個人それぞれの行動に現れるものだが、「私たち」それ自体は個人の肉体的な活動と別物ではない。私が自分のしていることがわかっている時、私は「私」がしていることは、言ってみれば、「私たち」がする方法であることも気づいているのである。

コインの片面がより重要だと考えるのは間違っている。「私」はその内容が社会的空間(「私たち」)の中にこれ以上完全に吸収されることがない最小単位としての単なる点ではなく、社会的空間としての「私たち」も個々の「私」がたくさん集まっただけのものではない。実行する人がいなければ、実行は存在せず、実行がなければ、実行する人も存在しない。これは理解が難しいことがある。多くの場合「私」は「私たち」から自身を分離して、反抗しようとする(実存主義について考えて欲しい)。「私」はそれ自体が「私たち」の中に吸収されようとする場合もある(全体主義者が何を夢見ているかを考えて欲しい)。「私」は違うものであるふりをすることによって「私たち」から引き出される認識を操作しようとする場合もある(詐欺師について考えて欲しい)。こうした不完全な「私」と「私たち」は、歴史の中に様々な形で登場する。

3つ目は、人類も他のあらゆる種と同じように、その種の中の個人にとって物事が良いものになったり悪いものになったりする可能性があることだ。適切な土壌をを持たない木はその木が本来可能な程に繁茂することはない。適切な生活環境を持たないオオカミは本来あり得るべきオオカミになることはできない。同様に、自己意識を持つ人類は、家族的、社会的、文化的、政治的な環境を構築し、それによって私たち自身を新しく異なるより良いものにしていく可能性を確保している。しかし、私たちが自分たちでできることは、歴史の中の何処にいるかに依存している。あなたの高祖父の世代の人たちはコンピューター技術者になることを夢見ることは決してなかった。中世の村に住んでいた人たちは世界的ゴミ収集企業の中間管理職になりたいと考えることはなかった。「私」が誰であるかは常に「私たち」がすることに結び付けられている、だが、私たちの個々の行動を一般規則のような何かを個別に応用したものだと考えるのは間違いだ。これは、私たちが本当の意味で私たちになることはどういうことなのか、例えば友情を育むこと、チェスを覚えること、野菜の刻み方を学ぶこと、市民権を得ること、そうした方法を良きにつけ悪しきにつけ例示しているものと言うべきだろう。こうした意味で見られる行動の大半は、私がこれらのどれかを利用して繁栄することを可能にさせるものだ。それでも、私がこうした実行を例示する方法を設定するのは私自身であり、「私たち」全員がこの2つ(「私」と「私たち」)がどの程度上手く収束して分岐していくのかを見ることになる。

自己意識を持つ社会的な個人として、私たちは自分たちの生活の形を変えて古来のものに新しい意味を与えている(セックスや食べ物から複雑な礼儀作法まで)、それ故に私たちは新しい習慣を獲得して、驚くべき方法で動物的生活の輪郭を丸めて落ち着き、次に進む。これは多くの場合完全に平和的な過程にはならない。私たちは私たちがお互いに設置して適切に維持している社会的空間の中に社会的なアイデンティティを持つ個人として存在している。これらの社会的な関係の中には、純粋な腕力、服従、屈辱(主人と奴隷の関係のようなもの)に基づくものもある。戦争はありふれている。ヘーゲルは、歴史とはまるで巨大な食肉処理場のようなもので、何百万もの命と幸福を犠牲にしてきたと述べている。

「自己意識的に生きる」種としての方法で、それ自身を解釈し再解釈をすると、初めのうち歴史というのは少々陰鬱なものに思われる。文明や生活様式が生まれては失われ、古い生活は消えてなくなる。安定したものは何もない。ヘーゲルによる大胆な哲学的提案では、私たちはこの歴史の連続を、それぞれの人間の社会生活がその中に不安と緊張感を生み出す方法が現されたものとして見ているのだと主張する。この緊張感が非常に大きくなり、その生活の手法が最終的に生活者にとって理に適わないものになれば、その生活形式はすぐさま利用不可能なものになる。一度利用不可能になれば、それは崩壊し、バラバラになり、最後には別の生活形式に道を譲ることになる。崩壊した文化の瓦礫の中に住んでいる人々はまだ機能する断片を拾い集め、機能しない部分は破壊し、崩壊したものから新しい様式を作り上げていくことで新しい形の生活が現れる。彼らはその内部の緊張感と負担が崩壊に導くまで発展する社会を築き、その崩壊の後、そこから新しい「生活の形」が生み出される。全てのことは、歴史のこうした側面が自己意識的な生活の形態が変化することを構成していることを表している。ヘーゲルはこれを捉えるためにドイツ語のガイスト(Geist:「精神」や「心」の意味)という単語を選択する。ガイストは歴史を通して移動しながら、様々な方法で様々に形を変える、追い求める人にとっては動く標的になっている。この崩壊と刷新の話はヘーゲルによる歴史の弁証法である。

現在は忘れられてしまったドイツの哲学者、ハインリッヒ・モーリッツ・チャリベウス(1796-1862)はヘーゲルの歴史の弁証法とは「正・反・合(テーゼ・アンチテーゼ・シンテーゼ)」で表されることを多くの人に納得させたが、ヘーゲル自身は決してそのように言ってはいない。それだけでなく、概要を見ただけでも、ヘーゲルの見解にはチャリベウスの疑わしい公式よりも多くのことが含まれていることがわかる。

ヘーゲルは世界の歴史を見て「私」と「私たち」が時間を超えて形作っている方法に何かしらの論理があるかどうかを調査した。ガイストは少しでも良いものになっているのか? ヘーゲルは19世紀のヨーロッパ人として、アジア、アフリカ、アメリカの全ての文明をあまり評価しなかった。彼は、それらは全て彼自身が「政治的無神論」と呼ぶ特定の段階で行き詰まっていると考えていた。ヘーゲルの見解では、「政治的無神論」とは、指導者や王や皇帝の勅令を超えた裁判はあり得ないというものだ。皇帝が法律を発布し執行するとしても、それはまだ「ルール・バイ・ロー(Rule by law)」であり個人的なもので、「ルール・オブ・ロー(Rule of law)」としての非人格的な法の支配ではありえない。この「政治的無神論」の指針となる原則は1人だけ(指導者、皇帝など)が自由であるということだ。その人だけが自由に法律を発布し、他の人は法に従わなければならない。そしてその勅令の法を審査するよりためのものは存在しない。したがってその意味では「1人」(指導者、皇帝など)だけが自由であると言える。もちろん、この風刺的な見方は世界各地の社会についてよりも19世紀のヨーロッパ人たちの偏見について多くを語っている。だが、ヘーゲルの主張はより一般化できるものである。

ヘーゲルは、ある社会の中の1人だけが自由になることが出来るという考えを超えて、多数の人々によって共同で統治することが可能でありそうすべきだという大胆な考えに向かっていたのは古代ギリシャ世界でだけのことだと信じていた。人々はお互いに固有の特権を持たない等しい存在として向き合うことになる。さらに、当時のギリシャ人たちは、誰もが自分の社会的秩序の中のどこに位置しているかを知り、するべきことを知っていたのだとヘーゲルは考えていた。さらに人々は、各々が秩序の中のそれぞれの持ち場で要求を満たせば、その社会は美に調和したものになるとされていた。個人の特質と社会生活を合体させることは、平等な社会と自由市民の政治秩序の中だけで可能な全面的で完全な自由を得られることそのものと同じくらい良いことのはずだった。

しかし、このリンゴの中には虫がいた。ギリシャ人たちはこの自由を独立を意味するものとしても解したのだった。ある人の判断や行動が完全に独立したものになり得るのは、他の人が生活に必要なものを整えてくれる場合にのみ可能になるので、彼らは奴隷制と女性に対する抑圧に依存した世界に住まざるを得ないと考えていた。ギリシャ人の中にはこうしたものを不愉快に感じていた人もいたが、多くは単純にこの世界で避けられないものだと考えていた。それにも関わらず、ギリシャ人たちの不安感が彼らが作り出した芸術の中に劇的に現れたのをヘーゲルは見たのだった。

ヘーゲルが好んで例にあげるのはソポクレスの悲劇アンティゴネである。この演劇ではオイディプス王の息子たちと娘たちが不安定な境遇に追い込まれている。オイディプス王の2人の息子は王の後継の地位を巡って争う。戦いの中で両者が死に、彼らの伯父にあたるクレオンが支配者となる。クレオンは自身の甥たちの埋葬を禁じたが、彼の姪に当たるオイディプス王の娘アンティゴネは密かに埋葬を行う。彼女がそうしたのは妹としての絶対の務めであるからだが、彼女は同じようにクレオンの言うことは絶対であることも知っている(特に彼女は若い女性である)。アンティゴネは権利同士が交差した間に置かれている。さらに彼女は、自分がすることが求められていることについて、自分自身で判断をしてはならないという絶対的な要求も突き付けられている。これが彼女が人生の中で置かれた状況で、後にこの演劇の中で、これは彼女の自立性に対する不当な試練であることが非難される。

アンティゴネは通常女性には禁じられていることを成し遂げようとする情熱に取り憑かれている。彼女は自由を望み、平等なものとして認識される欲求を持っている。しかし、誰が彼女をそうと認める権限を持っているのだろうか?夫ではない(古代ギリシャではそうではない)。子供たちではない(彼女に子供がいたとしても)。妹ではない。彼女の兄たちだけがそれをすることができ、そして彼らは2人とも死んでいる。自由への情熱の中で、アンティゴネは既に死んだ兄たちからその許可を得るべく召喚を試みたりもする。そして、多くの人が知るようにこの演劇は悲劇的な最後を迎える。彼女の抵抗を通して、アンティゴネはギリシャの理想の中で間違っていたことを表している。それは一部の男性たちには平等を制定したが、それ以外の人たちにはそれを否定したことだった。それによってアンティゴネは排除された側の声となり、参加と認識を要求する。社会の1人として、平等な1人として、自由な1人として。彼女は「自由な人もいる」のにどうして自分は違うのか?と要求を突きつける。この作品は、おそらく古代ギリシャの観客に対して、彼らの社会の仕組み全体が無意味なのではないかという不安な感情を生み出しただろう。

古代ローマがギリシャを支配するようになった時、当初は初期ギリシャの失敗を置き換えるような理に適った生活様式が到着したかのように見えた。だが、ローマ自体が破滅した。古代が終わりに差し掛かり、キリスト教が帝国の宗教となり、自己意識的な生活への新しい考え方の種は既に蒔かれようとしていた。人間が唯一神の子であるならば、私たちは言わば皆兄弟姉妹ではないか。奴隷制と抑圧は地球上の制度で、偉大な世界では平等が定められているのだ。奴隷制や抑圧に対する反意の声は当初は明らかなものではなかったが、世界の各地でその審判のための種が蒔かれていたのだった。アンティゴネの要求は普遍的なものになりつつあった。

ギリシャの民主主義が消え去ったことによってヨーロッパ人は多かれ少なかれ時間を失ったというのがヘーゲルの見解だ。ローマの文化、ローマの法、そして何よりもローマの軍隊による力づくの姿勢が混合したものによって、自分自身を顧みることがないのが当然の社会に行きていることに感謝するような、感情的に疎外された世界に置き換えられてしまった。そうしてできた世界は不安定さとそれ自体の無意味さに対する恐怖の間で常にふらついたものになった。時にそれは完全な狂気に陥った。十字軍の愚行はその一例であり、さらに魔術に対する集団パニックを引き起こし、数多の女性たちを司法的に殺害することになった。ヘーゲルは、こうしたことは全て「自分たちが普遍的に無価値である感覚が世界を駆け巡った」ことが背景にあると指摘している。世界はある種の恐怖の中に生きることになり、感覚を失ったのだという。

1789年のフランス革命では自己疎外感、無価値感、そして支配した秩序の不正義に対する怒りが混合して発火し、古い形のつっかえ棒が取り除かれて疎外された生活形式はついに崩壊した。そして、過去に束縛されず、自然によっては少ししか縛られず、宗教からは完全に縛られないある種の自由を残したのだった。ヘーゲルの考えでは、当初の結果として、それは新しい世界を築くためのものを殆ど残すことができなかったという。わずかに、束縛のない自由についての極めて抽象的な考えと、おそらくは革命政府に対する支持を限定的にすることの教訓のようなものだけを残すことになった。しかし、恐怖政治時代(1793-1794)の短期的な暴政を経て事態は落ち着きを取り戻す。そして、1815年以降、革命の恩恵を受けることができる後戻りのできない秩序が徐々に実現することになる。そうヘーゲルは望んだのだった。

ヘーゲルが毎年7月14日にフランス革命を祝い、常にその賞賛を揺るがさなかったのは、フランス革命がヨーロッパの近代に於いて決定的な瞬間を表していると考えていたからだった。それは(かつてのギリシャやローマのような)「一部の人の自由」から「全ての人の自由」への歴史的実践であり、別な言い方をすれば、本質的には誰もが権威の支配下にいるわけではないということを現実のものにしたものだった。ある人種の人々が他の人種に支配されることはなく、女性は男性に支配されることはなく、農奴が地主に支配されることはなく、庶民は貴族に支配されることはない。人々が一度でもこの自由と平等の概念に触れたなら、魔神を壺に戻すことはできない。少なくとも理論上は本質的な従属による古来の秩序は存在しなくなった。それは、ガイストが進化したことによって、本質的な従属の考えが全く理に適わないものになったからである。

それに伴って、家庭生活のあり方から国家の構造まで全てが変化することになる(そこには、ヘーゲルが考えていた以上に、物事を行うための伝統的な方法に疑問を投げかけることも含まれていたが、ヘーゲルはそれを受け入れていた)。そしてそれは19世紀ヨーロッパの中で完全に例証されたものでもなかった。「全ての人の自由」は一瞬で抑圧が消えるという意味ではなかったが、全く新しい社会の構図が表舞台にデビューしたことを意味していた。更に最も重要なこととして、このことによって正義の概念に変化が齎された。正義とは、もはや永遠の世界秩序における形而上学的要素ではなく、市民の自由と平等の領域における最重要の美徳となったのだった。

革命の終焉と伴に、現代の世界は「生活形式」としての新しい形を示すことになった。一般的な生活水準についてのことだけでなく、17世紀のイギリスの哲学者ジョン・ロックによる抽象的な権利(生命、自由、財産)も広く知れ渡っていた。更に重要なことは、自分自身の属する小さな社会でだけでなく、誰にでも受け入れられるように生活することが現代の心理構成に取り入れられたことによって、道徳的な生活が作り出されたことだった。そのことがより具体的な活動や制度に埋め込まれたことによって、こうした特徴が実現されることになった。例えば、愛と友情の関係が絶対的に重要であるという価値観や、子供を育てて個人として独立させることを志向した家族の中で人は善良な市民になる。「ルール・オブ・ロー」としての法の支配が憲法上の原則となり、人々の地位は王族の持ち物から憲法上の国民へと永遠に変化した。そして、ヘーゲルが「市民社会」と呼ぶ、新たに発見された市場の生産力とその中の一連の制度を組み合わせた生活圏を確保することになった。その制度とは強大な資本主義の力によって基礎になっている愛と友情、市民と正義が食い尽くされ歪められてしまうことがないように緩和しておくものである。

ヘーゲルは人生最後の10年間、彼の見解である歴史の結末について徐々に心配するようになっていた。彼はヨーロッパ諸国がお互いに戦争をすることは今や完全な非合理であると学生たちに話している。彼は正しかったが、それが実現するかどうかについては間違っていた。また、彼は資本主義市場を市民社会の制度によって本当に緩和することができるのかどうについて徐々に悲観的になっていった(それが可能であるという考えを放棄したわけではなかった)。また、市場経済が駆り立てる過度の個人主義は市民社会全体を不可能にすることを心配していた。実際、ヘーゲルが1831年に哲学史の講義で話しているように、現代の超個人主義と有効で安定した社会と政治の必要性との不適合は衝突となって現れ、彼はこれを「結び目(Knot)」と呼び1830年以降度々言及している。競争の激しい市場経済が競争的なだけで必ずしも協力的でない社会を作り出す時、大衆は派閥に分断され、そのことで政府は一時的に支配的な立場にいるだけの派閥が唯一の派閥のように振る舞うため政府として機能しなくなる。これこそが、未来がどうやって解きほぐすのかを考えなければならない結び目なのだとヘーゲルは学生たちに向かって話し、それからわずか数カ月後に亡くなっている。

私たちは、過去の社会生活の形態の崩壊から、人間の行為に焦点を合わせて最終的により完全に近い哲学的概念を得る。歴史の中で作用するのは自己意識的なものであり、それは自己意識性の中では形而上学的に社会的である。つまり、自己意識は抽象的な行為を様々な生活形式の中で現実的で具体的なものにするが、そうした生活形式は歴史の中でそれ自体を次第に破壊していく。比喩的に言えばガイスト(「私たち」)は、全ての人が自由で平等であるという自己概念を自身に強制することによってこの結論に達していて、そこから合理的に後戻りすることはできない。過去に起こったものは全て崩壊しているのだから、「私たち」は今、公平な真実に新たな敬意を持って自分たちでその考えを実現する方法を考えざるを得なくなっている。「私たち」は植民地主義、人種差別、性差別、そして自然環境への無関心、こうしたものが、自分たちが取ってきた考えとは相反していることをわかっているはずだ。

「私たち」が今、古代ギリシャの民主的なポリスから近世ヨーロッパの疎外された自己、そして革命期後の「全ての人の自由」という概念までを通して世界の歴史から哲学的にかつ実践的に学んだことは、まさに自由と平等という考え方が、私たちに対して「私たち」によって強制されてきたということだ。では「私たち」は最終的にそこから何処へ行こうとしているのだろう? 哲学はそのことを教えてはくれないとヘーゲルは言う。知恵の女神ミネルヴァのフクロウは太陽が沈んだ後にだけ飛ぶ。自由と平等は譲れないもののままで、そこには全ての人が含まれることが求められている。結び付けられたままの結び目の全てを解きほぐす方法を考え続けなければならない。

0 件のコメント:

コメントを投稿