2019年1月5日土曜日

悪魔とのやり取りが医療の一部だった時代


近世の時代には教会による癒しと医学による治療行為との境界線は「聖職者」と「医師」という言葉から得られる印象よりもずっと流動的なものだった


The Conversation
Laura Sumrall
January 3, 2019

近世の時代1566年の冬、アムステルダムでは30人の子供たちが恐ろしい病気の兆候を見せていた。その症状はなんの前触れもなく襲ってきた。子供たちは最初に狂乱状態になり、その後地面に倒れて激しく痙攣を起こした。そして意識を取り戻すと記憶を失っていた。

この時点で既に悪魔の仕業のように見えていたが、子供たちがピンやガラスの破片のような不思議なものを嘔吐し始めたためその疑いは更に拡大されることになった。これは集団的な悪魔憑きのように見えるものだ。おそらく何度も悪魔祓いが試みられたはずだが、同時に悪魔による攻撃の影響を軽減するために医師による専門知識が求めらることも多かった。

その後間もなく、クレーフェ公国の近くに住む経験ある医師ヨハン・ウェイエルがこの集団悪魔憑きを聞きつけ、ヘルダーラントの知事を通してこの件に協力することになった。彼は医師としてこの事件に興味を持っていた。ウェイエル自身は子供たちが不思議なものを嘔吐したことについては信じていなかったが、その件を目撃した信頼できる担当者に疑問を持つことはしなかった。彼は悪魔の仕業であることも否定しなかった。

彼はその代わり、悪魔が昔から騙す行為を働いてきたことを強調するために悪魔の力の範囲を再解釈した。異常な嘔吐は悪魔が作り出した幻想であり、実際の病気が悪魔によって装飾されているのだと主張した。

ウェイエルの見立てを聞いても当時の人々はそれを信じ切ることはできなかった。この医師の見解は直ぐに悪魔の仕業に対する不可解なほどの信頼性によって反論を受ける。私たちはこれについて「だけど、実際には何が起こったの?」と聞きたくなる。昔の悪魔憑きの事例については多くの説明がされている。多くは現代医学によって分類しようとするものや、(近世でも真剣に考えられていた)詐欺行為の可能性を指摘するものである。

だがこの件は、近世の時代に於ける治療行為という意味では、より大きくて複雑なものの限られた一部を表しているに過ぎない。この時代は、自然界に於ける悪魔の仕業に対する信仰心が高まったことによって、病気に対する理解と経験が真の意味で形作られた時期だった。


悪魔憑きの認識


ウェイエルによるアムステルダムでの集団悪魔憑きについての説明は、彼の著書「On the Illusions of Demons」の1568年版で悪魔の力に関する広範な論評の中で少しだけ書かれている。彼のように悪魔の仕業に疑問を持っていた医師たちが残した特徴的な症状についての記録は数多く残されている。

体の痛みや痙攣と言った生理学的な症状に加えて、隠されていた知識を語りだす、予言を話す、更に(別人の声で)話せないはずの言語を話すことなど、より示唆的な心理的兆候が見られていた。悪魔憑きに関する報告には奇妙なものの排出が含まれていることが多く、極端な場合にはナイフやウナギなども含まれている。こうした異常な症状があったとしても、常に簡単に悪魔による仕業だと診断されていたわけではない。

ウェイエルによる記録は、彼の時代に悪魔が活動すると考えられていた多様な方法について私たちに多くのことを伝えている。悪魔が活躍するのは幻想と現実の両方の中であり、更にその時代における複雑な薬学の手法の中にも入り込んでいた。悪魔は「この世界の王子(prince of this world)」であるとも言われるが、まさにそう考えられていた。悪魔とその悪魔的な力は真の意味で超自然的な力を振るうというよりは、しばしば人間の理解を超えたことが起こる自然の中で活動することに限定されていると理解されていた。こうした自然の力には、人間の健康を左右すると信じられていた4つの体液を操作する能力も含まれていた。これはつまり、理論上はどんな自然な病気も悪魔の手によるものだという説明を可能にするものだった。

悪魔の仕業の可能性は通常、自然の治療薬に効果がないことが判明するまでは考慮されることはなかったが、薬に効果がないことで無条件に悪魔が原因とされたわけでもなかった。体の痙攣はてんかんのような自然の病気と関連していることは知られていて、てんかんは予測不可能、慢性、そして不治である可能性も理解されていた。医師たちにとって悪魔の仕業は単に説明不能の病気を説明するためのものというわけではなく、他のケースでは完全に自然な病気と診断される可能性のある病気についての多くの説明のうちの1つになっていた。

悪魔の活動は聖職者の専門分野であったが、悪魔憑きに関連する心身相関の症状については純粋に自然が原因となっている可能性を診断するための医師による専門知識も必要とされていたのだった。


悪魔憑きの治療


現在と同じように近世の医学的な診断も難しさに満ちたものだった。優秀な医師の数は少なく、診断を受けるのは高価であり、長い間の常識として殆どの治療行為は各家庭や近所の内で行われるものだった。深刻な病気の場合には、医師による不確実な診断を受けて治療不能だと診断されるよりも、聖職者に助けを求める方が好まれた。聖職者たちは優秀な医師よりも遥かに身近にいて、体長の悪い人たちがそれと付き合うことを助けることに長けていた。

そして実際に教会による癒しと医学との境界線は「聖職者」と「医師」という言葉から得られる印象よりもずっと流動的なものだった。この境界は悪魔祓いに於いては常にお互いに行き来するもので、悪魔による痛みへの対処として医療や薬と祈りが処方されたのだった。

ウェイエルは、アムステルダムでの集団悪魔憑きの極端な症状の殆どは幻想であり、それ以外の症状、つまり一般的に言う悪魔的な苦痛というものは医学的に介入しやすいものであると結論づけている。彼にとって悪魔の仕業とは、診断と治療をする際の微妙な交渉で使う現実的な一要素だった。彼が悪魔の活動の自然なメカニズムを理解していたことは、当時の医師は悪魔的な苦痛に対処する役割を常に担っていたことを意味している。

それから400年以上が経った現在、アメリカのカソリックの聖職者たちは毎年数千回に渡り悪魔祓いの儀式を要請されると伝えられる。現代の聖職者たちが精神衛生の専門家に対して最初に求めるのは、まるでウェイエルの時代に起きていたような精神衛生と悪魔祓いとの連続性は誤りであることをまず示して欲しいということだという。その点で悪魔憑きの報告を受ける現代の専門家たちの対応は近世時代の前任者たちと一致している。まず医者に連絡するべきだということである。

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