2012年3月3日土曜日

「信じれば夢はかならず叶う」

信じれば夢はかならず叶う」というのは言葉としてはよく聞くけれど、どういう意味なのか。

個人的に「夢」というとこの写真みたいなイメージ。

先日、twitter で見かけた togetter の纏め。


この話を興味深く読んだ。こういう話は誰の経験も有意義で誰の話にも全く異論はない。結局は「あきらめる、あきらめない」「夢はかなう、かなわない」という二者択一的な話ではないし、人それぞれのケースがあることだと思う。

この「あきらめなければ〜」ということにも通じるかと思うのだが、「信じれば夢はかならず叶う」「信じる者は救われる」という言葉の意味について考えた。

個人的に僕は若い頃どころか子供の頃から「信じれば夢はかならず叶う」なんて言うのは虚言でアホみたいだと思っていた。そう思った時点で既に「信じていない」わけで、僕に夢があったとしてもその時点で脱落している。こう言うとどこか詭弁に近くなるけれどそれは結構人生を有意義に生きる鍵だったと思う。

実際自分がやっていることが将来本当に何かに役立つと信じて努力することは難しい。どのタイミングでも「才能の無いことを無駄に続けないで諦めて他のことをやれ」と言われたら普通は簡単に挫けるし、そういう言葉は必ず耳に入ってくる。その反対の意味で「信じれば夢はかならず叶う」と言う人もいるということ。

「本気で努力をすることはどんな努力でも人生で無駄になることはないのだから信じて努力しよう」というのが、スティーブ・ジョブズの「点と線」の話なのだと思う。その努力をするためには「信じることが必要」で、それが難しい。『何かを信じなければならない。直感、運命、人生、カルマ、その他何でも』とにかく何かを信じて努力をしようとジョブズは言った。

特に情報が氾濫している現代で騙されないこと疑うことは大事だ。しかし、そればかり考えて何かを信じることをやめてしまうことは努力することの妨げになるだけでなく、全ての人間関係に影響して人間としての生活が成り立たなくなってしまう。そのことは何かを信じて騙されるより危険なことなのかもしれない。

結局僕には「信じれば夢はかならず叶う」は嘘か本当かはわからないけれど、この言葉で大事なのは「夢」ではなく「信」の方なのだと思う。最終的に叶うことは当初の「夢」とは違うものかもしれないが、自分の才能か、夢か、カルマか、運命か、何かを信じてする本気の努力は絶対に無駄にならないということが「信じれば夢はかならず叶う」或いは「信じる者は救われる」という言葉の意味なのだと今は思っている。

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