2017年10月17日火曜日

読書:海鳴り




藤沢周平著

数年前に買ってすぐ読んだが、最近読み直したので感想を。一度読んで面白いと思ったが数年間もう一度読み返してみようとは思わなかった。しかし印象に強く残っていた小説である。



「海鳴り」は私が読んだ藤沢周平の作品の中では少々異色で剣豪が出てこない、そして「人が死なない」(微妙なところはあるのだが)小説である。藤沢周平に限らず私が読む小説で人が1人も死なないというのは極めて珍しい。


あらすじは----
小野屋新兵衛は江戸の紙問屋を一代で築き上げた商人で46歳。紙商いの世界は厳しいが新兵衛の商売は順調であり商売のことなら負けないという自信もある。しかし妻との関係は冷えていて年頃の子供のことに悩みは尽きない。中年になり老いを感じるようになった新兵衛は自分の人生はこれで良かったのかと考え始める。

そんな時に同業者山科屋のおかみ「おこう」が道中で動けなくなっているところを偶然目にし、介抱した場面を言い訳のできない誤解をうけそうな形で人に見られ、密通について脅しをかけられる。その脅しへの対応を話し合うためにおこうと密かに面会を続けるうちに本当にお互いに惹かれあうようになり、逢瀬を重ねるようになる。

同時に江戸の紙問屋の寄り合いで一部の大店が強引に大店有利な流通販売方法を取り決めようと策謀が渦巻く中で新兵衛の店が大店に狙い撃ちにされている話が進行する。新兵衛と同世代の商売仲間、商売敵、友人らがそれぞれ抱えた商売と家族についての悩みも交錯する。



中年から初老を迎えようという人々の焦りが大きなテーマになっていて、どこか寂しさが付き纏い次々と面倒な問題が新兵衛を取り巻いていくのだが、全体としては必ずしも暗い印象ではない。しかし藤沢周平の後の作品に見られるようなクスッとさせられるような場面があるわけではない。

新兵衛と「おこう」の関係が話の中心だが、江戸の紙問屋としての紙漉屋、仲買い、卸先を巻き込んだ商売の話も複雑で面白い。

新兵衛が紙問屋寄り合いの世話役に呼び出されて問い詰められた時も、恐喝者である同業者の塙屋彦介とのやりとりも商人同士の言葉のやり取りが緊張感を持って書かれている。武家の人間が出てこないので刀を抜いて斬り合うようなシーンは全くなく、藤沢周平が庶民を描いた作品にはよく出てくる「匕首」も一度も登場しなかった。あくまで頭と言葉で勝負する商人の世界を強調したかったのではないだろうか。

また、新兵衛とおこうのいわゆる「濡れ場」も他の藤沢周平の小説に比べると何度も詳細に書かれていて、読み手にも大人を意識させる小説である。


この話の登場人物は主体である新兵衛の目線で紹介されているのだが、私自身が読み終わってみて「おこう」を思う時にどうしても顔が思いつかない、なんとなく艶っぽい後ろ姿は想像できるが、顔と人間としての全体像を想像できない。

劇中特に姿の描写がないという話ではなく、おこうは一貫してブレずに新兵衛に想いを寄せる。今の自分の境遇に苦しんでいることが紹介され、最初から今の生活を捨てることへの葛藤のようなものは感じられない。その姿は魅力的だが人間臭くはなく、リアリティがないという意味ではなく、新兵衛の理想を形にした存在として描写され、個人としての彼女は見えてこない。

それはおこうにのぼせ上がった新兵衛の目線から描かれているからで、過去に若い妾を囲ったことで新兵衛を恨み、隙あらば嫌味を言おうとする新兵衛の妻「おたき」や、その若い妾であり今は小料理屋の女将になっている「おみね」の方が読み手としてはどんな人なのかを頭の中に形作り易い。

逆に自分のこの感想を考え直してみると、新兵衛がいかにおこうに惹かれているか、理想の存在か、ということが藤沢周平によっていかに上手く描写されているかということがわかるのである。


「海鳴り」という表題は、若かりし新兵衛が仕事で出かけた道中、湘南の海岸で沖を大風が通る音、「海鳴り」、を聞いたことから来ている。この音を聞いた新兵衛は「急に恐ろしくなって小走りに街道を走」るのである。そしてその場にいた老人にこの後「大荒れになるぞ」と言われ、その通り雨交じりの強い風に撃たれる。

新兵衛は自分の店が大店の標的にされていることに気づき考えながら歩いている、歩く先は恐喝者塙屋彦介との話し合いの場所である、その道すがら湘南の海辺で聞いた不安を掻き立てる音「海鳴り」を聞くのである。


むろん海鳴りの音が聞こえるはずはなかった。そこは神田馬喰町の人ごみの中で、日が暮れかけた道を、町のざわめきが満たしているだけだった。海鳴りと聞いたのは、ひょっとしたら、新兵衛の胸に芽ばえた、不吉な予感がざわめき合う音だったかもしれない。

そしてこの後の面会で彦介を丸め込んだ新兵衛は「おこう」にのめり込んでいくことになるのである。商売のこと、恐喝のことに対する不吉な予感、それだけでなくこの本の主題である中年になった自分の将来、老齢、死に向かう時の休まない流れが沖を通る大風とその音「海鳴り」に重なったのではなかろうか。

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