2017年4月16日日曜日

伝説の悪女

岡本綺堂作「玉藻の前」(青空文庫)という話を読んだ。玉藻前(たまものまえ)そのものは伝説上の人物であり、美しさを武器に鳥羽上皇に取り入るが、妖狐の化身であることがばれて成敗される人である。その玉藻前について岡本綺堂が書いた話だったが、これが非常に面白かった。




もちろん前提の題意にそった話なのだが、玉藻前が朝廷に上がる前、藻女(みくずめ)と呼ばれた子どもの頃から書かれた話で、その幼馴染である少年千枝松(後の千枝太郎)との関係が話の中心になっている。千枝松は烏帽子折り(烏帽子を作る職人)の家系の子だが、最終的には陰陽師となり妖狐に見込まれた玉藻前と対峙する形になっていく。

宮廷に入ってからの玉藻は悪女らしく讒言で離間を試み、時には力づくで人を亡き者にして宮廷を混乱に陥れていく。平安時代の宮廷の華やかさと玉藻の艶っぽく妖しい姿も魅力的に描かれている。玉藻は女嫌いの高僧阿闍梨に無理に面会し、聡明さで阿闍梨を納得させる。その阿闍梨はその時から玉藻の姿が頭から離れなくなり、祈りを捧げる阿弥陀如来像の顔がどうしても玉藻に見えてしまう、そしてついには発狂する、というくだりは物凄い迫力である。

彼はいつものように観音経を誦し出そうとしたが、不思議に喉が押し詰まったようで、唱え馴れた経文がどうしても口に出なかった。胸は怪しくとどろいてきた。ふと見上げると、正面の阿弥陀如来の尊いお顔がいつの間にか玉藻のあでやかなる笑顔と変わっていた。阿闍梨は物に憑かれたようにわなわなと顫え出した。彼はもう堪まらなくなって、物狂おしいほどの大きい声で弟子の僧たちを呼びあつめた。

いろいろの手段によって漲り起こる妄想を打ち消そうとあせったが、それもこれも無駄であった。あせればあせるほど、彼の道心をとろかすような強い強い業火は胸いっぱいに燃え拡がって、玉藻のすがたは阿闍梨の眼先きを離れなかった。日ごろ嘲り笑っていた志賀寺の上人の執着も、今や我が身の上となったかと思うと、阿闍梨はあまりの浅ましさと情けなさに涙がこぼれた。庭の上にも阿闍梨の涙とおなじような雨がほろほろと降ってきた。
彼は法衣の袖に涙を払って、もう一度恐る恐るみあげると、如来のお顔はやはり美しい玉藻であった。一代の名僧の尊い魂はこうして無残にとろけていった。

最終的には当然玉藻は成敗されてしまう。稀代の妖女の生き様を怪奇談として丁寧に描かれた話ではあるが、玉藻は妖狐に憑かれ、もはや妖そのものに成り果てても千枝松のことは最後まで忘れず、その千枝松もその気持ちに応えてこの話は終わる。孝行で美しい少女であった藻はなぜ玉藻になって宮廷を混乱させる必要があったのか、その運命が哀れに思われるのだが、千枝松の存在と終わり方に少し救われるのである。

しょせんは妖魔が現われて国を傾くるのでない、国がすでに傾かんとすればこそ妖魔が現わるるのじゃ




この玉藻前という人を最初に知ったのは藤子F不二雄が書いた「T . P(タイムパトロール)ぼん」の中にまさにこの人が出てくる。



「妖狐として成敗された玉藻前を助けに行く」というのがタイムパトロールに課せられた仕事である。帝が「狐が見える」と言い出すのは脳の病気でこれはリームが治療して事なきを得るが、政争に巻き込まれた玉藻前は陰陽師による「集団催眠」により妖狐であると濡れ衣を着せられ、追われる立場にされてしまう。そこにリームと”ぼん”は九尾の狐をホログラムで出現させる。ホログラムは弓で討たれて見せ、玉藻を追手から逃がすのである。

この話は一貫して玉藻には悪性も妖怪じみたところも全くなく、政争の中で周りの悪意によって妖狐として仕立てられてしまった玉藻を窮地からタイムパトロールが救い出すというものになっている。そのあたり理由もなく超自然的なことを認めないSF漫画家としての藤子F不二雄らしい。あくまで伝説が作られた経緯を読み解く。

子供の頃から何度も読んでいるが、今読み返してみると、陰陽師安倍泰親の名前も出ていて、那須の殺生石伝説についての説明も詳しい(政争の内容は若干混乱しているようにも見える)。”ぼん”のおばあちゃんが「うちの近くじゃ」と言っているので”ぼん”の父親が那須の出身だったということがわかる。兵士に追われた玉藻を爺が背負って逃げるところで爺の足を文字通り「グサ」と矢が貫くシーンがあるのだが、よく見るとその後ちゃんと足から矢は抜けたようで安心した。

つまり玉藻の前は宮中の勢力争いに巻き込まれた可哀想な人なのよ

「T.Pぼん」はどの話も基本的に歴史の中にいる可哀想な人をT.Pが救出する話だが、玉藻前も最後まで理不尽に扱われた可哀想な人で、リームと”ぼん”によって救われる。狐は全く無関係である。





玉藻前に憑いた妖狐にはいくつも前科があるらしい。その中に中国、殷王朝の紂王に愛された「妲己」と周の幽王の后である「褒姒」が含まれている。

「妲己」と「褒姒」は古代中国に現れる傾国の美女を代表する人たちである。この二人の前に夏王朝の最後の王である桀王に愛され、そして夏王朝を滅亡に導くことになる「妺嬉」という女性がいる。夏を滅ぼすことになった「妺嬉」、夏を滅ぼした殷(商)を滅ぼすことになる「妲己」、殷を滅ぼした周を滅ぼすことになる「褒姒」、この3人、3回の傾国の美女の話はよく似ている。



宮城谷昌光はそれぞれ彼女達の時代の小説を書いているが、夏王朝を滅ぼした中心人物である伊尹(いいん)についての小説「天空の舟」では妺嬉について印象的な扱いをしている。小国の王女である妺嬉は美しく活動的であり、人民思いで誇り高く、男勝りなところもある人として描かれる。そして、自国の人民を救うために桀王に自らを贈り物として差し出すのである。

妺嬉は桀王の寵愛を受け、様々な悪事を行ったとされる。その中の一つに「絹を裂いて喜ぶ」というのがある。高価な絹を裂く音を聞いて喜んでいたという。この話は「天空の舟」では伊尹がこう解説している

繒のような奢侈なものは破り棄てて、質実に経世に着手なさるべきだと、王にご一考をうながされたのでしょう

「天空の舟」での妺嬉はどこまでも国を憂い人を憂う高潔な人物として描かれていて、作者の思い入れが伝わる。


玉藻前にしても、妺嬉にしても悪名が今の世に伝えられる人たちだが、この3作はその彼女たちに近現代の作家がそれぞれの形であてた光の優しさが美しいと思って並べてみたくなった。

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