2009年6月22日月曜日
「グズ」の習慣が直る本(新講社)
和田秀樹著
自分が「グズ」かどうかなんて考えるまでもないと思ってたんで、考えたこともなかったですが、せっかく読んだので、自分に合わせて考えてみる。この本で言う「グズ」とは「どういうわけか仕事が遅い、要領が悪い、やろうと思っていることがなかなか実行できない、そしてあちこち不義理をしてしまう」人だそうです。
最初に「グズ」が類型化されている。「単純なことを複雑に考えすぎる」「行動しない自分に言い訳して納得する」「完璧主義で中身を気にして完成しない」等々挙げられている。もちろん自分に照らし合わせれば言葉の使い方に違和感はあるが、殆ど当てはまる。いかにも「グズ」らしい発想だが、人間殆ど当てはまるんじゃないのかと私は思うのだが、もしかしてそうじゃないのか。
究極のやらない理由、「今はその気にならない」というのは私もよく使う。セールスを断るときに使って、セールスマン(ウーマン)に突っ込まれたことが何度かある。
中身はどうでも良いから、とにかく行動しよう、というのは少々極端な気もするがこう何度も言われると説得力がある。やる気にならないなら、自分へのご褒美を考えよう、思いつかないなら、それを探すところから行動を始めろ、という、もう納得したとしか言い様が無い。
そうは言っても、と言いたい事はあるんだが、今からそのようにします、ということで感想を書き込んだ次第。
2009年6月21日日曜日
マルクスは生きている(平凡社新書)
不破哲三著
前の共産党議長だった、不破さんの書いた本。マルクスについて書いた本が本屋さんのコーナーの一部に何冊かまとまっていたが、ぜんぜん知らない人が書いたものよりは良いか、と思って購入。
私はマルクス自体に興味はあって、何冊か本も読んだ覚えがある。大学時代には「マルクス経済学」という土曜日にやってる授業に出ていた覚えもある。しかし何故か殆どその核心部分を覚えていない(教授の余談は覚えている)。その意味で比較的簡単に纏められたこの本は私向きの本だったかもしれない。
マルクスは資本主義社会に於いて労働者が搾取されるのは資本家(経営者)の善意とか悪意によるものではなく、「資本主義」が労働者を搾取することを資本家に強制するのだ、という。利潤第一主義で考えていけば、労働者に対する賃金の支払いは最小限にすることが当然のはず。
生産者が利潤第一主義を徹底することが、即ち労働者が困窮しやすい状況であることになる。消費者側から見ると、消費者というのは殆どが労働者なわけで、この生産と消費の関係は矛盾がある。
そう単純に考えていいものかどうかわからないが、確かに最近陥ってる傾向はこんな感じのような気もする。実際に経営者に「お前の会社の社員は消費者でもあるんだからもっと休みをやって、給料を上げてやれ」というのは現実的ではない、というのは想像できる。どこかで線を引くのは政府の仕事、ということで社会主義的な考え方、というのがわかったような気になる。
マルクスは資本主義が斃れ、共産主義・社会主義(この2つはマルクスにとっては同じ意味らしい、レーニンは区別したそうだ)の時代が来るのは100年も前のことと考えていたようだが、今こそその時が近づいてるんじゃないか、というのが不破さんの期待のようでした。
未来については、「労働者が長時間労働から解放され、自由な時間を使って自分の肉体的精神的な開発をし、能力を発揮する」云々は現実から離れすぎてる感じがあるし、エンゲルスの書に「人間は歴史を自分で計画的に作るようになる」なんて話もあるんですが、それはちょっと怖いような気もする。
決してこの本の評価は低くないですが、次マルクスについて読むときは日本共産党関係者じゃない人の本にしよう、とちょっと思いました。
2009年6月14日日曜日
告白(双葉社)
湊かなえ著
売れてる本だから、と言って、買って読むような習慣はないんですが、ちょっとした外圧から読むことになりました。まあ賛否両論ありそうな本だ、という予備知識はあって読み始めました。
ある中学校で起きた事件について、関わった人達が章ごとに一人称で「告白」していくというものです。非常に読みやすく、決して読むスピードの速くない私もすぐに読み終わりました。
しかし、後味は悪い。何故悪いのか?
各登場人物の行動が陰鬱すぎる。告白した結果起こす行動が反社会的で奇異過ぎて、その行動についての設定に無理があり、説明不足になっているところもいくつもある。結果奇行に奇行を重ねて最後はなんだかよくわからない。全部夢だった、とかにしてくれた方が良かったんじゃないの、と思ったくらいでした。
今、読み終わって少し考えてみるとこの本は、「何故社会には『裁判』という制度が必要なのか」、ということが言いたいだけの本なんじゃないかと思いついた。そうなら後味が悪いのは当然。第二章で「告白」してる人が中で述べていて、読み終わって納得したのはこの部分だけだった。
このくらいの引用は良いでしょう。
--どんな残忍な犯罪者に対しても、裁判は必要なのではないか、と思うのです。それは決して、犯罪者のためにではありません。裁判は、世の中の凡人を勘違いさせ、暴走させるのを食い止めるために必要だと思うのです。--
裁判が加害者、被害者どっちのために必要なのかは別な議論が必要かと思いますが、この部分は真実でしょう。この本の出発点はある犯罪行為なんですが、それを被害者側が警察に訴えなかった(裁判にしなかった)ことが全ての登場人物の陰鬱な行動を引き起こしていく、と考えると簡単に納得できます。
そう思うと決して全体として低く評価すべき本ではないのかもしれません。それでも少々設定に無理があるとは思いますが。
個人的にこの本について後味が悪いのは別な理由もあるんですが、それを書き始めると私自身の「告白」になってしまいそうなんでやめておきます。
2009年6月7日日曜日
ジョギング
移動してから休んでいたジョギングを再開しようということで、道はよくわからないがとりあえず走ってみることに。
10数分走って「宝仙寺前交差点」というところでUターン。信号を渡って反対側の歩道を帰ったら、いつの間にか違う道路を走っていた、知らない土地は侮れない・・・。
何はともあれ丁度良い距離だということで、次回も同じ「宝仙寺前交差点」でUターンしようと思ったが、せっかくなら「宝仙寺」を見ていくべきじゃないかと気づいた。
行って見るとこれが立派なお寺で迫力のある仁王像が閉まった門のすぐ中に見えた。ホームページによれば、かなり由緒のあるお寺のようです。
あんまり内容と関係ないけど、一句、
ジョギングの 最初と最後は エレベーター
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