2009年7月18日土曜日

憲法ってこういうものだったのか!(ユビキタ・スタジオ)


姜尚中 寺脇研

 「悩む力」「日曜美術館」の姜尚中氏と、「ゆとり教育」を推進したという元文部官僚寺脇研氏の対談形式の本。

 学校で日本国憲法を習うとき、その「三原則」として「国民主権」「基本的人権の尊重」「平和主義」というのが説明される。よく教科書には、3本柱のギリシャの神殿のようなものの柱にこの三原則が書かれていて、その上に日本国憲法なり、あるいは日本国そのものなりがのっかっているような図が書かれている。このイメージは実はわかりにくくて、本来は三脚のようなイメージが正しいはずで、一本抜くと三次元世界では安定を失って倒れてしまうというもののはずだ。ちなみに、壁にポスターを貼ったときは画鋲は2つで安定するのは壁が2次元世界だから。ヒラヒラするだろ、ってな考えは3次元だから。
 この三本に支えられて、日本国憲法は成り立っている、とされている。別に異論はないが、特にこのことに法的根拠はないと思う。それは良いとして、この本ではそれ以外にも憲法の中で章同士、条文同士に密接な相関性があるものだ、という話をしている。例えば、1章「天皇」と2章「戦争の放棄」はセットで考えるべきだと言う。確かに成り立ちから考えれば日本の武装解除と天皇中心の国体の維持というのはセットで考えられるものだったはず。この二人は現代においても平和維持に天皇は重要な役割を持っているという。それは私にはよくわからないが、例えかつての帝国時代の再来を恐れて天皇を廃したところで、混乱は生じてもあまり良いことがありそうもないのはよくわかる。
 大日本帝国憲法から、日本国憲法に憲法が換わったとき、帝国憲法の改正手続きにのっとって行われたらしいが、そもそも憲法の根幹に関わるものをすべてひっくり返すような憲法改正を行うことは可能なのか、という議論があり、「8月革命説」というのが私の知っている憲法学では通説になっていたはず。このこともあって、帝国憲法時代と日本国憲法の現代、戦前、戦中と戦後というのはかなり大きく断絶しているように感じられる。戦前確かに天皇は国民に崇められていたが、当時の超エリート層はそうでもなかったんじゃないか?というのが寺脇氏の話で、それで、安倍晋三(岸信介の孫)、麻生太郎(吉田茂の孫)は天皇を蔑ろにして、靖国神社に参拝なんかするんじゃないか?とのこと。
 個人的に私も昔から帝国憲法の時代と日本国憲法の現代の断絶というのは思い込みがあって、戦前というのは言論統制があって、なにかあると憲兵がやってきて、というような暗くて恐ろしい時代を想像しがちだ。この本にも書いてあるけれど、実はみんながみんなそうではなかったはず。だから、帝国憲法の時代も良い時代だった、ということではなくてそのときを切り取れば普通の生活をみんなしていたはず。普通の生活の中から後から見るおかしい状態になっていった、ということ。歴史のなかで、今から見ればヒステリーのように戦争に傾いていったり、侵略をしかけていったり、というのは暗い、苦しい時代の中からおこることではなくて、普通の生活のあったなかで起ったことというのを私たちは理解しておかないといけない。今は戦後か、戦前か?

 この寺脇研さんという人は言葉使いとして、「護憲派」「左翼」「社会主義者」というのがよっぽど嫌いらしくて、全部ひとまとめにこれらを批判するのがあくまで言葉遣いとしてちょと鼻についた。言ってることは殆ど頷けることばかりなのだけれど、私は自分が「護憲派」で「社会主義者」だと自負しているので。「左翼」はちょっと意味がわからないので置いておく。

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