2009年12月28日月曜日

流石に放置しすぎ。

何か書きたいんだけど、少し長い文章を書こうとすると頭を使うのでどうしても後回しにしてしまう。この辺が僕の悪い癖。

2009年8月2日日曜日

故事成語でわかる経済学のキーワード(中公新書)



梶井厚志著

 表題の通り、「覆水盆に返らず」から「泣いて馬謖を斬る」まで全部で28の中国の故事成語を経済学のキーワードに当てはめてみるという本です。
 「覆水盆に返らず」はもともと太公望の妻が復縁を迫った時に太公望が言い放った言葉だそうです。まあ以前にも聞いたことがあったような気もしますが、案外くだらない出典だったことが驚きです。ここから、既に回収不能なコストのことを経済用語で「サンク・コスト(sunk cost):埋没費用」と言う、というような感じで話が進められていきます。人生訓としては、このサンク・コストを無視するとその後に適切な判断ができるようになる、とのこと。例として挙げられているのは、コンサートのチケットを買ったけど、コンサート当日に風邪を引いてしまった場合。この場合は、コンサートのチケット代がもったいない、という観点を排除して考えると正しい判断ができる、ということです。
 経済学の中で人間の心理というのは大きな要素だと思うんですが、そこに故事成語の教訓を当てはめて考えてみるというのは凄く面白い発想だと思います。ちょっと感想が書きにくいのですが、本としては非常にお勧めです。

2009年7月26日日曜日

「エビデンス主義」ー統計数値から常識のウソを見抜く(角川SSC新書)




和田秀樹著

 以前の「グズ」の本で私を励ましてくれた和田秀樹さんの本。医学界で言うEBM(Evidence Based Medicine)をもとに世間一般の常識を見直してみようという本です。
 アメリカでこのEBM、「エビデンス主義」が発達したのはシステム的な理由がある。民間保険会社が医療費を払うため、保険会社に雇われた医者が必死で施された治療の中に無駄を探すそうです。医者が患者でなく保険会社を向いているのはけしからんが、と和田さんは断りをいれてますが、その結果、治療する医師もなんらかの根拠をもって治療なり投薬の処方なりをすることになり、結果的には患者の利益につながっているという。それと比較して日本の医学界ではエビデンスを重視する姿勢が希薄で、過剰な治療や投薬が放置されている状態になっている、と指摘しています。
 この「エビデンス主義」をエビデンス・ベースド・シンキングとして社会一般に広まっている常識についても考えて見る、というのがこの本の趣旨です。いわゆるマスコミの報道は、珍しいもの、ごくまれなケースを大きく取り上げるものです。特にテレビはそれを大々的にとりあげ、繰り返し報道することで、もっともらしい理論ができあがってしまう。そしてそれが世間で常識として認知されてしまうと、人はそれについて正しいことかどうか判断しなくなる。マスコミで偉そうな肩書きのついた人の口から語られる「もっともらしい理屈」を「疑ってみる」意識と、「都合の悪い事実を無視しない」姿勢が大事だと解いておられます。
 この本で和田さんが言う「エビデンス(evidence:証拠、根拠)」とは副題の通り、統計数値のことでなかなか興味深い事例とそれを証明した統計数値が数多く書かれています。個人的に印象的だったのは「自殺報道が自殺者数に影響する」という話で、それ自体は確かにそんな気も経験上しますが、統計数値上影響すると見ることができるそうです。これについてWHO(世界保健機関)が自殺の報道について、「写真や遺書を公開しない」「自殺手段の詳細を報道しない」「自殺理由を単純化して報道しない」等、の勧告を出していて、殆どの先進国はそれに従っているそうですが、日本は従っていません。その結果日本でも若年層の自殺がセンセーショナルに報道された年には同世代の自殺が増える、という統計数値が出ているそうです。
 後半「EBM」をもとにした「エビデンス主義」を振りかざして世間の常識に各論的に切り込んでいく、というのを期待してたんですが、それとはちょっと異なる展開で、マスコミ、政府の判断が「エビデンス主義」から見ていかに適当か、ということに対する不満を統計数値から見て語っているという感じでしょうか。勢い余ってか、ちょっと主張に根拠が欠ける、というか説明不足な部分もあるのですが、全体としては納得できる主張です。和田さんはマスコミを一応はまだ善意に捉えてる(「意図してではないと思うが」等つけられている)ということで書いています。個人的に私はかなり意図的にやってる部分も多いと思いますが。
 前回「グズ」の本の時も思ったんですが、和田さんは似たような主張を結構繰り返して言う傾向がある気がします。「グズ」の時は「グズ」向けに書いてるからわざとかな?と思ったんですが、今回もちょっとそう感じました。特に「ゆとり教育」については相当文句があったようで、かなり執拗に批判を繰り返しています。相当昔から批判的に見ていて結果的に”勝利”した形なわけで、「ほら見たことか」的な感じでしょうか。「ゆとり教育」の成り立ちついても「エビデンス」を求めずに、都会の一部の子供だけを見て進めた結果としています。こうなると、前回の寺脇研氏との関係が気になるところですが、2001年あたりに共著で本を書いたりしているようです。ぜひもう一度対談か何かをしていただきたいところ。
 統計数値というのは確かに優秀な「エビデンス」になりうると思うんですが、「今では簡単にインターネットで見ることができる」という形でそれを進められてしまうと、その信憑性というのが問題になるような気もします。医学上、何人が死んだ、何%がこの症状を見せた、ということはあまり意図が入る余地はないですし、その必要性があるとは思えないのですが、社会問題に関すると、収集の方法によってかなり意図的な結果が導きだせる場合もあるのではないでしょうか?「エビデンス」として数字を見せられると反論のしようがないだけにその収集方法と信憑性についてはもう少し考えてみる必要がありそうです。

2009年7月18日土曜日

憲法ってこういうものだったのか!(ユビキタ・スタジオ)


姜尚中 寺脇研

 「悩む力」「日曜美術館」の姜尚中氏と、「ゆとり教育」を推進したという元文部官僚寺脇研氏の対談形式の本。

 学校で日本国憲法を習うとき、その「三原則」として「国民主権」「基本的人権の尊重」「平和主義」というのが説明される。よく教科書には、3本柱のギリシャの神殿のようなものの柱にこの三原則が書かれていて、その上に日本国憲法なり、あるいは日本国そのものなりがのっかっているような図が書かれている。このイメージは実はわかりにくくて、本来は三脚のようなイメージが正しいはずで、一本抜くと三次元世界では安定を失って倒れてしまうというもののはずだ。ちなみに、壁にポスターを貼ったときは画鋲は2つで安定するのは壁が2次元世界だから。ヒラヒラするだろ、ってな考えは3次元だから。
 この三本に支えられて、日本国憲法は成り立っている、とされている。別に異論はないが、特にこのことに法的根拠はないと思う。それは良いとして、この本ではそれ以外にも憲法の中で章同士、条文同士に密接な相関性があるものだ、という話をしている。例えば、1章「天皇」と2章「戦争の放棄」はセットで考えるべきだと言う。確かに成り立ちから考えれば日本の武装解除と天皇中心の国体の維持というのはセットで考えられるものだったはず。この二人は現代においても平和維持に天皇は重要な役割を持っているという。それは私にはよくわからないが、例えかつての帝国時代の再来を恐れて天皇を廃したところで、混乱は生じてもあまり良いことがありそうもないのはよくわかる。
 大日本帝国憲法から、日本国憲法に憲法が換わったとき、帝国憲法の改正手続きにのっとって行われたらしいが、そもそも憲法の根幹に関わるものをすべてひっくり返すような憲法改正を行うことは可能なのか、という議論があり、「8月革命説」というのが私の知っている憲法学では通説になっていたはず。このこともあって、帝国憲法時代と日本国憲法の現代、戦前、戦中と戦後というのはかなり大きく断絶しているように感じられる。戦前確かに天皇は国民に崇められていたが、当時の超エリート層はそうでもなかったんじゃないか?というのが寺脇氏の話で、それで、安倍晋三(岸信介の孫)、麻生太郎(吉田茂の孫)は天皇を蔑ろにして、靖国神社に参拝なんかするんじゃないか?とのこと。
 個人的に私も昔から帝国憲法の時代と日本国憲法の現代の断絶というのは思い込みがあって、戦前というのは言論統制があって、なにかあると憲兵がやってきて、というような暗くて恐ろしい時代を想像しがちだ。この本にも書いてあるけれど、実はみんながみんなそうではなかったはず。だから、帝国憲法の時代も良い時代だった、ということではなくてそのときを切り取れば普通の生活をみんなしていたはず。普通の生活の中から後から見るおかしい状態になっていった、ということ。歴史のなかで、今から見ればヒステリーのように戦争に傾いていったり、侵略をしかけていったり、というのは暗い、苦しい時代の中からおこることではなくて、普通の生活のあったなかで起ったことというのを私たちは理解しておかないといけない。今は戦後か、戦前か?

 この寺脇研さんという人は言葉使いとして、「護憲派」「左翼」「社会主義者」というのがよっぽど嫌いらしくて、全部ひとまとめにこれらを批判するのがあくまで言葉遣いとしてちょと鼻についた。言ってることは殆ど頷けることばかりなのだけれど、私は自分が「護憲派」で「社会主義者」だと自負しているので。「左翼」はちょっと意味がわからないので置いておく。

2009年7月5日日曜日

自殺する種子(平凡社新書)


安田節子著

たまにはこんな本も良かろうということで選んで見ました。「巨大アグロバイオ企業(農業関連生命工学)企業が遺伝子工学を駆使して云々」という紹介がついてますが、その話を中心に市場経済の話から、有機農業の話まで広範囲に語られています。確かに全体を見ていかないと見えてこない話だと思いました。

農家が来期蒔くための種子をどう確保するか、ということについて日本では自分の収穫物の中から種を残しておく「自家増殖」はあまり多くないそうです。しかしなんとなくですが、農業の基本はその「自家増殖」のような気もします。アメリカで「自家増殖」を続けていて、全く身に覚えの無い農家が「お前の畑はうちの特許を侵害している」と訴えられた、という事件があったそうです。企業がその農家の農作物を勝手に調べて、自分のところで遺伝子組み換えで作った作物を作っていると言って訴えたということのようです。他に550件同じような訴えをやっていて殆ど農家側の予算の都合で示談になってるが、シュマイザーさんという農家の方が裁判を戦って「シュマイザー裁判」として有名になっています。結局最高裁まで言ってシュマイザーさんはなんと敗訴したそうです。

訴えずとも絶対に自分のところから来期も種子を買わせよう、というのが「自殺する種子」で、当然実にはなるが二回目の発芽の時には毒が回って発芽しないようになっているとか。

確かに種屋の側から一方的に考えたら折角一生懸命開発したものを毎年自分で蒔かれたら困るわけで、それを防ぎたい気持ちはわかります。しかし、それを言い始めたらそもそも種を売るという商売の不安定さはおそらく昔からあるのではないでしょうか?そこに「遺伝子組み換え」という技術と、「特許」という政府のお墨付きが与えられたことでアグロバイオ企業が必要以上に力を持った存在になってしまっている、ということでしょうか。

もちろん米国内にもこうしたことを規制する動きもあるようですが、アグロバイオ企業はアメリカ社会の中で大きな力を持っているのは確かです。当然こうした話が日本に押し付けられてくるのがいつものパターンです。日本の大豆の自給率は既に5%しかないそうで、食用の80%は米国産だそうです。で、その米国産の大豆の91%は遺伝子組み換えされたものだそうで、つまり「日本の食用の大豆の72%は遺伝子組み換え」だそうです、ちょっと突っ込みどころがありそうな気もしますがそういうことだそうです。

言わずと知れたことですが日本の食料自給率は27%しかありません。かつてCIA筋からは「食料は米国にとっての最終兵器である」という報告もあったそうで、これは意図的にそういう状態にさせられている、と見るのが正しい見方でしょう。農作物の輸入拡大が散々求められているのも「日本の車を海外に売るため」ということで納得させられてきた気もしますが、ことはそう単純ではないはずです。日本の政府とマスコミは、余程アメリカから利益を得てるようで、恐ろしいほどアメリカ政府に従順です。アメリカがいつ「最終兵器」を使うつもりなのかはわかりませんが、すでに十分準備は整っている、というところなのでしょうか。

2009年6月22日月曜日

「グズ」の習慣が直る本(新講社)


和田秀樹著

自分が「グズ」かどうかなんて考えるまでもないと思ってたんで、考えたこともなかったですが、せっかく読んだので、自分に合わせて考えてみる。この本で言う「グズ」とは「どういうわけか仕事が遅い、要領が悪い、やろうと思っていることがなかなか実行できない、そしてあちこち不義理をしてしまう」人だそうです。

最初に「グズ」が類型化されている。「単純なことを複雑に考えすぎる」「行動しない自分に言い訳して納得する」「完璧主義で中身を気にして完成しない」等々挙げられている。もちろん自分に照らし合わせれば言葉の使い方に違和感はあるが、殆ど当てはまる。いかにも「グズ」らしい発想だが、人間殆ど当てはまるんじゃないのかと私は思うのだが、もしかしてそうじゃないのか。

究極のやらない理由、「今はその気にならない」というのは私もよく使う。セールスを断るときに使って、セールスマン(ウーマン)に突っ込まれたことが何度かある。

中身はどうでも良いから、とにかく行動しよう、というのは少々極端な気もするがこう何度も言われると説得力がある。やる気にならないなら、自分へのご褒美を考えよう、思いつかないなら、それを探すところから行動を始めろ、という、もう納得したとしか言い様が無い。

そうは言っても、と言いたい事はあるんだが、今からそのようにします、ということで感想を書き込んだ次第。

2009年6月21日日曜日

マルクスは生きている(平凡社新書)


不破哲三著

前の共産党議長だった、不破さんの書いた本。マルクスについて書いた本が本屋さんのコーナーの一部に何冊かまとまっていたが、ぜんぜん知らない人が書いたものよりは良いか、と思って購入。

私はマルクス自体に興味はあって、何冊か本も読んだ覚えがある。大学時代には「マルクス経済学」という土曜日にやってる授業に出ていた覚えもある。しかし何故か殆どその核心部分を覚えていない(教授の余談は覚えている)。その意味で比較的簡単に纏められたこの本は私向きの本だったかもしれない。

マルクスは資本主義社会に於いて労働者が搾取されるのは資本家(経営者)の善意とか悪意によるものではなく、「資本主義」が労働者を搾取することを資本家に強制するのだ、という。利潤第一主義で考えていけば、労働者に対する賃金の支払いは最小限にすることが当然のはず。

生産者が利潤第一主義を徹底することが、即ち労働者が困窮しやすい状況であることになる。消費者側から見ると、消費者というのは殆どが労働者なわけで、この生産と消費の関係は矛盾がある。

そう単純に考えていいものかどうかわからないが、確かに最近陥ってる傾向はこんな感じのような気もする。実際に経営者に「お前の会社の社員は消費者でもあるんだからもっと休みをやって、給料を上げてやれ」というのは現実的ではない、というのは想像できる。どこかで線を引くのは政府の仕事、ということで社会主義的な考え方、というのがわかったような気になる。

マルクスは資本主義が斃れ、共産主義・社会主義(この2つはマルクスにとっては同じ意味らしい、レーニンは区別したそうだ)の時代が来るのは100年も前のことと考えていたようだが、今こそその時が近づいてるんじゃないか、というのが不破さんの期待のようでした。

未来については、「労働者が長時間労働から解放され、自由な時間を使って自分の肉体的精神的な開発をし、能力を発揮する」云々は現実から離れすぎてる感じがあるし、エンゲルスの書に「人間は歴史を自分で計画的に作るようになる」なんて話もあるんですが、それはちょっと怖いような気もする。

決してこの本の評価は低くないですが、次マルクスについて読むときは日本共産党関係者じゃない人の本にしよう、とちょっと思いました。

2009年6月14日日曜日

告白(双葉社)

湊かなえ著


売れてる本だから、と言って、買って読むような習慣はないんですが、ちょっとした外圧から読むことになりました。まあ賛否両論ありそうな本だ、という予備知識はあって読み始めました。

ある中学校で起きた事件について、関わった人達が章ごとに一人称で「告白」していくというものです。非常に読みやすく、決して読むスピードの速くない私もすぐに読み終わりました。

しかし、後味は悪い。何故悪いのか?
各登場人物の行動が陰鬱すぎる。告白した結果起こす行動が反社会的で奇異過ぎて、その行動についての設定に無理があり、説明不足になっているところもいくつもある。結果奇行に奇行を重ねて最後はなんだかよくわからない。全部夢だった、とかにしてくれた方が良かったんじゃないの、と思ったくらいでした。

今、読み終わって少し考えてみるとこの本は、「何故社会には『裁判』という制度が必要なのか」、ということが言いたいだけの本なんじゃないかと思いついた。そうなら後味が悪いのは当然。第二章で「告白」してる人が中で述べていて、読み終わって納得したのはこの部分だけだった。

このくらいの引用は良いでしょう。

--どんな残忍な犯罪者に対しても、裁判は必要なのではないか、と思うのです。それは決して、犯罪者のためにではありません。裁判は、世の中の凡人を勘違いさせ、暴走させるのを食い止めるために必要だと思うのです。--

裁判が加害者、被害者どっちのために必要なのかは別な議論が必要かと思いますが、この部分は真実でしょう。この本の出発点はある犯罪行為なんですが、それを被害者側が警察に訴えなかった(裁判にしなかった)ことが全ての登場人物の陰鬱な行動を引き起こしていく、と考えると簡単に納得できます。

そう思うと決して全体として低く評価すべき本ではないのかもしれません。それでも少々設定に無理があるとは思いますが。

個人的にこの本について後味が悪いのは別な理由もあるんですが、それを書き始めると私自身の「告白」になってしまいそうなんでやめておきます。

2009年6月7日日曜日

ジョギング

移動してから休んでいたジョギングを再開しようということで、道はよくわからないがとりあえず走ってみることに。

10数分走って「宝仙寺前交差点」というところでUターン。信号を渡って反対側の歩道を帰ったら、いつの間にか違う道路を走っていた、知らない土地は侮れない・・・。

何はともあれ丁度良い距離だということで、次回も同じ「宝仙寺前交差点」でUターンしようと思ったが、せっかくなら「宝仙寺」を見ていくべきじゃないかと気づいた。

行って見るとこれが立派なお寺で迫力のある仁王像が閉まった門のすぐ中に見えた。ホームページによれば、かなり由緒のあるお寺のようです。

あんまり内容と関係ないけど、一句、

ジョギングの 最初と最後は エレベーター

2009年5月17日日曜日

アップルの法則(青春新書)


林信行著

最近は「iPhoneの伝道師」とかいう肩書きもついてる林信行さんの2008年3月初版の著書。ブックオフで偶然見つけて買ったんですが、400円のシールが貼ってあったのに、レジに持っていったら、なぜか105円でした。

10年くらい前、「MacPower」という雑誌をよく読んでいて、この林さんはアドバイザーという形でその編集に関わっていた人でした。この本にも書いてあるけれど、当時のApple社はどん底だったんですが、その中でも常に前向きにAppleを見ている人だった印象があります。それはiPhoneの時代になっても変わってないようです。

この本自体は「あとがき」に「アップル社になじみのなかった方にも楽しんでいただけるように書いたつもり」と書いてあるとおり、あまり私向きな本でもなかったんですが、とにかく、パソコン業界の時間の流れの速さを感じます。今使ってる炊飯器は、押入れで化石になりつつあるPowerBookDuo2300cより古いんですよね、それが信じられない。

そのパソコン業界も最近は進化という意味では頭打ちで、低性能な「ネットブック」が流行ったり、WindowsVISTAに乗り換える価値を見出せなかったり、そして、アップルは社名から「コンピューター」を取ってしまって、携帯電話とネット販売の会社になろうとしてる。

最先端技術はインターネットの向こう側にあって、手元のパソコンはブラウザが動けば用は足りる、というのが今後の方向性でしょうか。利用者としてはそれはそれで面白いですが、パソコン好きとしては少々寂しいところもありますね。

2009年5月4日月曜日

世界恐慌という仕組みを操るロックフェラー (5次元文庫)


菊川征司著

「闇の世界金融の超不都合な真実」「9・11テロの超不都合な真実」に続く筆者の三作目。世間的にはトンデモ系に分類されることもあるようですが、どうなんですかね。

内容的には「闇の世界金融の~」から一貫していて、近代以降の恐慌、経済危機、戦争はロスチャイルドとロックフェラーを中心にした「国際金融資本家」が意図的に作り出している、彼らは各国、各種中央銀行を通じて世界を支配している、という話を「歴史編」「経済編」とに分けて細かく状況証拠を積み上げていきます。細かいところで突っ込みたいところもないことはないですし、基本的に「それはこじつけ過ぎだろ」って言い始めたらきりが無い内容なんですが、全体的にはかなりの説得力で押してくるので納得せざるを得ない雰囲気があります

今回は内容が幅広く、地球温暖化に関連した太陽の活動期の話やアラスカの氷の下には瞬間冷凍した熱帯雨林があるといったことも書いてありましたが、ちょっと蛇足気味な気も。太陽の話では「地球は温暖化していない」「CO2原因説はゴアとマスコミが仕組んだ」としていて、今回は題名に「不都合な真実」というフレーズを使わなかったのはそれも関係してるのでしょうか?

それにしても、この筆者はどういう人なんでしょう?観光で行ったアメリカが気に入って住み着いてしまった人ということになってますが、よくここまでの情報量を調べて纏めたと感心せざるを得ません。本当は1人じゃないんじゃないか?とか読んでる途中に考えてましたけど、自分基準で考えてはいけないですかね。筆者がアメリカが大好きなのは確かなようで、それは随所に感じられます。

私も一応世界の一部ですから「世界征服」を狙う人がいるなら関係あるはずなんですが、いつもこういう本を読むと気楽になりこそすれ、心配になったりしないのは何故なんだろう?

photo by samalmarr

2009年4月29日水曜日

iPhone 衝撃のビジネスモデル (光文社新書)



岡嶋裕史著

この岡嶋さんが書いた別な本を図書館で偶然読んで面白かったので、「iPhone」だし、ということであまり迷わず購入。

と、思ったら、結構古い本でした。初版がなんと2007年5月20日。初代iPhoneは2007年1月9日発表、6月29日アメリカで発売。ということはこの本のiPhoneについて書いてある部分は「ジョブズのプレゼンを見ただけの筆者が夢を語っている」ということになります。

でも内容に関してはiPhoneそのものについての記述ばかりではなくて、「Web2.0」や「ユビキタス」と言った流行りの(微妙な)キーワードについても重点が置かれています。

個人的に僕は今の「Web2.0時代」のコンピューターとインターネットというのは必ずしも上手くいってるものだとは思っていなくて、少し昔の時点から考えたら、現代はもっと良い時代でも良かったんじゃないかなと。そういう考えの僕が読むと納得して読める内容でした。

で、そこから明るい未来を開くのがAppleとiPhoneなんだ、ということで筆者が夢を語ります。この当時のiPhoneはまだ発売すらされてませんし、「AppStore」なんてのは影も形もなくてサードパーティが開発できるのはWebアプリのみとか残念な情報が伝わっていたころだったと思うんですが。それでも筆者はiPhoneに夢を乗せていて、iPhoneで銀行ATMを遠隔操作したり、iPhoneを医療分野で活用しようと。

その後実際どうなったかと言うと、iPhone2.0でAPIが公開され、iPhone用のアプリケーションを販売するAppStoreは10億ダウンロード達成だとか。今年になってから発表されたiPhone3.0では他ハードウエアを操作する手段としても利用が更に期待できそうな状況に。

この岡嶋さんが予想(希望)したとおりにiPhoneは進んでいると思います。発表されたばかりの頃を考えたら結構凄いことじゃないかと。

というわけで、初版が出た当時に読んだら「どうかなあ?」とか思ってたと思うけど、今になって読んだので味があったというか、そういう本でした。

まあ僕はiPhoneは銀座でちょっと触れたことがあるだけなんですけどね・・・

2009年4月23日木曜日

ほふり

証券保管振替機構というのがある。まあ僕なんかは一生かかわらないような組織だと思うけど、ようは株券そのものの引渡しを受けなくても帳簿上の処理で権利を行使できるとか、そういうことをできるようにしてくれるところらしい(間違ってたら御免)。

それは良いとして、この証券保管振替機構は「ほふり」と略すらしい。「ほふり」と聞いてドキッとするのは少数派なんですかね。
個人的にはどうしても旧約聖書とかを連想してしまうんですが。

と思ったらWikipediaには

なお、略称として、「ほふり」の名を浸透させようとしているが、屠る(ほふる)には、屠殺の意味もあり会話ではあまり使われていない。

と書いてありました。

このほふり機構の連結子会社に「ほふりクリアリング」なんてのもあるんですよねえ・・・
photo by Ben

2009年4月22日水曜日

アルシャビンが4点取ったらしい。

しかも相手はリバプール、見たかった。最近サッカーをあんまり見られてないんだけど、この人はやっぱり凄い。

国内の選手中心だったロシア代表がユーロで活躍、ロシアのクラブチームも近年UEFA杯で活躍、アルシャビン以外にもスパルタク出身のビディッチやゼニト出身のシュクルテルもプレミアで活躍している。

近年のロシアンプレミアリーグが充実してるのは確かのようだけど、この人達の活躍で選手の流出が進むかもしれない。

2009年4月21日火曜日

Skypeテスト通話


Skypeは結構使っているけれど、気になっていたのが「Skypeテスト通話」。名前が「echo123」、性別は「女性(!)」。

思い切って、通話してみた。

色っぽい声で「へろー」とか言われたらどうしよう、とか期待してたんだけど・・・

結局出てきたのは男性で
「発信音の後にメッセージを入れてください、その後あなたの声が再生されます」
とのこと、まあそりゃそうか。

でもせめて女性にして欲しかったなあ。

2009年4月20日月曜日

オラクルが74億ドルでサンを買収

Sun"ORACLE TO BUY SUN"。
Oracle"Oracle Buys Sun"。

サンもなくなるのか・・・。
この話には直接関係ないけど、ビル・ジョイ論文の存在を思い出した。